アヴェスターにはこう書いている?
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小林正弥 『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』

 日本における戦後の知のブームについて考えてみると、早い時期にはまずマルクス主義の流れがあって、左翼的思想が隆盛を極めていた。この系譜において、最近まで思想界の中心にあったのは、ポスト・モダンと言われるようなフランス系の現代思想であった。しかし、このポスト・モダン思想においては、「私たちはどう生きるべきか」「政治経済はどうあるべきか」といった問いに建設的な答えを見出すことはできないように思われる。そもそもポスト・モダンは、そういった理想や真理の体系を批判する所から生まれた知だからである。原理的に理想を見出せない思想は、いわば知の自殺行為とも言えるのではないだろうか。(p.29)


ポスト・モダンに対する評価としては概ね妥当と思われる。むしろ、ポスト・モダンによる過度の相対主義の傾向は、道徳的空白を作り出すことに積極的に寄与しており、右派の国粋主義的で全体主義的な主張の跋扈を助長しているとも言える。



 なぜ日本では政治哲学が導入されなかったのだろうか。どうやら、「多くの学問が導入された明治時代には、政治哲学を研究すると、すぐに主権とか天皇制の問題などに触れてしまうので、その危険を避けた」という説が有力である。戦後は主権在民となったにもかかわらず、明治以来の学問的伝統が影響を及ぼしているのである。(p.31)


私自身、哲学書を読み漁った時期にも、政治哲学の本はあまり読まなかったし、あまり興味を惹かれるほどのものとは出会えなかった。むしろ、政治や行政の問題に取り組む中で、政治哲学にも関心が拡がり、サンデルの思想を知ることでそれ以前に信奉していたリベラリズムの限界を認識するようになったという経緯がある。



ミルによれば、高級な喜びと低級な喜びという相違を認めることは、功利主義という考え方の改良である。だが、そもそも功利主義は、一つの基準によって、望ましさを判断するものではなかったか。だとすると、喜びに量的な違いではなく、質の違いをも考慮するような考え方は、もはや功利主義とはいえないのではないか。(p.50)


妥当。ミルの議論に、高級な喜びと低級な喜びとは、コミュニティによって決まる(部分がある)という要素を付け加えると、(功利主義というより、むしろ)コミュニタリアニズムの枠内の議論になると思われる。



 一般にネオ・リベラリズムは、市場の効率を最大にして経済成長という結果を実現するという経済学的な議論なので、その点では哲学的には功利主義ないし帰結主義の考え方に近い。これに対して多くのリバタリアニズムは哲学的な原理を主張しており、自由型正義論ないし義務・権利論の一種である。特にレーガン政権以降のアメリカでは、リバタリアニズムとネオ・リベラリズムとは、共に民営化・規制緩和や減税・福祉削減といった政策を支持し推進してきたので、あまり区別はされないこともあるが、論理的には上記のような違いが存在する。簡単に言えば、ネオ・リベラリズムの論者は経済成長という結果を可能にするためにこれらの政策を主張し、リバタリアニズムは主として自己所有に基づく正義を実現するために課税に反対する。(p.58-59)


なるほど。同じ政策を主張・支持するので通常は区別されないが、論理的にはこうした区別を立てることができるわけだ。

一般的には、ネオリベとリバタリアニズムは、同じ論者がアドホックに都合の良い方の議論を使って自分の支持する政策を擁護しているのではなかろうか。

問題は、一つは、ネオリベの発想に立って政策を推進すると「経済成長」という結果はむしろ遠のく場合があり、現代の日本はその事例だということである。ネオリベは事実認識のレベルで誤っている。そして、リバタリアニズムの問題は、自己所有の原理が事実としては成り立っていないために根本から誤っていることだろう。だから、どちらの立場も支持し得ない、というのが私見である。



 しかし、滔々たる政治科学の流れの中では、こうした政治哲学は時代錯誤と思われていた。ところが、1960年代後半から、ベトナム反戦運動や公民権運動が燃え盛るにつれ、アメリカのそれまでの正統的な考え方が様々な領域で疑われ始めた。政治に関しては、多元主義論をはじめとする政治科学は、アメリカの政治を基本的には進んだ民主主義的なものと考えており、他国がそれを見習うべきだとしていた。だからこそ、政治に理想や規範を掲げる政治哲学の必要性はアメリカ国内についてはあまり感じられず、現実の民主政治を経験的に分析することが政治学の役割と思われたのである。
 しかし、そのアメリカがベトナム戦争を行ったり、実は黒人差別問題を内包していたことが批判されたので、それまでの政治科学、さらには社会科学全体に対する反省が生じた。そして、政治の理念や原理を根本から考え直す機運が生まれた。これが、ロールズの『正義論』の出現の背景であり、彼の提起した契約論的な論理により政治哲学が復権したのである。(p.99-100)


「進んだアメリカを見習うべき」という発想は、戦後の60年代まで特に有力であり、冷戦構造の中で西側陣営に諸国をとどめておくためのイデオロギーだった「近代化論」の発想全般の特徴である。

ポスト・モダンへも繋がっていった「疑い」(問い直し、考え直し)が、政治哲学ではロールズの議論の登場へと繋がっていったというのは興味深い。



 功利主義は、英米圏の哲学でも圧倒的な影響力を持っていたが、人権については、確固たる論理を提供することが難しかった。(p.101)


功利主義の最大の弱点の一つ。



実際の人間は他の人にも関心があるから、普通の社会保障の議論では、「貧しい人がこのままでは可哀想だし非人道的だから、貧者を助けよう」と考える。ところがロールズの議論では、仮設的な状況の下で、「他の人に無関心で、他の人の利益は考えず、あくまでも自分の利益を合理的に考える」という人間主体を想定するのである。
 普通は、自分のことだけを考える人は、「貧しい他人はどうでもいい。自分さえ豊かになればいい」と考える利己主義的(エゴイスティック)な人間だ、と思うだろう。ところが、ロールズは非常にパラドキシカルな工夫をしていて、他人に無関心で合理的な主体を考えながら、自分に「無知のベール」がかけられているために、その合理的な主体は自分が最悪な状況に置かれている場合を考えざるを得なくなって、「格差原理」に合意するのである。そのため、この原理は、現実の世界に適用された場合には、最も貧しい人のためになる内容になっている。
 このような思考は、普通の状況で考えれば、「最も惨めな人の立場になって考える」ということであり、「その人の利害を自分のそれと同一視する」ということを意味している。これは、普通の人にはなかなかできないことである。それを可能にするのが、原初状態という仮設的状況なのである。カントが格率[行為の個人的・主観的な原則]に対して普遍化可能性のテストを行うのと同じように、ロールズは原初状態という仮設的状況を想定することによって、合理的な人間が最も貧しい人の身になって考えるということを可能にしたのだ。
 ここはとても大事なところで、英米の政治哲学者の多くは、ロールズも含めて、「他の人ではなく、自分の合理的な利益を考える」人間像を想定する。主流派経済学でもやはり、利益の最大化をいわば公理として考えている。そのような考え方に基づく合理的選択理論(公共選択理論)も発展しており、ロールズもそのような流れを意識して自分の議論を展開している。
 仮にロールズが、「可哀想な人のために福祉を行わなければならない」というような議論を提起しても、彼の『正義論』のようなインパクトは持たなかっただろう。あくまでも、他人に無関心で、合理的な主体を想定しているからこそ、「誰もがそれなら合意するだろうし、その結果が福祉擁護の議論になる」と考えられて、大きな影響を与えたのである。(p.118-120)


なるほど。



 この革新主義運動の中から現れ、その後で進展していくのが消費者主義であった。これは、共和主義のように公民性を重視するのではなく、消費者の利益ないし経済的満足を実現しようとする考え方で、経済的豊かさとその公正な分配を目指すものである。これは「公民性の政治経済から消費者福利(consumer welfare)を目的とする政治経済へ」という変化を意味し、成長や分配的正義を重視する今日の政治経済への出発点となっていく。(p.199)


消費者の利益を強調する考え方とリベラリズムとの相性の良さには注目すべき。例えば、行政などでも民間企業に倣って「顧客満足度」を高めるという考え方が強調される場合がある。この考え方では、「顧客」の利益や権利を守ることには繋がるという点で功利主義やリベラリズムの利点が現われるが、共和主義的な公民性のほか、恐らく行政にとって最も重要な価値の一つである「公共性」への配慮が薄くなるという問題が生じると思われる。

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