壺=水=生命としての象徴性は、そこに植物を加えることで一層明白になる。(p.136)
ペルシア絨毯やイランのモスクのモザイク・タイルの装飾やモスクの壁の彫刻などに壺のデザインがしばしばみられる。一見するとスタティックなものではあるが、象徴的な意味としては生命力の源みたいなものとして捉えた方がよいということか。
「キリスト」という言葉自体が、ギリシア語で「油塗られし者」を意味することからもわかるように、油を塗ることは特別な意味を持っていた。それは勿論、中東から地中海沿岸地方にかけての乾燥した気候と無関係ではない。(p.137)
なるほど。確かに、日本のように湿度が高い地方では油を塗らないか、塗るとしてもあまり心地よいものでもないかもしれないが、乾燥地帯ではまったく違っているだろう。
その一方で、古代・中世のペルシアには見かけなかった龍や麒麟などの聖獣が、16世紀以降ペルシア絨毯に加わった。これらは中国で生まれた伝説上の動物であるが、龍はそれに相当するものがイランにも存在しなかったわけではない。ペルシア神話の中で、英雄の多くは龍と闘い、これを打ち負かす。このペルシアの龍の祖先を訪ねて行けば、おそらくバビロニアのティアマトに辿り着くであろう。ティアマトは英雄マルドゥクに倒される。この物語が西に伝わって生じたのが聖ジョージと龍(ドラゴン)の伝説とされている。バビロニアから出発してヨーロッパに至るまで、龍は終始悪のシンボルであった。ペルシアでも同様で、龍はいつも正義の使者にやられてしまう(図12)。(p.147)
中国では龍は全く異なった位置づけとなり、西洋や中東のドラゴンとは全く別物と考えた方が良いだろう。マルドゥクとティアマトが聖ジョージとドラゴンの伝説に繋がるというのは、なるほど、という感じだった。そして、イランにも同じような物語があるということもあわせるとさらに興味深い。
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