アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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キム・ナンド 『つらいから青春だ』(その3)

キープする何人もの人のなかから、学歴だ、外見だ、家がらだ、などという「属性」をすべて検討してから選択した結果が、ただだれかひとりとであってつきあう場合よりも、なぜうまくいかないのか?
 答えは思いのほかシンプルだ。人はショッピングする対象ではないからだ。人間関係はショッピングとはちがう。人間関係というのはいいパートナーを「選択」することではなく、いいパートナーに「なる」ことだ。友だち同士でもそうだし、恋人同士ではなおさらだ。それなのにいつもみんな「損をしない」選択をしようとする。けれども、関係というのは相互に与えあうものだ。相手も損しなくないと思ったなら、たがいに幸せになる選択はできなくなってしまう。(p.108-109)


同意見である。ただ、この程度の簡単なことも弁えていない人間が余りに多いことには閉口することがある。恋愛依存症的な言動をする人々は全て例外なく、この程度のことを見て取ることができないでいる。



だれかを「管理」できると信じるのは、いっけん、たいした自信のようだが、じつはとても卑怯な生きかただ。自分を投げだして愛する勇気がないということなのだから。
 ……(中略)……。愛する勇気と責任を知らない卑怯な相手とは、それ以上の未来はない。(p.110)


まったく同意見である。



 このように、決意を実行するのが難しいのは、決意の大部分が、自分の「習慣」をかえようとするものだからだ。習慣をかえることは難しい。日本の生物学者、石浦章一氏によると、習慣をかえるには脳の仕組みをかえなくてはならず、そのためには最低一カ月はくりかえす必要があるという。……(中略)……。
 わたしたちはなにかをするためにまず、決心、すなわち心を決める。……(中略)……。
 だが、生きかたは決意ではない。練習だ。ちょうど水泳をおぼえるのと似ている。本でうまく泳ぐ方法を完璧におぼえて、「明日からはうまく泳げるぞ!」と決意すれば、水泳選手のパク・テファンのようになれるだろうか?もちろんそんなことはありえない。泳ぎがうまくなるためには練習しなければならない。毎日毎日練習して、少しずつ自分自身をかえていかなければならない。(p.147-149)


単なる決意にはほとんど意味がない。毎日の練習の積み重ねによって習慣を作り変えていくことによってこそ、自分をつくりかえていく――すなわち成長する――ことができる。



 韓国では大学に進学すると人間関係の問題がようやく本格的に現れてくる。まず、大学には固定したクラスがない。幼稚園から高校まではクラス中心の毎日だった。三十~四十人ほどのかぎられた共同体のなかで、ケンカし、仲直りし、好きになって憎んで、そうしてもまれながら一年をすごす。ところが、大学ではそうしたクラスがない。
 クラスがないというのは、量的にも質的にも大きな変化だ。友だち関係、先生との関係がすべてだった小学校、中学、高校では、人間関係のパターンが比較的単純だ。けれども、大学に入り、成人してからは、異性の友人、同性の友人、先輩、後輩、教授、職場の上司、同僚、外部の協力者など、かなり親しい一次集団的な関係から、仕事で知りあうきわめて機能的な関係にいたるまで、人間関係が大幅に広がる。
 人間関係の幅がぐっと広がり、であう人の数も飛躍的に増えるいっぽうで、個々に接する時間と機会は大きく減っていく。だから、以前のような親密な関係を結ぶのが難しくなる。一度の失敗で関係がこじれると修復もたいへんだ。そのためか、中学高校、小学校時代の友だちくらい親しい関係はないともよくいわれる。(p.153-154)


なるほど。日本でも同じではなかろうか。大学の受験生や新入生には、こうしたことを知らせた上で、この状況に対する心構えなどを伝えたい気持ちになる。



むしろ、中学、高校で学べなかったさまざまな人間関係を経験すべきだ。
 ……(中略)……。オンラインには、それなりに強力な影響力やおもしろさがある。だが、オンラインにはオンラインなりの、オフラインには実生活ならではの、人間関係の可能性と必要性がそれぞれべつに存在するのだ。(p.157)


前段は一つ前の引用文と関わる。現在の私から見て、大学に進学する意味とは、「自分以上の人間と出会うことができる可能性が高い場に身を置き、そうした人間と対等の関係を築くチャンスを得る」ということであると思う。

義務教育は、社会の底辺に近い社会層からそれなりの生活ができる社会層まで比較的幅広い層の人間が交わるという意味がある。高校は学力によるランク分けがハッキリするので、社会的背景は似てくる。大学もその点は同様で、ある程度以下の生活水準しかない社会層の子弟は極端に少ない。逆に言えば、ある程度は自分の能力を伸ばすことが社会的に可能だった学生たちが集まるそういう中で切磋琢磨するチャンスが大学にはある。職業に就いてしまうと、より機能的な集団としての側面が強いので、人間関係も仕事に係わる場面での交流が大きな位置を占めやすい。大学では、そうした限定が少ないため、優れた人間と出会ったとき、より全面的に知りあうことができる機会を得やすい。発想の鋭さや独特さに驚かされることもあるかも知れないし、頭や気分の切り替えの力に驚くかもしれない。そういう中で自分も伍していこうとすることで成長が促される

後段のオンラインとオフラインの関係については、オンラインの関係は住居が離れていたりする人たちとのコンタクトがとりやすくなるため、お互いを意識し合って友人関係を続けやすくなるというのが最大のメリットだと思う。私の場合、旅先で知りあった日本人旅行者や現地人の友だちとの関係を維持し、深めていくために活用している。



いい友だちとは、そして、かわらない人間家計とは、どこかに探し求めるのではなく、努力して、いっしょにつくっていくものだ。(p.159)


その通り。これは友人関係に限ったことではない。



 意味のない習慣になっている趣味を「唯一の楽しみ」といういいわけでごまかすな。この世で最大の楽しみはなんだと思う?それは成長する楽しみだ。成長にどうしても必要な栄養である「時間」をうばう行動は、ほんとうの楽しみではない。たんなる時間つぶしが増えるほど、きみの存在の厚みはうすくなる。無意味にくりかえされる趣味、時間つぶしはいますぐやめろ。(p.181)


この著者とは価値観ないし考え方が非常に近いと感じる。



 挫折によって成長するんだ。うまくいっているときはだれも自分をふりかえらない。失敗を経験してそのときはじめて、なにが問題だったのかを反省する。そうしてこそ自分の成長のステップにできるんだ。だから、人生全体をみれば、ものすごい大失敗より、あいまいな成功のほうが、ずっと危険だ。(p.202)


私の人生訓の中で比較的大きな意味をもっている言葉の一つに、哲学者カール・ヤスパースの言葉「人間が挫折をどのように経験するかということは、その人間を決定する要点であります」というのがある(草薙訳『哲学入門』p.28)。このように、私が実存哲学から受けた影響の部分と、この著者の考え方が非常に強く共鳴している。



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