アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

マイケル・サンデル 『ハーバード白熱教室 世界の人たちと正義の話をしよう+東北大特別授業』

成績向上のための金銭的インセンティブのほうは、どれもあまりうまくいかなかった。一方で、本を一冊読むたびに二ドルもらった八歳の生徒たちは、実際に本をたくさん読むようになった。どんどん薄い本を選ぶようになったのだが。(一同笑)
 だが一番の問題は、本を読んでもお金をもらえなくなったとき、子どもたちがどうなるかということだ。(p.44)


学ぶことによる成長が本来の目的であり、学んだ結果の状態を確認し、その後への反省のために成績の評価が行われるのが本来の姿である。成長の手段が学習であり、学習をよりよくするための手段として成績評価がある。

これに対して、成績向上のために金銭を与えるというやり方は、学習する主体であるはずの子どもの側から見れば、お金をもらうための手段として勉強を行うということになる。学習が金銭取得という目的のための手段となっている。この場合の「勉強」は、成長を目的とする学びの場合とは異なり、「外部(金銭を支払う評価を行う人)から見て一定の基準を満たしいているという姿を見せること」が主な活動となる。その結果として、成績向上に結び付くような内容を習得することよりも、一定の外形的な見かけの状態を作ることを行うこととなり、結果として学ぶべき内容を習得(成長)できず、その結果として成績も向上もしない、ということになるのだろう。

金銭的インセンティブに限らず、勉強した形を残すことに対して短期的な評価を行い、「そうした評価に基づいた意味づけを行った遊びに連れて行く」などの報奨を与えるという行動を続けることによって、学ぶということがどういうことなのか全く理解していない子供が育つことがある。その場合でも、小学生くらいの間はよほど基準を下回らない限りテストの点数も80~90点くらいは誰でもとれるが、次第に中学や高校へと進む頃になると、そうした活動をしてきた子どもとそうでない子どもの間にはっきりとした違いが現れてくる。誤った習慣づけをされた子どもがここから転換することは極めて困難となる。

これは子どもの勉強に限ったことではなく、大人の仕事の評価についても同じだろう。成果主義的な発想がうまくいかない事の説明も以上と全く同じ形で行うことができる。



 長いあいだ、スイス政府は核廃棄物処理場を建設する場所を探していた。しかし、そんな施設を抱え込みたいというコミュニティはなかった。最終的に政府は、処理場建設にもっとも安全な場所として、スイス山中のある小さな村を候補地に選んだ。……(中略)……。そこで建設地決定の前に、政府はその小さな村の住人に調査を行った――「あなたの村が核廃棄物処理場の建設地として選ばれたら、受け入れに賛成票を投じますか?」
 さまざまなリスクが伴うにもかかわらず、51パーセントの住民が受け入れいると回答した。
 続いて、調査員は二つ目の質問で「アメ」を付け加えてみた。「この村が核廃棄物処理場の建設地に議会で選ばれた場合、村民一人ひとりに毎年補償金を支払います」――ちなみに、提案した額は一人当たり6000ユーロ。「それなら核廃棄物処理場の建設に賛成してくれますか?」
 ……(中略)……。
 現実はこうだった。補償金をプラスした二つ目の質問では、処理場の受け入れに賛成と答えた人は51パーセントから25パーセントに半減した。つまり、標準的な経済分析とは矛盾する結果が出たわけだ。標準的な経済分析によれば、ある負担を受け入れてもらうための金銭的インセンティブや金銭の提供は、受け入れの意欲を増すことはあっても、減らすことはないとされる。しかし、この調査では賛成が半分以下になった。(p.45-46)


インセンティブを与えれば、その通りに誘導できるという考え方自体が必ずしも成り立たないということは重要な指摘。なお、この点も住民の受け取り方を考慮した上で目的論的に整理すると説明が付きやすい。



男子学生6
 ……(前略)……。しかし、僕たちは共産主義社会に生きています。共産主義の定義は、誰もが高い道徳心を持つことですから、(一同笑)経済的な利益を犠牲にしてでも道徳や国や社会への貢献を選んでも不思議はありません。(p.47)


一つ前の引用文でサンデルが中国の学生たちに求めた質問に対する学生側の回答より。共産主義の定義として、述べられている内容が日本での一般的な理解とあまりにかけ離れているのが興味深い。中国の学生たちもこれに対して笑ったということからも、その定義が完全にまじめに受け止められているわけではないことはわかるが、施されてきている教育内容が(日本とは)異なっているだろうということは垣間見えるコメントではある。

逆に言うと、日本国内で流通している観念も諸外国から見ると同様にズレているものがあるかも知れない、ということは念頭におくべきだ、ということでもある。



 社会の中で市場の力が大きくなると、市民のもっとも重要な価値観が締め出されてしまう可能性がある。損なわれる恐れのある最も重要な価値の一つとは、公共という意識だ。つまり連帯感、私たちはみんな共にあるという意識
 ……(中略)……。私が子どものころは、最も高価な座席と最も安価な外野席の値段の差は二ドルほどだったんだ。そのことが当時もたらしていた効果の一つとして、スポーツイベントというものが、社会的背景も職業も階層も異なる人たちが一緒になって楽しめる場だったということが挙げられる。……(中略)……。今ではもう、そんなことはない。
 なぜなら今では野球でもサッカーでも、ほとんどのスタジアムに特等席、ボックス席があるからだ。……(中略)……。
 多くの点で社会全体、社会生活全般が分かれてしまっている。……(中略)……。民主主義は完全に平等であることは求めないが、社会的、経済的背景の異なる人たちが、日々の生活の中で、公共の場で交流することを求めている。(p.126-127)


市場が余りに力を持ちすぎると、民主主義の前提である公共的な意識が失われてしまう。サンデルの近年の主な主張はこの点にあると思われ、現代という時代にとって重要な指摘である。



女性教師
 ……(前略)……。聞き取りや小テストなどで満点を取った時など、生徒に青いシールをあげていましたが、シールをあげるのをやめると子どもたちは勉強しなくなりました。やる気をなくしたのです。
 子どもたちにとって青いシールはプレゼントと同じで、勉強の目的がプレゼントをもらうことになってしまって、勉強そのものではなくなるのです。ですから、子どもたちには長期的な動機づけをすべきだと思います。つまり読書という行為そのもののために読書をさせるようにするのです。お金は子どもに直接わたすのではなく、学校施設や教師の研修などのために使うべきだと思います。(p.157-158)


韓国での講義で勉強と金銭的インセンティブの問題を議論した際に出てきた意見より。p.44からの引用文の最後に、「本を読んでお金がもらえなくなたっとき、子どもたちがどうなるか」が問題だと指摘しているが、この教師によると、効果は持続しないということだ。目的と手段を逆立ちさせる非本来的なやり方は避けるべきだと私も思う。



51パーセントの住民が受け入れの意志を示した時、彼らは公共のために犠牲となる重責を受け入れようとした。……(中略)……。しかし、補償を提示されると、住民はそれを金銭の絡む取引であるととらえ、自分や家族にリスクにさらしてまで6000ユーロを受け取ろうとは思わなかったのだ。……(中略)……。補償の提示が責任感を追いやった。これは、金銭的インセンティブの重要な特徴を示している。金銭的インセンティブはほかの価値を追いやることがある。
 ……(中略)……。責任感がいったん金銭的な関係性によって追いやられ、失われてしまうと、それを取り戻すのは非常に難しいということだ。(p.162-163)


p.45-46の引用文と同じ問題について、韓国での講義でも議論している。ここでは中国での場合よりもさらに踏み込んで議論が行われているように思う。

ここで金銭的インセンティブの特徴として述べられていることを、同じくNHKの「白熱教室」シリーズ(お金と感情と意思決定の白熱教室)で取り上げられたダン・アリエリー教授の講義では、確か「社会的動機と金銭的動機は両立しない」として定式化していた。この講義を聴いた時、サンデルの指摘がより明確に私の中で理解できたと思った。すなわち、「社会的動機」は利他的な志向を持っているのに対して、「金銭的動機」は利己的な志向を持っているものだから両立しえない、少なくともほとんど常に衝突する、と理解できた。だから、金銭的インセンティブが跋扈する社会では公共的な意識が育ちにくくなる。常に利己的な方向へと意識が誘導されるからである。



納得とは、みなの意見を聞き、それぞれの考えを理解することから始まる。全員の意見を採用することはできないかもしれない。それでも、みなが共に暮らす地域を再建するには、全員の声を聞き、その意見について検討されるということが大切なのだと。(p.215)


民主的なプロセスが善き社会をつくる上で重要である理由。

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/964-84e7677e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

普遍的な正義はありうるのか?:ハーバード白熱教室 世界の人たちと正義の話をしよう+東北大特別授業

ハーバード白熱教室 世界の人たちと正義の話をしよう+東北大特別授業作者: マイケル・サンデル出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2013/12/29メディア: 単行本 マイケル・サンデルが世界各国で公開講座を行った時の講義録。 哲学専攻のサンデル教授としては、「正義」は人類である以上共有しているはずで、どんな国であれ理解し合えるものだと考えているのだろう。 本当に世界のどの国とも「正... 本読みの記録【2014/11/01 22:23】