アヴェスターにはこう書いている?
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宮内泰介、藤林泰 『かつお節と日本人』

 日本で最初の商業的缶詰生産は、1877(明治10)年、北海道開拓使石狩工場で製造された鮭缶だった。その後の技術開発を経て、「明治の揺籃期を経過したわが国の缶詰産業は、1894(明治27)年勃発の日清戦争で軍用食料としての需要が急増、また民間需要については、出征軍人の帰郷で缶詰が宣伝されたため需要が増えていった」(日本缶詰協会編『缶・びん詰、レトルト食品のすべて』)。
 そもそも缶詰技術の開発は、19世紀初頭、ナポレオン帝政期のフランスで軍用に開発されたびん詰に始まる。政府が食品の長期保存技術を懸賞金つきで募集したところ、応募のなかから採用されたのがびん詰だった。容器にブリキが使われるようになって缶詰が誕生したのが1810年前後。1820年ごろアメリカに伝わった缶詰製造技術は、南北戦争(1861~65年)で飛躍的に発展することになる。さらに、参戦した兵士による一般家庭への普及も手伝って、缶詰製造業は新たな産業として成立する。缶詰は、フランスでの誕生も、アメリカ、日本での普及と産業化も、いずれも戦争とともにあった。(p.36)


缶詰に対する関心は、私の場合、北海道の地域研究の中で蟹工船の活躍(大正期から昭和初期)とともに蟹缶が登場することと、台湾研究のなかで高雄において、1930年(昭和5年)前後にパイナップル缶が大きな移出品であったことで喚起されたものだが、また詳しく調べるに至っていない。蟹工船にせよ高雄のパイナップル缶にせよ、どちらかというと当時のグローバル経済の文脈の中で捉えていたところがあるが、それだけでなく、缶詰の歴史をたどると戦争との関連が深いことも押さえておく必要があると理解した。

食品の歴史は戦争との関連が深いものが多いように思われる。戦争がそれだけ日常生活に大きなインパクトを与えるものだということが反映しているのだろう。



帆船時代の沿岸から、小型動力船による沖合へと拡大したカツオ漁場は、1920年代後半には、馬力が大きく燃費のよいディーゼル・エンジンが主流となって大型化、鋼船化に拍車がかかり、昭和となってようやく遠洋漁業の時代が幕をあける。ついでながら、蟹工船の北洋出漁も20年代に始まっている。(p.43-44)


造船技術と遠洋漁業の関連は興味深い。



 台湾でかつお節生産が始まったのは実は沖縄より早く1904(明治37)年だが、これは正確にいうとかつお節ではなくソウダガツオを使った宗田節だった。カツオを使ったかつお節の生産が台湾で始まるのは1910(明治43)年。台湾が日本の植民地に組み入れられるのは1895(明治28)年、その前年の日清戦争で日本が清国に勝ち、台湾が清国から日本へ割譲された。その約10年後に宗田節生産が始まったことになる。図1-2に見るように、またたく間にかつお節生産地は台湾で広がり、1929(昭和4)年には92の工場が台湾の中に林立していた。
 台湾のかつお節生産は、台湾総督府(日本の台湾統治のための政府)の肝いりだった。(p.46-47)


宗田節が生産され始めた頃は、児玉源太郎総督と後藤新平民政長官の統治が安定しはじめた時期と重なる。当時、日本の統治に反対する勢力は北部より南部に多く、内陸に多かったと思われるので、北部の沿岸部は比較的早期に安定しはじめていたということを反映しているのだろうか。

1929年のかつお節工場の分布図を見ても、花蓮港(現在の花蓮)のほか、現在の宜蘭周辺と基隆がかなりのウェイトを占めていることがわかる。数年前に花蓮に行ったとき、花蓮の少し北にある七星潭の海岸に古いかつお節工場を再利用したかつお節の博物館があった。当時は、何故ここにかつお節?と思ったものだが、南洋へとかつお節生産拠点が拡がってい行ったことや台湾が戦前の南洋への足がかりだったことなどを考えると、あの場所に博物館があったのも納得させられるものがある。



 600あまりの島々におよそ5万人の先住者が暮らしていた南洋諸島は、1921(大正10)年、サトウキビを原料とする製糖をおもな事業とした南洋興発の事業開始で、その姿を大きく変えた。(p.49)


この製糖業も台湾での経験を活用したものではなかろうか。当時の日本にとって台湾はやはり南洋への橋頭保だったことが分るように思う。



 1941(昭和16)年、開戦と同時に、南興水産は全社をあげて魚やかつお節の軍への納入体勢をとった。用市さんは船とともに軍属として徴用され、トラック諸島で軍納用の魚を獲ることになった。その後、グリニッチ島、ヤップ島へ配置されるが、戦艦大和と船を並べたときのことが印象に残っている。当時の漁船は焼玉エンジンですぐに停止することが難しく、少しでも大和に触れそうになろうものなら漁船の乗組員全員が港に一列に並ばされて日本兵に殴られた
 日本兵の残虐さを目撃したのは、宮古島出身の漁師がタバコと交換にカツオを兵士に渡したことが上官にばれて、バットで殴られる制裁を受けたときだ。その後の消息はわからない。
 「あのひとは命もなかったと思うよ」
 軍属である漁師が食事を減らされることは日常茶飯事
だった。そこで漁をする者も自衛のため対抗策をとった。港の前の離島に二人ほど降ろしておき、軍納用のカツオ数本を渡して待機させたり、カツオの尻尾を紐で結わえて船から吊して隠したりして、自分たちの食料を確保したこともある。国民を守ってくれるはずの大きな力が、守るどころかその生命を脅かすとしたら、一人ひとりは自らの才覚で身を守るほかない。用市さんはそうして生き抜き、トラック諸島で敗戦を迎えて間もなく、米軍の用意した船で無事沖縄に帰島した。(p.71-72)


軍隊というのは、名目としては「国民を守る」ことを謳っても、実態はそのようなものではない、ということはよく理解すべきだろう。少なくとも、行政官庁に対して何らかの不信感を持っているならば、軍隊という組織は行政官庁そのものであるという理解は最低限しておくべきだ。

なお、私は行政官庁すべてが悪いと言うつもりは全くない。しかし、個人が外から期待するとおりに動くことはない、ということは軍隊も行政機関も同じである。それは組織であるということによって半ば必然的に起こることである。官僚制的な組織形態を必要とする程度の規模の企業も然り。

集団的自衛権の行使などといったことを内閣や自民党が叫んでいるが、私が上で述べたことは、そうして拡大された軍事力というものは、外から個人が思うように動いてくれるようなものではない、ということでもある。



 近隣の尖閣諸島でも、1905(明治38)年、福岡県出身の商人であった古賀辰四郎がかつお節生産を始めている。尖閣諸島は、もともと無人島だが、1890年代より日本人によるアホウドリの羽毛採取やヤコウガイ採取などの開発行為が始まっており、古賀辰四郎はそれらのあとからはいる形でヤコウガイ採取、つづいてかつお節生産をはじめたのだった(尖閣諸島でのかつお節生産は大正期に急速に衰退する)。(p.78)


領土問題を念頭に書かれていると思われる。



にんべんの専務秋山洋一さんは、私たちにこう言った、「商人の役割は評価をすること、つまり、品質を見定めることです」。(p.203)


そうして見定めた良い品を売ることが商人の仕事ということか。なるほど。



「いいものをつくりたい」という産地のかつお節製造業者たちと、品質を守りたいというにんべんとの意向は、一致している。ものをつくる人とものを売る人とがちゃんとつきあいを続けるなかで、お互いのなりわいが守られる。そういうなかで、私たち消費者はどうかかわれるだろうか。安さと安全ばかりを求めていてはその輪にはいれないだろう。(p.204)


消費者が「安さと安全」ばかりを求める風潮に対する非常に重要な問題提起。消費者には「いいもの」かどうかを事前に十分に見分けるだけの知識や情報や暇がない。生産者と売り手が単に儲けたいというのではなく、「いいものをつくりたい」として、ちゃんとつき合いを続けやすい環境を政府などが整えることが必要なのではなかろうか。消費者側に対しても、安さと安全性だけを求めることの問題点を認識できるような教育が求められるように思われる。



短期的にもうけることを目的とする「事業」ではなく、お金の面でも人間関係の面でも持続的に続くことを目的とする「家業」。(p.206)


印象的なフレーズだったので引用しておく。

家業と言っても血縁関係のある家族が継ぐ必要はない。商店街などはそうした考え方で成り立ってきたために立ち行かなくなっている。経営する際の考え方が「家業」の考え方となり、それが引き継がれていくというのが理想であるように思われる。

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