アヴェスターにはこう書いている?
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井澗裕 『サハリンのなかの日本 都市と建築』

 この論点のキーワードは「城下町」である。結論を先に言えば、札幌も豊原も城下町として建設されたのであった。札幌を「最後の城下町」とみなす説があるが、本当に最後の城下町は札幌ではなく、豊原である。それが札幌と豊原の第三の共通点でもあり、違いでもある。
 城下町とは、ただ「城」がそばにあるというだけではなく、武士や町人などの身分に応じて居住地が区分されているという構造的な特質も重要である。城を持たない札幌が城下町とみなされる理由は、開拓使本庁舎や北海道庁を「城」に見立て、その周囲の官用地を武家地に、民用地を町人地と考えるなら、その基本的な構造は江戸時代と変わらないためである。
 ……(中略)……。ただ、札幌の場合は開拓使庁舎や北海道庁庁舎(有名な赤レンガ庁舎)が明らかに「城」と位置づけられ、通りからの眺望(ビスタライン)でその搭屋が見えるようにという位置的な工夫が見られる。(p.28)


なるほど。札幌は城下町として建設されたのか。確かに、道庁赤レンガは北三条通などから見通せるようになっている。

日本の(伝統的・歴史的な)都市については不勉強なこともあり、城下町と同じ構造だということにすら気づいていなかった。



 札幌と豊原の大きな違いは、北海道・札幌は軍事行動なしに取得した土地であったのに対し、樺太・豊原はロシアとの戦闘によって得た土地であったということである。(p.29-30)


北海道のほとんどの土地を軍事行動なしに領土とした点が、植民地としての北海道の特殊性ではないかと思う。そうした記憶に残る大きな事件がないままに領土とされたためか、北海道という土地は、植民地としての性格を持っているということすら人々の脳裏に浮かばない傾向すらある。



 ちなみに「最後の城下町」と呼ばれる札幌では、こうした官民の住み分けは早々と崩れていたが、豊原は最後までそのままであった(こうした違いの背景には北海道と樺太の土地制度の違いなどがあると思う)。(p.34)


もう少し詳しく掘り下げて調べてみたい。



気候的には大差のない北海道と樺太だが、建材という点で見ると大きく明暗が分かれていた。
 北海道は開拓初期から幸運に恵まれていた。札幌と小樽の近郊では良質な軟石や粘土が豊富にあったから、早い段階でこれを建材として活用してきた。そのあらわれが、今ではすっかり観光名所として有名になった小樽運河の倉庫群や、北海道のシンボルとも言える赤レンガの北海道庁旧庁舎である。手近のすぐれた供給地はこうしたものを生み出す不可欠の素地である。
 反対に、樺太の不幸はそのどちらにも恵まれなかったことだ。全島の九割が森林という事情も手伝い、必然的に庁舎も商店も住宅も木造を選択せざるを得なくなる。基本的に船頼みという運搬費用を考えるなら、煉瓦造や石造はどうしても高くついた。
 こうした事情は1920年代に入ると変わっていく。きっかけとなったのは、製紙工場の不燃化であった。……(中略)……。煉瓦や軟石は高くて無理でも、セメントはそれほどは高くつかない。……(中略)……。モルタル市街への更新はある意味で当然の成り行きであった。(p.35-36)


小樽・札幌と樺太の建築素材に関する興味深い考察。ちなみに、1920年代からの樺太のモルタル市街化への動きが指摘されているが、同じ頃、小樽では木骨石造やレンガ造からコンクリート造への変化が起こっていた。



 1943年に樺太は植民地ではなくなった。行政上、本国(内地)に編入されたのである(その意味で、沖縄戦が唯一の本土戦であったという表現が時折用いられるが、それは間違いである)。(p.38)


こうした表記を見ると、いつものことだが、「台湾はどうだったのだろう?」と考えてしまう。



 建築architectureとは、空間変容のための技術体系と、その成果の総称である。つまり、社会や生活のために既存の空間をつくりかえるためのテクノロジーと、それによってできたものを建築と呼ぶ。たとえば、自然の洞窟は建物でも建築でもないが、そこで暮らすために敷物を敷き、物置や棚をこしらえ、風雪をしのぐ扉をたてつけたなら、それは建物ではないが建築と言える。橋や道路や港湾や鉄道なども広い意味で建築であり、建物buildingはあくまでもそうした建築の手段の一つに過ぎない。
 それゆえに、建築の成否を握るのはそこを利用する人間たちの空間に対する要求である。とくに都市の中の建築が長生きできるか否かは、構造的性能的限界や老朽化より先に、時とともに変わってゆく空間への要求に対処できるかどうかで決まることが多い。(p.44)


前段の「建築」についての考え方は興味深い。目的と結果(効果)から定義している。

後段もなるほどと思わされる。

小樽運河と倉庫群について言えば、運河も倉庫もあまり使われなくなったが、その空間も止揚する要求がなかったため、そのまま放置された。その結果、倉庫が群として残った。

台湾の日本統治時代の建築にも私は興味があるが、これについても本書の観点から考察してみると面白そうだ。



 都市も建築も生活や社会を入れる「器」である。だが、いつのころからか私たちは器に美を求めなくなっていないだろうか。美しい建築が街にとってどれほど大切か、この博物館は教えてくれている。ユジノ・サハリンスクの新婚カップルはここで記念写真を撮る。それは彼らにとって、この建物が誇りに思えるほど美しいからである。(p.50)


美しい建築、そう問われると、街のシンボルになるほどの写真ばかりを探してしまい、実感切れとなってしまった。


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