アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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キム・ナンド 『最高の自分をつくる人生の授業』

 人間の幸せは絶対値では決まらない。昨日よりもっと、期待よりもう少し、成長することで何かを手に入れたとき、人は幸せになるのだ。(p.96)


絶対値ではなく、成長しているという実感が幸せ(ないし生きがい)と関係が深いという認識は重要。引用文に付け加えておきたいことは、成長していても、そのことが感じられなければ幸福感(ないし生きがい)には繋がりにくい、ということくらいだろう。



 「1対29対300の法則」ともいわれるこのハインリッヒの法則は、リスク管理において、とても重要な理論だ。大きな事故は偶然起きるのではない。その裏には29回の小さな事故と300回の危険な状況があるということなのだ。
 この法則は、小さな兆候でも見逃してはいけないという教訓に使われる。(p.98-99)


この理論によれば、小さな事故が起こった場合でもその10倍の危険な状況があるということになる。事故が起こっていない場合でも、危険な状況は頻繁に起きている。それを放置しないことが重要だ。



何の準備もしていなかった成功はすべて危険だ。
 ……(中略)……。
 若くして成功したスターが落ちぶれていくニュースに接することは多い。この悲しいニュースは、準備できていなかった成功の裏面を見せてくれている。
 スポットライトがまぶしいほど、影も長く、濃くなる。華々しいステージに立たされたときに、ぼくらが直視すべきなのは、照明ではなく自分の影だ。
 華やかな照明だけを見ていると、目がくらんでしまう。それは、世の中をきちんと見られなくなるということだ。そして、いつか自分自身のこともきちんと見られなくなる。(p.114-115)


同意見である。



この「ランキング思考」を捨てられない大学生は、同じマインドで企業をランキングし、上位の企業に入社できないと再び絶望する。
 まったく非効率なエネルギーの消耗だ。なぜなら、人生でいちばん重要なのは、最初の職場じゃなく、最後の職場だからだ。(p.123)


確かに、最初の職場より最後の職場の方が重要だろう。だが、さらに重要なのは、どこの職場で働くかということではなく、その職場で何を学ぶことができたか、ということだろう。多くのことを学びうる職場が良い職場である。

大学のランキングを企業にも当てはめてしまうということがこの引用文の最初に述べられているのだが、大学の良し悪しというのも、同じことで、多くのことを学びうる大学が良い大学である。その可能性が高い大学とはどういう大学かというと、優秀な人材が集まる環境の方が友人や教師たちから学べるものが多いと見込める。だから、優秀な学生が集まり、優秀な教師がいる大学は良い大学なのである。偏差値は学生の優秀さの代理指標としてはある程度使えるだろう。



 幸福感というのは、たくさんのことを成し遂げれば大きくなるものではない。期待に対してどれくらいのことを成し遂げたのかで幸福は決まるのだ。
 数学の公式のように表現すればこうなる。
 
 幸せ=成果÷期待

 この公式によれば、幸せには二つの条件が必要となる。ひとつは「成果をできるだけ大きくすること」、もうひとつは「期待をできるだけ小さくすること」だ。(p.157)


成果を大きくし続けることは非常に難しい。「足るを知る」という言葉もあるように、期待を大きくし過ぎないことは、幸福感を持って生きるにあたって非常に重要な知恵だと思う。



 結婚情報会社の調査によると、お金、家庭環境、年齢、外見を第一条件に挙げる夫婦の離婚率は高いそうだ。条件から始まった結婚は危なっかしいのだ。(p.180)


こんなことは当たり前すぎるが、一言で言うと、「条件を付けている=初めから相手に要求している」ということが根本原因である。協力して関係を築いていこう、という姿勢がないのだから、まともな人間関係が続くわけがない



 結婚生活がスタートすると、どうしても相手を自分の親と比較することが多くなる。配偶者への失望も、親との比較からはじまるのだ。妻の側は「お父さんはそうじゃなかった……」、夫の側は「何で母さんみたいにしてくれないんだ?」という愚痴から不満が始まる。
 夫婦の役割というのは、両親を長年観察して学習するものだから、こういう結果になる。知らず知らずのうちに、両親が価値基準になっているのだ。だから、自分の両親と同じ人間的長所を持った人なら、落胆する可能性は低くなる。(p.181)


なるほど。理に適っている。



 自分が大切にしている人間的長所を持った相手を見つけ、お互いの価値観を共有し、同時に相手への配慮を忘れることがなければ、温かい人生を手に入れることができる。(p.182)


文にすると長くはないが、行うのは難しい。



 当時感じたのは、育児というのは、全身全霊を捧げる必要があるということだった。ひとつの生命を育てるというのは、真心を要求されることなのだ。
 まだ言葉を話せない赤ちゃんの頃は、寝息や心臓の音をチェックしなければならない。歩いて、カタコトを話し始めたら、いつも子供の目線に合わせ、子どもの興味に相づちを打つ必要がある。育児が大変なのは、日常の延長のように適当に済ませられないからだ。(p.222)


確かにそういうところがある。ただ、うまく息抜きというか、手抜きというわけではないが、複数の人間で協力し合うことで、常に緊張状態にはならないでやっていけるようにすることも重要と思われる。すなわち、子どもと相対するときは、真剣勝負だが、その真剣勝負を他の人に任せて一人で落ち着いていられる時間が持てることが重要。

本書でもワーキングマザー、特にひとり親の場合、この環境が作りにくい、というような議論がこの後に続いていく。



 夫は家事を“手伝う”のではなく、責任を持って“分担する”のだ。(p.225)


そりゃそうだ。担当していない家事をする場合だけが「手伝う」に該当する。



 子どもの頃は、誰かが買ってくれないと欲しいものを手に入れることができない。絶望的な状況だが、長所もある。大人が、その商品が本当に必要かどうかを判断し、制御してくれるからだ。
 でも、大人になって収入ができ、支出が自由になると、ローンを組んででも購入できる。これは諸刃の剣だ。大人になると消費を制御しくれる人がいなくなるのだ。消費は、大人になって直面する難しい課題のひとつなのだ。(p.246-247)


なるほど。ただ、子どもの頃であっても、大人が本当に十分な判断力を持っているとは限らない。大人になってからも消費という課題を克服できない人はかなりいるのだから。

小中学生にスマホを持たせて、ネット依存症になったり、SNS等で人間関係のトラブルや事件に巻き込まれたりといったことがテレビなどでもしばしば話題になっているが、スマホのような「自由なおもちゃ」を十全な判断力と責任能力がない年齢層の子どもに買い与えるということ自体、大人の側の判断力のなさを物語っていると思われる。



現代は“果てしなく消費を勧められる社会”となったのだ。(p.247)


この認識は重要。マイケル・サンデルも社会のあらゆるものが市場化し、売買できるし、売買しても良いという発想が浸透していることに警鐘を鳴らしているが、同じような問題点を突いている。



 大人に必要な教育をひとつ挙げろと言われたら、ぼくは「消費者教育」を挙げたい。正しく生きるためには、まず正しい消費者になるべき時代だからだ。
 消費は人が大人になったことを確認できる、いちばん確実な証拠だ。同時に、幸せな大人になるために越えなければならない障害物でもある。大人になったら、消費の欲望を制御するのは自分しかいないからだ。(p.248-249)


なるほど。何でも買わせようとする時代ということは、消費への欲望が常に刺激される社会に生きているということである。「幸せ=成果÷期待」という公式に照らすと、「期待」の部分が膨張しやすいということだから、幸福感はそれだけ少ない社会に生きていることになる。その消費欲を制御するための教育が重要だ、ということか。



 こんなにおもしろい番組をつくっている放送関係者の方には申し訳ないが、テレビは“怠け者の最後の趣味”だ。努力も体力もいらない。……(中略)……。
 テレビは危険な趣味だ。つけるのは簡単だが、消すのは簡単じゃない。典型的な“時間泥棒”の趣味なのだ。
 ……(中略)……。
 大切なのは、自分が余暇を通じて新しいおもしろさを感じ、その経験を通じてどれだけ成長できるかだ。(p.258-259)


同意見である。

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