アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

広岡敬一 『戦後性風俗大系 わが女神たち』

戦後性風俗年表1

昭和20年(1945)
8月15日 終戦
8月18日 警視庁は、進駐軍兵士のための慰安設備について花柳業界代表と協議内務省は、各地方行政に進駐軍慰安設備の確保を指令
8月19日 東久邇内閣の副総理近衛文麿は、警視総監に日本女性の操を進駐軍の毒牙から守るよう依頼。
8月26日 花柳界代表が「特殊慰安婦設備協会」(RAA)の設立を決定。資本金一億円のうち5,500万円は国の保証により勧業銀行が支出。
8月27日 RAAは占領軍兵士の性的慰安設備として、大森海岸に料亭「小町園」を開業占領軍の進駐に先立つ三日前のことである。
10月22日 GHQの要請で、東京都は日本人売春婦に対する「性病予防規則」を制定。戦後都政が発令した第一号条例となる。(p.8)


第二次大戦が終結し、進駐軍が来るまでの間と来た直後、これほどまでに迅速に日本の(中央及び地方)政府が動いていたことに驚いた。

従軍慰安婦問題に関連して、最近韓国で「米軍慰安婦」の問題も出て来たという話から、「米軍慰安婦なら日本にもいた」という話を目にした(そのことが本書に書かれているということで、本書を手にとることになった)。本書のしょっぱなの年表から、それらしい話で埋めつくされていることに本当に驚いた。



 いま従軍慰安婦の問題がアジアの諸国から激しく批判されているが、その是非はともかく、こうした詮議に往々にして欠落しがちなのが時代背景だ。もともと日本は歴史的には“売春公認”のお国柄であった。江戸の昔から“遊廓”があったし、戦時中には占領下の国々に、“慰安所”があった。強制的かどうかを別にすれば、それまでは「売春は罪悪」という時代ではなかったのである。(p.9)


確かに、歴史を見る際には、その時代のその社会における考え方というものを内在的に理解することは非常に重要である。その点、戦中戦前の日本社会には、売春が女性の人権を蹂躙する行為であるといったような捉え方も十分に広まっていなかった、ということについて、これが事実であると呼べる蓋然性は高いと判断できる。

従軍慰安婦問題に対する国外からの批判の基本線は、現在の人権意識に照らして「過去の日本軍の行為が許し得ないものである」と評価しているところにあると思われる。この評価自体は誤っていないと私は考えるが、筆者の主張を私が展開すれば、「現在の人権意識に照らして許されないとしても、当時の価値観でそこまで求めるのは無理があった、ということは理解して――ほんのわずかなものになるだろうが――、相応の情状酌量はしてほしい」といった評価につながる。歴史的な客観性という観点から見ると、この評価は妥当なものと思われる。

日本国内向けの議論では、「強制連行」が朝鮮半島で行われた証拠は見当たらない、ということをもって、強制的ではなかった(だからそれほど悪いことではない?)などといった主張が一部で行われているように見える。これは完全に的が外れているとしか言いようがない。さらに、国内でも国外でも、この議論はナショナリズムと結びついた状態で叫ばれているため、性質が悪い。



 戦争終結から10日後、街の看板と新聞に募集広告が出た。
戦後処理の国家緊急施設の一端として駐屯軍慰安の大事業に参加する“新日本女性”の率先参加を求む。女子事務員募集、年齢18才以上25才まで。宿舎、被服、食料全部当方支給」
 広告主は、銀座に本部を置くRAAという団体だった。実体は分からないが、「就職できたとしたら夢みたいな話だわ」とメアリーは面接会場を訪れた。一日の応募者300人以上。RAAという団体は、じつは「特殊慰安婦設備協会」の略称で、募集事務員とは“進駐軍専用の娼婦”のことだったのである。そのことを面接で知らされると、大半の女性は驚いて立ち去った。ところが、困窮の極にあったメアリーは、あえて慰安婦の道を選ぶ。(p.11-12)


「娼婦」を「事務員」と呼ぶのは、明らかに虚偽と言ってよい。終戦直後は、未亡人や夫がいつ引揚げて来るかわからない中で子どもや親族の面倒を見なければならないような女性が多くいた。その困窮状態につけこんでいる点で、彼女たちの行った「選択」は、ある傾斜の中で行われたものだったと言うべきだろう。



 RAA経営の慰安所は、「小町園」を皮切りに、東京だけで25ヵ所。それを含めて全国の公的な慰安所は、約45ヵ所。慰安婦の数は東京で1,360人、全国では4,000人を超えた。
 国策売春の目的は、日本女性の純潔を占領軍兵士から守ることにあったが、それでも基地周辺では米兵による強姦が頻発した。神奈川一県に絞ってもその被害者は、年間300人以上。全国ではおよそ1,000人と推定される。しかし、この種の事件は、新聞では報道されなかった。報道記事は占領軍総司令部の検閲下に置かれており、不都合な記事はすべて差し止められたからである。
 RAA経営の公的慰安所は、日本女性の純潔を守る防波堤にはならなかった。戦災でわずかに焼け残った吉原、鳩の街など、都内の民間の遊廓にも米兵が進出しはじめたのだ。(p.18)


米兵による強姦というと、沖縄を想起してしまう。ここには連続性がある。

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/981-00461331
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)