アヴェスターにはこう書いている?
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ダン・コッペル 『バナナの世界史 歴史を変えた果物の数奇な運命』

 アフリカで三番めのバナナは、ようやくこの果物に気づいたヨーロッパ人が、当時形成しつつあったアフリカの植民地(大西洋沿岸のギニアやセネガル、カナリア諸島など)に持ちこみ、最終的にそれが(二千万人のアフリカ人奴隷とともに)大西洋を越えてアメリカ大陸に渡ったのだ。この第三波のバナナを示す専門用語は“インド洋コンプレックス(IOC)”だが、これには別の名前があり、中東の商人が大陸から大陸に移動するバナナとともに広めていった。分類学者のリンネはアラビア語の“mauz”を借りて、“Musa”をその属名とした。しかし、一般の人々には、誰もが好むこの果物を表わす言葉として、別のアラビア語のほうがなじみ深かったので、そちらがより頻繁に使われるようになった。その言葉とは、英語に翻訳すると「指」を意味する“banan”である。(p.72)


バナナの伝播についての叙述の一部だが、アフリカ三番目のバナナがアフリカに登場したのは650年頃とされている。その後長い期間を経た後、ヨーロッパ諸国がアフリカと三角貿易を行うことに伴い、アメリカ大陸へと伝わったとされる。

「バナナ」という言葉がアラビア語由来であるというのが私としては非常に興味深い。イスラーム世界(アラビア語)→ヨーロッパ諸国→世界中への伝播というパターンを辿るものがいかに多いか驚かされるほどである。



 バナナ帝国を築きあげることは、明らかな使命感がともなっていた。それは米国のラテンアメリカに対する支配を強化する、という意思表明でもあった。(p.95)


19世紀末頃の帝国主義の流れにバナナ産業も乗っていた。



 消費者の需要が増えるにつれ、常にバナナを栽培するための新しい土地が求められた。バナナはファストフードの先駆けとも言える。茶色い紙袋にすんなりおさまるバナナは、急速に都市化が進むアメリカ人がランチボックスに入れる定番の食品になった。……(中略)……。
 公的な取り組みのおかげでアメリカ人が道端でバナナの皮を目にすることが少なくなる一方で、食べる量はどんどん増えていった。1900年からの十年間で、バナナの消費量は千五百万房から四千万房と、三倍近くになっている。(p.97-101)


バナナの需要・消費が急速に増えた時期と帝国主義的なバナナ産業のあり方の繋がりに注目したい。



だが、コロンビアをはじめとするラテンアメリカの国々では、バナナ関連の問題で軍事介入が行なわれた結果、常に国家体制が脆弱で、真の民主主義と適正な経済政策が根づくのが阻害された、という指摘は重要である。(p.129-130)


アメリカ政府は自国のバナナ産業(資本)を守るために、ラテンアメリカ諸国に軍事介入までも行なっていたということは知っておくべき。これはバナナに限ったことではないと思われるが、バナナといった一見なんでもないようなものでさえ、このようなことをひき起こしていたと知っておくことは重要である。



 第二次世界大戦が勃発したころ、アメリカ人のバナナ消費量は過去最高となっていた。……(中略)……。
 ひとつのプランテーションが使いものにならなくなれば、新たにまた別の農場が開かれた。それは農場全体を一から作りあげる大事業だった。……(中略)……。こうしてどのプランテーションにもゴルフコースや教会、レストランが建造され、独身幹部向けには、しばしば年端のいかない娘たちを集めた売春宿も設けられた。それらはバナナ会社の幹部たちが、母国では絶対に手の届かない、あるいは絶対に許されることのないライフスタイルを楽しむための施設だった。(p.152-153)


プランテーションが使いものにならなくなるのは、病気の発生によるものであり、対策をしていればこのように捨てる必要が生じることは少ないはずなのに、対策がとられずにより安価な方法である「使い捨て」が続けられたことが本書では指摘されている。

売春宿が設置されたとされているが、この仕事を担っていたのは誰だったのか?本国から目的を明示して契約した者を連れて来ることと、現地で募集をすることとは意味が異なるが、「本国では許されることのないライフスタイル」というあたりからしても後者が基本となっていたものと推察される。



 グアテマラはその土壌と天候のゆえにバナナ栽培に適しているが、それよりさらに重要なのがこの国の政府――あるいは政府の不在――だった。グアテマラの大統領でユナイテッド・フルーツ社と最初に関わりをもったのは、1898年から1920年までこの国を支配したマヌエル・エストラーダ・カブレラだ。グアテマラには近代化が必要だと考えたエストラーダは、インフラ建設のためにユナイテッド・フルーツ社を誘致した。ユナイテッド・フルーツは電線を引き鉄道を敷き、港を整備した(ユナイテッド・フルーツが唯一建設しなかったのが道路だ。道路ができれば、バナナ産業の優位性を保証する鉄道がおびやかされる、と考えたのだ)
 しかしこのような“進歩”はなにひとつ、マヤ族の子孫たちの利益にはならなかった。一方、この国を牛耳るラディノたち(スペイン人の血を引く住民)はますます豊かになっていった。貧しい者がより貧しくなったわけではないが(彼らはすでに極貧にあえいでいた)、プランテーションができると、村落の生活水準はさらに低下した。(p.163-164)


企業を誘致することとその土地の住民の生活水準が向上することとは必ずしも結びつかない、という当然の事実は現代においても教訓とすべきものであろう。


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