アヴェスターにはこう書いている?
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豊下楢彦、古関彰一 『集団的自衛権と安全保障』

 さて問題は、安倍首相が安保法制懇を組織し、集団的自衛権の行使に向けて本格的な取り組みに乗り出したのが、温家宝首相の来日の当月であった、ということにある。これが意味していることは、安倍首相にとって集団的自衛権の問題は、必ずしも「安全保障環境の悪化」の問題と直接結びついてはいない、ということなのである。それでは、そもそも何が安倍首相を集団的自衛権に駆り立てるのであろうか。それは言うまでもなく、「戦後レジームからの脱却」という宿願を果たしていく上で、不可欠の課題であるからに他ならない。(p.ⅺ)


「安全保障環境の悪化」を口実として、集団的自衛権行使に向けての動きが進められているが、それは本当の理由ではない、少なくとも安倍晋三本人やそのシンパにとっては主たる理由ではない。このことは、安倍晋三とその周辺の人々に対して警戒感や違和感を持っている人であれば、ほとんどの人が感じとっていることと思う。人の意図がどういうものであるかを直接証明することは不可能ではあるが、言動の矛盾や内容からそれなりに推定することはできる。「戦後レジームからの脱却」というキャッチフレーズに表された安倍の情念から出ていると考えれば、あらゆる点で説明がつく。少なくともそれを否定するような材料を私は知らない。

経済政策で支持を得た上で、(日本における「戦後レジーム」を否定する)軍事力増強至上主義的な政策を進めていこう、というのが第二次安倍政権の基本的な方針であると見るべきであろう。




 ちなみに、「固有の領土」という言葉が改めて明記されたことで、学校現場では大いなる混乱が予想されるのである。なぜなら「固有の領土」とは、そもそも国際法上の概念では全くなく、「北方領土」という言葉を正当化するために日本政府がつくりだした「日本に固有の概念」であるため、学校の先生方には教えることが不可能だからである。例えば、尖閣諸島を含む沖縄が、いつから日本の「固有の領土」になったのか、教科書に責任をもつ文科省の官僚であっても、誰一人答えることはできないであろう(「固有の領土」の概念については、豊下『「尖閣問題」とは何か』第四章四節参照)。



安倍政権は2014年、竹島について「日本固有の領土」「韓国が不法に占拠」などと、教科書に明記することを決定したことに関するコメントより。

「固有の領土」なる言葉は、法的な概念ではなく、政治的な言葉であることは、特に詳しく聞かなくても分かる。明確な領土の概念は、西欧で誕生した主権国家の概念に付随して実現してきたのであり、少なくとも主権国家が成立する以前の地域には「固有の領土」などという言葉で指示できるようなものはないからである。主権国家が成立した後に「領土になった」のであれば、「固有の領土」とは言えないだろう。そのような矛盾がある言葉であるため、学校で教えることはできない、ということか。

ちなみに、安倍政権が上記のような内容を教科書に記載することを決定することは、学問としての歴史学に対する冒涜であり、教育に対する特定の政治的立場からの干渉であり、否定されるべき行為である。この行為を許すということは、安倍晋三とは全く思想信条が異なる首相が、この内容での記述をしてはいけないと決定することも許すものでなければならない、ということを保守派・右派(少なくとも安倍晋三に共感を持つ人々)は知っておくべきである。




 そもそも戦略性とは、単純化すれば、直面する諸課題をその重要性に従って区分けすることである。具体的には、最も重要な課題に外交的、政治的資源を集中させるために、副次的な課題については柔軟に現実的に対応する、ということである。とすれば、中国や北朝鮮の深刻な脅威に対処する上で、竹島問題はいかなる重要性を持つものか、それこそ戦略的に判断されねばならない。
 ……(中略)……。あるいはまた、『日経新聞』も竹島問題について、「島そのものにさほどの価値はない」のであり、日韓両国にとっては漁場の確保こそが問題である以上、この「漁業紛争という原点に戻れば歩み寄れるはずだ」と指摘した(2014年3月9日)。つまり竹島問題は、日韓の対立局面を緩和していける現実的な対処の方向が様々に存在するのである。
 ところが、安倍政権の竹島問題や歴史問題での“強硬路線”を受けて、第一章で指摘したように、韓国は韓米同盟を堅持しつつも中国に接近し、かつてない“中韓蜜月”が生みだされているのである。……(中略)……。
 国家が対外的な危機に対処するにあたり、「最大限見方を多くし最小限敵を少なくする」ことは戦略論のイロハである。それでは、中国という「強大な敵」に立ち向かおうとする時に、なぜ敢えて韓国を中国に“追いやる”ような路線が推し進められるのであろうか。なぜ、国際政治のイロハが理解されないのであろうか。つまるところ、この驚くべき戦略性の不在がどこから来ているかと言えば、それは安倍首相や彼の支持基盤の歴史認識の問題から生み出されている、と言わざるを得ない。(p.47-49)


妥当な指摘である。



 憲法改正案の原案は、米国ではなくGHQの手によるものであり、GHQの独断によって急遽、作成されたのである。しかしそれは天皇制を象徴として残し、そのために戦争を放棄する条項を加えて初めて成立した。(p.107)


日本国憲法は「アメリカに押しつけられた」という、いわゆる「押し付け憲法」論に対する非常に興味深い反論である。また、象徴天皇制と戦争放棄とは対であり、前者を実現するための政治的手段として後者が加えられたという経緯が手短に示されている。



 第二次大戦で日本と戦った連合国の多くの国々は、東京裁判で天皇が起訴されるべきだと考えていた。しかし、マッカーサーは、天皇制を残す憲法をつくることを望んでいた。ただし、天皇制をそのまま残すことには連合国の賛同を得られないと考え、政治権力を持たない「象徴」としての地位と引き換えに、軍事戦略として日本が二度と戦争をしない保障として「戦争の放棄」を憲法で定めることを考えたのである(通称「マッカーサー三原則」)。
 ……(中略)……。
 しかし、軍人であるマッカーサーが戦略を考えずに「平和憲法」をつくるはずはない。マッカーサーは、天皇を政治権力を持たない「象徴」として残し、本土に戦争放棄と戦力不保持の憲法を制定し、これによって連合国の合意を得、そのうえで沖縄を米軍の強固な軍事基地にすれば、外国――当時はソ連であった――が日本本土に侵略しても、沖縄から米空軍を発動して本土の平和は護れると考えていたのであった。(p.113-114)


マッカーサー三原則の内容は、しばしば目にすることがあったが、沖縄の基地化までセットとして見る見方には、目を見開かされた思いがする。



 もちろん、ベトナム戦争も議会の承認なしに行われていた。それが合衆国憲法の権力分立にかかわる問題であることは言うまでもなく、そうした背景から1973年に戦争権限法が制定されることになった。
 同法は、大統領は議会の開戦宣言がないままに米軍による武力行使を行った場合、60日以内に議会の事後承認を得られない場合は、米軍を撤退させなければならない、という内容である。
 ここで、日米安保条約、なかでも五条の日本防衛義務、さらには周辺事態法(1999年)の定める自衛隊による米軍への後方地域支援義務が問題となる。……(中略)……。
 ……(中略)……。つまり、米大統領が、60日以内に議会の承認を得られないと判断して、日米の共同防衛作戦中に米軍が撤退を始めたとき、周辺事態法に従って後方地域支援に従事していた日本の自衛隊(あるいは国防軍)は、どうするのであろうか。(p.162-163)


アメリカ一辺倒の日本の保守派が検討すべき最大の問題かも知れない。



この湾岸戦争に際し、日本は90億ドル(最終的には135億ドル)もの巨額を拠出しながら、当のクウェートからは、いかなる「感謝」も受けられなかった。
 だが現実には、クウェートが日本を無視したのは当然のことであって、日本の支援額1兆1700億円のうち同国に渡ったのは6億2600万円にすぎず、九割以上は米国に流れたからなのである(『日経新聞』2014年4月27日)。とはいえ、「カネだけ出して汗も血も流さない」とのトラウマを日本は抱え込み、その後の「国際貢献」論に拍車がかかることになった。(p.192)


この事実はもっと広く知られるべきだ。



……(前略)……要するに、レーガン政権下の1983年頃から、ブッシュ・シニア政権下でイラクのクウェート侵攻が行われた前夜まで、イラクの穀物輸入に関わって米国政府が供与した総額50億ドルにものぼる債務保証をフセイン大統領が化学兵器開発や大量の兵器調達に充てていた、という一大スキャンダルなのである。
 事件の背景には、1980年に始まったイラン・イラク戦争があり、ホメイニ革命のイランに敵対するイラクを米国は「重要な友好国」と位置づけることになったのであるが、皮肉なことにその契機は、後に国防長官としてイラク戦争を指揮することになるラムズフェルドがレーガン大統領の「特使」として93年末[ママ]にフセイン大統領を訪問したことであった。……(中略)……。
 問題は米国だけではなかった。1988年にまで及ぶイラン・イラク戦争の最中、さらには戦争の終結後も、サッチャー政権下の英国、フランス、旧西ドイツ、旧ソ連などの軍需産業にとってイラクは格好の「兵器市場」となり、最新の軍事テクノロジーや関係資材、「二重用途」(dual use)の製品などが、文字どおりなりふり構わず売り込まれたのである。……(中略)……。
 要するに湾岸戦争とは、イランに侵攻した侵略者であり、米国務省でさえ「世界における最も野蛮で抑圧的な体制」と見做していた独裁者フセインが率いるイラクに対し、「兵器輸出諸大国」が膨大な可燃物資を売りさばき、その結果モンスターと化したフセインが大火事(クウェート侵攻)を引き起こすと、モンスターを育てた自らの責任は棚上げにして、「共同で消化に努めるのは国際社会の責務だ」と、恥ずかしげもなく言い募った戦争にほかならないのである。
 ……(中略)……。
 「イラク・ゲート」事件で明らかなように、日本はトラウマどころか全く逆に、フセインに対して一切の兵器を供与しなかったことに“誇り”を持つべきなのである。ところが、湾岸戦争の本質が、諸大国のなりふり構わぬ兵器輸出にあったという厳然たる事実があるにもかかわらず、それを無視し、その愚を繰り返そうとするのが、安倍政権が踏み切った武器三原則の撤廃に他ならないのである。(p.192-195)


「イラク・ゲート」事件発覚後の湾岸戦争に対する評価。

湾岸戦争とイラン・イラク戦争が地続きだという理解は重要。そして、この「地続き」となる媒介は諸大国による兵器輸出、イラクの武器市場化だったということ。アルカイダを育てたのもアメリカ、というのと構図的にはほぼ同じようなものだろう。


なお、引用文中に[ママ]と表記した部分は93年と書いてあるが、83年の誤りと思われる。



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