アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

札幌学院大学 北海道の魅力向上プロジェクト 編 『大学的北海道ガイド――こだわりの歩き方』(その1)

 ともあれ帯広が今日のように十勝全域の農業を基盤とした商業都市として着実に発展を始めるのは、旭川への鉄道が開通した明治40年以降のことである。1916年(大正5)北海道拓殖銀行帯広支店が開設され、さらに1920年(大正9)第十二銀行(現北陸銀行)、1923年(大正12)安田銀行、と道外銀行も進出した。この大正期が商業都市としての帯広の第一段階の完成期といえよう。だが帯広はその成立の初期に遡れば、紛れもなく「植民地」の中の行政都市である。明治25年三等測候所、帯広郵便局、26年河西外二郡(河東、上川)各戸長役場、27年道庁殖民課出張所、28年釧路警察署下帯広分署、北海道集治監十勝分監、十勝農事試作場というように、「民」より先に「官」が進出しており、行政都市がその出発点である。今風にいえば、「官」が都市としての「インフラ」を整備し、十勝全域の雑穀を中心とする商品作物の生産を背景として商業都市としての帯広が生まれたのである。全国的に有名な「スイーツ王国」、「豚丼」、「屋台村」などはこの商業都市としての帯広のDNAが生み出したといえる。(p.38)


時系列でまとめ直すと、明治25年代後半に続々と「官」の施設が設置され、明治40年に旭川との鉄道が開通し、大正期に金融機関が次々と進出してきた、という流れになっている。

道東の農産物を集約するのに適した地の利が――これが官庁が集中する背景であったのだろう――、鉄道で道外へと移出できるようになったことで生かされることとなり、農産物を移出する商業都市として発展していくことに伴い、金融機関も次第に集まってきたという流れが見える。

この十勝の雑穀などは小樽港から移出されたものも多かったと推察される。この流れがあったからこそ、第一次大戦の際に小豆の世界市場で大儲けをした高橋直治のような商人も出たのであろう。

帯広の都市としての形成過程は、札幌の発展と似ているように思われる点が興味深い。北海道の内陸部の都市の開拓について、もう少し詳しく知りたくなった。



 ところで北海道を訪れた人は、札幌ではどこに行かれたであろうか。あるいはこれからの人は札幌ではどこを訪れようとしているのだろうか。
 大通り公園、道庁赤れんが(開拓使札幌本庁)、北大植物園、北大(札幌農学校)、札幌ビール園、大倉山シャンツェ、そして少し時間に余裕があればイサム・ノグチがデザインした「モエレ沼公園」、バーンスタインが仕掛けをした「PMF音楽祭」が毎年開催される「芸術の森」等といったコースを辿るのではないだろうか。
 改めて気づかされることは、殆どの来訪者が訪れるこれ等の場所はこの第一段階から第五段階において形成された都市基盤の遺跡ともいえるものであることである。この中でも特に主要な都市拠点は第三段階の「開拓使十年計画による都市形成」によるものであろう。
 開拓使十年計画の推進者は黒田清隆を中心とした旧薩摩藩の精鋭たちであったことから、この背景を良く理解している人々は「札幌は薩幌である」と言う所以がここにある。(p.49)


札幌の都市形成の過程を5つの段階に分けて概説した後のコメント。黒田清隆が札幌の都市形成や北海道の初期の開拓に関して極めて大きな影響を与えたことは、私もここ数年理解が徐々に深まってきたが、「札幌は薩幌である」というフレーズはなるほどと思わされるというか、旧薩摩藩の勢力が大きな影響を与えたことを銘記する上でも有用であると思われる。



札幌を「薩幌」ということは前にも触れたところであるが、お馴染みのサッポロビールのマークに使われている五稜星のデザインは元々薩摩藩の旗印でもある。(p.57)


サッポロビールの五稜星のデザインは、普通、観光ガイドなどでは「開拓使のマークである五稜星と同じ」といった形で紹介されていると思う。ということは、開拓使の五稜星も薩摩藩に由来するということか?興味深い。



薩摩藩主島津斉彬は軍需だけではなく民需産業の育成に力を注いだ工場群「集成館」を薩摩の地に創り出した。開拓使はこの「集成館」をモデルに大通りから開拓使通りに掛けて大産業施設群(コンビナート)を創ろうとしていた。このプロジェクトの中核を担ったのが村橋久成であるといわれている。……(中略)……。
 
 現在では唯一その当時の痕跡の一部を見出すことができる札幌ビール園を訪れる人は多い。ここを訪れる際には、出来ることなら先ず鹿児島にある「尚古集成館」に行き、往時の集成館事業の絵図面を手に入れて欲しい。そして札幌工業局機械所図と見比べながら、かっての「開拓使通り」界隈を歩いてみることを是非ともお薦めする。(p.58-59)


現在のサッポロビール博物館、サッポロビール園があるところやサッポロファクトリーの界隈など創成川の東側の一帯は開拓使によって工業用地として計画されたことはよく知られている。ここでも薩摩がモデルになっていたとは知らなかった。後段で述べられているように鹿児島の集成館と比較するのは、是非やってみたい。



 明治時代の洋風建築物は、札幌に限らず道外の多くの都市に存在するが、札幌と他都市との明確な違いは、札幌の近代洋風建築がアメリカ系木造建築様式で統一されている点である。それは北海道開拓に貢献のあったホーレス・ケプロンやウィリアム・クラークなどが、北海道と同緯度のアメリカ東部ニューイングランドの出身であり、森林事情も似ていたことから、開拓においていち早く造られたのが蒸気動力と水車動力をもつ製材所・札幌工作場であった。森林を伐採して板や角材に製材し、木材を活用したまちづくりを行ったことが、札幌に木造洋風建築物が多いひとつの要因である。また、開拓使工業局営繕課だけが西洋館を建てたが、開拓使を指導したお雇いアメリカ人の中にも営繕課の技術者の中にも建築の専門家がいなかったことが二つ目の要因としてあげられる。つまり、専門家がいないことを補うために、アメリカの建築のパターンブック(建築雛形書)を利用し、これを手本に図面を引き建築した結果、札幌の近代洋風建築物はアメリカ系の木造西洋館に統一されるという特徴が生まれた。(p.68)


北海道開拓は全般にアメリカの影響が強いので、建築においても同じことが当てはまる訳だ。また、木造であることは札幌周辺も当時は森林だったことが背景にあるというのは、なるほどと思わされた。



 開拓使の西洋館スタイルには、1877年を境に二つの傾向が認められる。1877年以前にはアメリカ東部の古典式木造建築様式・ネオクラシシズムに属するスタイルが用いられ、1873年竣工の旧開拓使札幌本庁舎(1879年焼失、開拓の村に外観再現)はこの様式の建物であり、この様式美は高く評価されている。1877年以降ではアメリカ中・西部の開拓地の木造建築構造様式が取り入れられ、その代表的な建物が1878年築の旧札幌農学校演武場(札幌時計台)である。アメリカ中西部の開拓地の木造建築構造様式はバルーン・フレーム構法といわれ、2×4工法(ツーバイフォー建築)のルーツとなった建築様式である。建築様式としては純度が高くないといわれるが、アメリカの開拓において、これ以上に相応しい技術はなくアメリカの木造技術の頂点に立つものであると評価される。(p.69)


開拓使が設置されたのは1869年(明治2年)で、廃止されたのが1882年(明治15年)。1877年(明治10年)は設置されてから約8年、廃止まで5年ほどの期間が残された時期なので、概ね開拓使の時代の中頃ということになる。また、黒田清隆が開拓使長官だったのは1874年(明治7年)~1882年(明治15年)であり、この変化は黒田長官時代に起きたことがわかる。

1877年(明治10年)に何かの変化があったのだろうか?それとも建てられる建物の性質(種類や役割など)が違うものになったということか?

札幌農学校のモデルバーン(模範家畜房)は1876年にバルーンフレーム構法で建てられている。モデルバーンと札幌農学校演武場はいずれもウィリアム・ホイラーの設計で、彼はクラークと共に1876年(明治9年)に札幌に来ている。このことが建築様式の変更と深くかかわっているのではないだろうか?機会があれば掘り下げて調べてみたい問題である。



 札幌に居たのでは北海道が直面している問題はわからない。これからの北海道経済を担っていく学生諸君にとって、地方都市に行き、自分の目で見て、肌で感じ取ることこそ大切である。(p.131)


同感である。「東京に居たのでは日本が直面している問題はわからない」という形でかなり前から私の持論の一つになっていたものとほぼ一致している。

東京にいることは、流行などを知る(発信する)には有利かもしれないが、社会の構造変化のようなものを知るには不利であると言ってよい。


スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/991-829e752e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)