アヴェスターにはこう書いている?
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永田浩三 『NHKと政治権力 番組改変事件当事者の証言』

特に、NHKが政権から自立するための条件である公正中立ということを、籾井氏は誤読し、NHKのそれぞれのニュースや番組において、公正中立というものに名を借りて、政府見解を必ず付け加えさせるよう理事会で求めたことは、驚きをもって迎えられました。公正中立は、NHK総体の中で担保されていればよいというこれまでの原則に、根本から変更を迫るものです。(p.16-17)


「公正中立」の悪用――私的な、つまり非公共的な目的に適合するように「公正中立」という理由を用いること――が、次第にまかり通りつつある。

自民党が総選挙にあたって、テレビ局に対して「公平中立、公正の確保」を求める文書を送ったというニュースがあったが、この自民党のメディアへの牽制ないし脅しで用いられている「公平中立、公正」と、安倍晋三と考え方が非常に近いと思われる籾井NHK会長の発言における「公正中立」は、ほぼ同じ用法となっているように思われる。彼らに共通の特性として、論理より自らの好みが先に来る、ということであり、その限られた視点(それも他者がいない視点)からのみ「公正中立」を判断しようとしていることが透けて見える。

極右国家主義者たちの間で共通の用語法として共有されつつあるのだとしたら、これに対する対抗の論理は明確に打ち出す必要があるように思われるが、「公正」や「中立」などの概念は、極めて形式的・抽象的な概念であり、その空洞を狙われた感が強い。

何よりも問題なのは、彼らが権力を握っており、そのような偏った立場から何が「公正中立」であるかを判断する権限を不当にも握ってしまっている点である。



NHKは国営放送だとか半官半民だという誤解があるのですが、そうではありません。放送法によってつくられた特殊法人で、イギリスのBBCと同じ公共放送です。そして、予算や事業計画は、国民の代表として選ばれた国会議員が、チェックするのです。国会議員はいわば視聴者の代表であり、NHKと受信契約を結ぶひとたちの代表という受け止め方です。しかし、それは、建前であって、国会議員の多数派が政権を掌握するわけですから、NHKは、予算や事業計画を人質にとられているようなものです。ですから、NHKは、国会での審議が近づく時期に、ニュースや番組で、永田町の意向に沿わない問題をとり上げることは、とても慎重になります。そうした特別な時期にこの事件は起きたのです。(p.24)


NHKと政治との構造的な問題点がこの予算とその承認のメカニズムにある。国会ではなく、独立した機関から承認を得るような仕組みが望ましい。



 2001年1月下旬、衆議院議員の中川昭一氏と安倍晋三氏らが、NHKで国会・政治家対応を担当していた総合企画室の野島直樹担当局長(現・理事)らを呼び出し、「女性国際戦犯法廷」を取り上げた『ETV2001』の放送を中止するよう強く求めました
 自民党総務部会でのNHK予算審議を直前としていたこともあり、事態を重く見た野島担当局長は、1月29日(月)の午後、松尾武放送総局長(現・NHK出版社長)を伴って、中川・安倍両氏を議員会館に訪ね、番組についての説明を行い、理解を求めました。しかし、中川・安倍両氏の了解は得られませんでした。そこで松尾放送総局長は、「番組内容を変更するので、放送させてほしい」と述べ、NHKに戻りました。(p.148)


中川昭一や安倍晋三の圧力により改変された番組のデスクだった長井暁氏の記者会見の内容より。

昨日(2014/12/10)に施行された特定秘密保護法を強行採決により成立させたのも安倍晋三であり、先日のテレビ局への威圧的な文書を送った自民党の総裁も安倍晋三である。この男は今から14~15年ほど前にもこのように言論の自由への不当な介入をしていた、という点を踏まえて、以上のような問題をとらえる必要がある。



「NHK幹部ふたりが、中川・安倍両氏に説明に出向きまして、そこから戻ってきた夕方、番組制作局長室でわたしも立ち会ったかたちで、異例の試写を行いました。番組論にもとづくものとはまったく異なるつくり変えを命じられたわけで、政治的な圧力を背景としたつくり直しが行われたわけですが、実際、海老沢体制になってから、放送現場への政治介入が、日常茶飯のように起こるようになってしまいました。海老沢体制のもっともおおきな問題というのは、政治介入を恒常化させてしまったということです。」(p.151)


籾井会長になってからはもっと酷くなっている可能性も否定できない。一度このような組織文化が成立してしまっているならば、なおさらである。



大学とは真実を追い求める府である。知は公開され共有されぶつかり合い高められる。そのことをだれも押しとどめることはできない。大学と放送局は、兄弟姉妹のような場所なのかもしれません。(p.248)


大学と放送局とが兄弟姉妹のようなものという指摘は興味深い。確かに、両者の理想は共通するものがあり、人々に対する教育的な意義を持っているという点や真理や真実を目的としている点でも共通している。

マスメディアも大学も商業主義的な道具立てを用いて、権力側に都合の良い道具へと変えられつつある。この点にどのように抵抗できるかは、社会ないし人々の意識のあり方に大きくかかわる問題である。



 小川作品からわかってくることは、ドキュメンタリーにおいて、形式的な客観性公平性などということは、ただのお題目にすぎないということです。三里塚を例に考えても、京大闘争を見ても、その世界をきちんとみつめ、何が起きているのかを記録するためには、ともに過ごす時間がまず必要であり、かれらの葛藤や苦悩を知るためには、御用聞きのような浅い取材では、まったく届かないという事実です。(p.249)


「対象に就く」とか「Sachlichkeit」という言葉がここを読んで即座に脳裏に浮かんだ。こうした姿勢自体に価値を置くことを、現代の社会はしなくなってきているように思う。このことは、次々と情報が流れてきて、それを消化するだけで追われてしまうような生活のスタイルとも関係があるように感じるが、大学やマスメディア、そして官僚には、こうした姿勢をもっと強く持ってもらいたいと思う。

安易に党派的な利害に流れるのではなく、対象に就いて真実を捉え、摑んだ真実を手離さないという姿勢を貫くことが重要である。

マックス・ウェーバーが私にとって魅力があるのは、まさにそうした姿勢をどのように実践するかを教えてくれたことにあり、また、そうした姿勢に価値があることを示してくれたところにある。


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