アヴェスターにはこう書いている?
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川嶋康男 『七日食べたら鏡をごらん ホラ吹き昆布屋の挑戦』

「私は、ただものを買うというよりも、買う楽しみが必要なんだと思いますね。買ってさようなら、というのであればコンビニでいいわけですから。対面販売の楽しさというのは、人間同士の会話が楽しいから成り立つものです。そこで、ゆっくりと寛いでいただいて、お話しできる場所と考えて広い場所を確保しました。ただ、それだけでは面白くないので、昔の生活道具などガラクタを並べることにしたのです。(p.56)


基本的な考え方として、中東のスークやバーザールなどで普通に行われていることと近いように思う。正札販売かそうでないかという大きな違いはあるが。



 先にも述べたように、あちこちを見学して買い物をし、歩き疲れたがちょっと休むという場所が堺町通りにはない。喫茶店はあるが、無料でお茶を提供する店はない。そんな折に顔を出した店で、身体によい昆布茶と「アラジンの秘密」の味噌汁をサービスで飲むことができる。(p.97)


堺町通りとは、小樽の観光の中心である運河の近くにある歴史的な街並みが比較的残っており、現在はそれらを活用した土産物屋などが軒を連ねる通りであり、小樽に観光に行く人のほとんどが一度は足を運ぶ道である。

確かに言われてみれば、休憩に適した場所はあまりないかもしれない。実際、昨年、台湾から来た友人を観光案内した際も、「利尻屋みのや」を休憩所替わりに利用させてもらった。ある意味、店側の狙いどおりの動きをしたことになるわけだが、実際、特に台湾人に対してはお勧めできる店(台湾では昆布は珍しいようだ)だという私の見立ても当って、友人たちも買い物に満足していたようだった。今後も、必要があれば休憩しながら買い物も楽しむ場として活用させてもらいたいものだ。



モノを売るのではなく、コミュニケーションを活発にとれる場をつくることこそ商いの第一歩なのだと、自ら鉄則にしてきた方針を貫いているだけに23坪ものスペースを惜しげもなく開放しているのだ。それゆえ、どの店舗も売り場面積より休憩場所のスペースを広くしている。(p.99)


コミュニケーションを重視視している点はすでに引用済だが、売り場面積より休憩場所を広くしているというのは、言われてみればそうなっていることに気づき、なるほどと思わされた。スークやバーザールだと休憩所となるチャイハネなどが随所にあるので、店は商品が高密度に並べられている。この点もスークと「利尻屋みのや」の大きな違いかもしれない。



 北海道の観光土産の定番となっているメロン・カニとは異なり、昆布は地味な商品である。国内生産量の93パーセントを産する北海道にありながら、じつは地元消費は極めて少ない。(p.124)


あまり気にしたことがなかったが、確かに昆布を使う料理は多くないかもしれない。



 大正期、小樽には雑穀商が190店あり、海産商の130店を超えていたという。(p.154)


十勝地方との鉄道で繋がったことで、小豆などの取り扱いが多かったからだろうか?いずれにせよ興味深い。函館は長期にわたって漁業と関連の深い港であるのに対し、小樽港は一般的な物資の扱いの方が多い港だったことも関係するかもしれない。



妙見川をまたぐ橋からはじまる堺町通り、つまり「色内大通り」から「小樽オルゴール堂」までの約2.5キロメートルを「大正時代の街並み」に戻そうというのが、蓑谷のそもそもの構想であった。
 「行政ともタイアップしてやりたい。行政は、条例を整備してやりやすくしてくれればいいだけです。投資は民間がやります。つまり、行政にとっては一番金のかからない方法なのです」
 ……(中略)……。この小樽ルネサンスのキャッチコピーが「街並みは産業・街並みこそ文化」である。そのために五億円の借金をして、核となる施設「出世前広場」を造った(p.176)


興味深い構想。大正期は小樽にとっては黄金期で、様々な歴史的建造物がこの前後に建てられてたものだから、かつてその場にあったものを再建したり復元したりできれば、この上なく町並みは整備される。

「出世前広場」は数年前、気づいたらできててい驚いたことを覚えている。こうしたコンセプトに基づいて作られていたものだとは知らなかった。



 同じ棟の奥も、現在テナント募集中ということだ。1919(大正8)年に造られたもので、日本海に面し、かつて「鰊の千石場所」とも言われた寿都町にあった清水薬局の土蔵を移築したものだが、栄華を物語る建物としてリサイクルされている。(p.187)


「出世前広場」内の建物について。本物の古い建築を移築したものを使っていたとは知らなかった。今度、じっくり見学してみたい。



 漁業用のゴム合羽やゴム手袋、ゴム長靴といったゴム製品が北海道の漁業を支えてきた。また、厳寒となる冬季の北海道において、日常生活に欠かせないものがゴム長靴であった。そして、進化したゴム長靴は、スキーの本場北海道でその文化・振興に貢献するなど、「商業で黄金時代を築いた小樽に近代工業あり!」との名声を得ることにもなった。ミツウマは、小樽のモノづくりの信頼を全国にアピールしてきたと言える。(p.201-202)


ミツウマという歴史のある会社に関する記述より。なぜ小樽にゴム製品の会社があるのか不思議に思っていた時期があったが、やはり漁業との関連だったようだ。この辺は、もっと詳しく知りたい問題。



 優れた外交手腕を持つ榎本は、留学経験のあったオランダを新国家の手本としました。オランダの面積は、北海道の約半分程度でありながら海軍力で世界に進出し、貿易立国として栄えていました。榎本は以前から北海道の豊かさを熟知しており、含み資源と開拓、西洋式農業の導入などで旧幕臣らも、十分な暮らしを立てられることを前提に、新独立国家構想をぶち上げたのでした。

 主な産物としては、豊富な農産物と海産物に加えて、石炭、火薬原料となる硫黄などもありましたが、このとき、蝦夷地の輸出総額の三割を占めていた物こそ、わたくし『昆布』でした。(p.259)


オランダを手本としたというのは、江戸時代から蘭学が入って来ていたことや、江戸時代から通商があったことも影響しているのではなかろうか。

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