アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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明橋大二 『忙しいパパのための 子育てハッピーアドバイス』

父親の立場に立てば、子どもが生まれるまで、父親は、育児について、ほとんど教育を受ける機会がない、という現実があります。(p.3)


なるほど。確かに言われてみればその通りではある。ただ、自分自身を形成(Bildung)していく上での自己教育の過程を援用すれば、ある程度の対応は自ずとできる、というのが私見である。

とはいえ、こうした反省と作動との相互媒介的な作用を意識的に行っている人は少なく、それまでに受けている教育水準も相対的に高い(低くない)ことと相関があるため、全ての人にこれを求めることは出来ない。社会としては、何らかの対策があった方がよさそうな問題ではある。



 しつけも大事、勉強も大事、しかし、いちばん大切なものは、自己評価(自己肯定感、自尊感情)といわれるものを、育むことです。
 ……(中略)……。
 この気持ちがしっかり育まれていないと、しつけやルールがうまく身につかなかったり、勉強に集中できなかったり、あるいは、外見的には、ちゃんとやっているようでも、本人はとても強い不安や緊張の中で過ごしていて、それが、大きくなるにつれて、心身症や非行という形で出てくることがあります。
 この自己評価ですが、実は、お父さんの育児行動によって差が出てくる、という調査結果があります。(p.23)


自己肯定感を育むことが重要であるということは当然のことだが、父親の育児行為によって差が出るという点は興味深い。母親だけでなく、複数の人間からの強い持続的な承認があることが重要なのではなかろうか?



 改める、と言っているのに、「どうせするはずがない」と否定されると、改めようと思った気持ちもしぼんでしまいます。
 いったんは信用して、「じゃあ、お願いね」と言われるほうが、やる気が出ます。

 ……(中略)……。
 言われても改めないことが続くと信用を失うのは、職場も家庭も同じです。(p.97)


確かに。ただ、「改める」と言いながらも、結局は改まらないことが続き、いったん信用を失ってしまった後に、また「改める」と口先で言われれた場合、「じゃあ、お願いね」と言えるだろうか?また、言うべきだろうか?

このようになった場合、「じゃあ、お願いね」と言って様子を見れば、改まらないことが続くだけとなり、また、「改める」と言ったことに対して否定すれば、ますます発言者側にやる気がなくなる、という悪循環に入りやすいと思われる。このような状態になった場合、どうすればいいのだろうか?本人の自覚を促すこと(改めないことがいかに問題かということを自覚させること)が、改善のためのポイントではないかと思うのだが、自己認識の力がない人にはこうした認知を変えるというやり方はあまりうまくいかないことがあるようにも思う。個人をシステムとして作動させるのではなく、共同体を単位としてシステムを作動させる(例えば、一緒に行動してやる気を補助しながら行わせるなど)という手はあるかも知れない。いずれにしても、一度信用を失った後は、そして、改まらないことが習慣となってしまった後は、修復はかなり困難な仕事になることは間違いない。

子育てにおいては、物事をやるには時期がある。このことを踏まえて、しつけなり勉強に対する態度なりといったものを身につけるべき時期に身につけられるように導いていくことが重要であると思う。



 確かに、叱りすぎは、子どもの自己評価をよけいに下げるので、よくないです。しかし、まったく叱らないのがよいか、というと、そうは思いません。子どもが自分を傷つける可能性のあること、他人を傷つける可能性のあることは、きちっと叱るべきです(傷つける、とは、身体的、心理的、社会的、すべてを含みます)。
 そういうときに、叱らないのも、また子どもの自己評価を下げます。
 ……(中略)……。
 こういうときに真剣に叱ることは、「おまえは大切な存在なんだよ」と伝えることになります(p.117-119)


この部分は本書で最も参考になったところ。自分を含めた誰かを「身体的、心理的、社会的」に「傷つける可能性」がある場合に叱ることは、その子に「大切な存在である」ということを伝えることとなり、自己評価に繋がる、ということ。



 体罰でなくてもしつけは可能です。
 ……(中略)……「タイムアウト*」など、体罰に頼らないペナルティの方法が、いろいろと開発されてきています。

*警告しても許しがたい行動を続けたとき、決まった時間(一般には年齢と同じ時間。3歳なら3分)だけ、決まった場所にいさせること(p.131)


体罰に頼らないペナルティの方法を多様に持っているという知恵ないし知識は重要。この点でも親の教育・教養の程度が育児のあり方を左右すると思われる。



 父親が、不在がちだと、母親は孤独を感じ、不安になります。
 それが、育児不安という形をとることもありますが、もう一つ、母親の、子どもへの依存という形をとることもあります。
 子どもが、母親の寂しさや不安を埋める手段になるのです。特に、男の子の場合は、異性ということもあって、その結びつきは、さらに強いものになります
 ……(中略)……。
 そうすると、子どもは、何よりも親を傷つけたくないですから、母親から精神的に離れる(自立する)ことができなくなります。
 ……(中略)……。
 そのような、いわば、母親の依存から、子どもが脱出できるためのいちばんの方法は、父親が、母親の不安や寂しさを、しっかり受け止めることです。そうして、母親が安心すれば、子どもも安心して、本来あるべき、母親への反抗や攻撃を出せるようになります。また、父親が子どもに直接関わることで、母親以外の世界や価値観も知ることになります。そうして、母親から精神的に自立していくことができるのです。(p.133-137)


父親が客観的に不在である場合だけでなく、父親と母親の精神的な結びつき、信頼関係があるかどうか、ということ自体がこの問題にかかわるように思われる。父親と母親の信頼関係が十分でなく、母親が主観的に孤独である(lonely)と感じていれば、たとえ客観的には一人でいる(alone)のではなくても、同じような不安から子どもへの依存へと走る可能性が高まると思われる。

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