アヴェスターにはこう書いている?
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ヴォルフガング・シュヴェントカー 『マックス・ウェーバーの日本 受容史の研究1905-1995』(その1)

より広い国民層には、仏教の寺院の学校が開かれていた。そこでは、1868年の政治社会的変革までに、男性の40から50パーセント、女性の15パーセントがしっかりとした教育を受けていた。これは、日本の近代化がその後成功する、決して過小評価されるべきでない要因である。(p.43)


教育の普及は社会のいわゆる近代化にとって、確かに重要な意味をもつ。寺子屋で教育を受けていた子どもがどれくらいの割合だったのかということまでは知らなかったが、ここで示されている数字が本当であれば、かなり高い就学率と言ってよいかもしれない。



理念型の方法論的適用を、三つの方向へと批判的に問うこともした。第一に、「経済人(homo oeconomicus)」の概念を例にして、現象の一側面、この場合は経済的側面が概念的に上昇していくことは、三木には問題があるように思われた。なぜならそのことによって経済史的な出来事にとって意味のある他の諸相を考慮しなくなるからである。(p.83-84)


三木清によるウェーバーの受容に関する叙述より。理念型による叙述に対する的確な批判。理念型の利点と欠点は同一の理由から生じる。理念型を構成する際に、現実のある一面を一面的に上昇させる処理をすることは、認識をクリアにしてくれることによって、認識を大いに助けてくれる場合があるが、その際、同時に他の側面を見えにくくしてしまう傾向がある。



他方で、マックス・ウェーバーの『学問論』は、日本の社会学者と歴史家が方法的に、体制に対して学者として独立を主張することを助けた。たとえば、戦後、日本のもっとも重要な社会学者の一人となる福武直は、若い頃1940年に、マックス・ウェーバーの仕事は、とくに「価値自由論」によって重要であり続けると強調した。「「ウェーバーの時代は過ぎ去った。今日では彼の科学は死せる科学である」とシュパンはいうが、われわれは彼の理論は生きていると考える」。日本の学者が1936、37年から1945年に吸収したのは、とくに価値自由の問題であった。価値自由は、たんなる社会科学的方法論もしくは知的万能薬以上のものであった。それは隙間へと退避したリベラルな学者にとって、体制とその手先である文化官僚による侵害と独占から、自らを守るための政治的およびイデオロギー的な装置でもあったのである。(p.116)


叙述を行う際の価値判断の基準について、自他に対して明示しつつ、そこから一貫した論理で事象を叙述していく。この時、自身が本当に望んでいることとは異なる特定の学問的な基準を立てて、そこから見た場合にある事象がどのように見えるか、といった叙述を行えば、自らの信念と学問的な客観性と政治的な検閲に対する抵抗のすべてをある程度満たすことができる、というわけか。思想的な抑圧に対する抵抗の手段として価値自由論が受容されたということは記憶にとどめておく価値があると思われる。



 マックス・ウェーバーの実存主義的解釈に対するあらゆる疑念にもかかわらず、ヤスパースの書物の翻訳は影響を及ぼし、人と業績の統一をめぐる議論にあらたな、しかも特殊日本的なアクセントをつけ加えた。これを明らかにするためにここで、安井郁の筆による翻訳への、いま一つの反響を取り上げる。これは有名な『国家学会雑誌』のために書かれた「求道者としてのマックス・ウェーバー」という題の論文である。……(中略)……。本来、安井の書評はヤスパースの書物の内容を忠実にくりかえしたものにすぎなかったが、ウェーバーを求道者として半宗教的な意味で特徴づけたことによって、ヤスパースの意図を超えていった。……(中略)……。
 人と作品のこの核心において宗教的に内面化された主観的な見方は、戦時中に社会科学者が直面した外的な圧迫の結果であった。(p.148-149)


ヤスパースによるウェーバー論は日本における戦時中と戦後しばらくの間のウェーバー像にとって強い影響を与えたとされる。確かに少し古い時代のウェーバーに関する解説書などを読むとそれがよくわかる。著者がウェーバーに心酔していると感じられるようなものが結構あったからである。

さすがに最近は、そうしたウェーバーという人物への評価もEntzauberungされてきていると見受けられるが、ヤスパース流の理解が戦時中の思想的言論的な抑圧状況の中で、社会科学者たちが社会に対して客観的な真理を発信することが難しいという現実を前にして、ヤスパースによって描かれたウェーバー像のような主体的な真理を求める姿勢に共感し、魅力を感じたとしても不思議はない。

なお、ウェーバーとキリスト教信仰との関係というモメントが入ってきて、キリスト教への共感を持ちながら、ウェーバーをキリスト者ないしそれに近いものとして扱おうとするところは日本に特有のウェーバー像であるらしい。近代主義者たちが欧米を理想的な追いつくべき社会として考え、憧れていたことと結びついていると思われる。



 なぜ日本内外の歴史的社会科学は、近代化論のパラダイムを日本に適用しようとしたのだろうか。その際どのように近代化研究がマックス・ウェーバーの著作に関わったのだろうか。近代化論を日本に適用するきっかけはもともとアメリカのソ連研究からはじまり、ソ連のアジアへの影響を政治的に封じ込めるグローバル戦略の一部であった。この文脈でC.E.ブラックとアレクサンダー・ガーシェンクロンの研究がこの状況をよく説明している。アメリカの日本研究者は1958年秋に最初にミシガン大学に集まって、日本の近代化に関する大規模研究プロジェクトを発足させた。……(中略)……。このプロジェクトの背景にあったのは、日本の近代化が非常に成功し、「日本の近代的発展コースを一つの有力なモデルとして」アジアやアフリカの国々に示すことができるという、アメリカ側の確信であった。(p.218)


近代化論のパラダイムについては、かなり前に私も集中的に批判を繰り返していた時期があった。ただ、その頃は、ここで指摘されているような含意までは把握していなかったので、目から鱗が落ちる感じである。

東西冷戦の構造の中で、共産主義陣営が共産主義というビジョンを提示して第三世界の人心を惹きつけようとするのに対して、西側の対抗イデオロギーとして近代化論が提示されていたというわけだ。その際、基本的なビジョン(理想の未来社会像)を与えるのはアメリカの社会であったが、日本の成功とそのプロセスも一つの手本として利用しうると考えられていた面もあったということか。なるほどと思わされる。



体系的な面でも安藤は日本のウェーバー研究に画期的貢献をなした。彼の大きな業績の一つは、ウェーバーのカリスマ概念を日本の学問〔世界〕に紹介したことだった。(p.252)


現在、「カリスマ」という言葉は日常的な日本語として定着していると言ってよい。「カリスマモデル」、「カリスマ店員」などといった言葉がカジュアルな場で使われていることを見てもそれがわかる。ウェーバーの用語がその元となっているということは逆に意識されなくなっている。



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