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アヴェスターにはこう書いている?
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坂野徳隆 『風刺漫画で読み解く 日本統治下の台湾』(その4)

 ラジオは台湾人に対する植民地政策の浸透と洗脳に貢献したともいわれるが、ラジオの普及率を内台別に見た場合、圧倒的に内地人世帯が多かった。……(中略)……。
 総督府が普及率のてこ入れをしたのは、先の番組表の1930年代半ばであり、これは満州国が建国され、軍部の締め付けが厳しくなる頃と重なる。さらに無料の受信機を配るなどして35年から37年にかけて登録者数が倍増したのは皇民化教育がはじまる時期で、新聞雑誌における漢文欄廃止と同時に日本語以外の放送が一時的に禁止されたのは昭和12(1937)年のことだった。
 ……(中略)……。
 台湾人、原住民青年に対する皇民化教育で力を発揮したのはラジオではなく地域に組織された青年団だった。(p.146-148)


メディアと統治の関係も重要な問題。新しいメディアが必ずしも有効に支配の道具になったわけではないという点は興味深い。



 台湾では『台湾日日新報』(1898年5月1日創刊)が台北唯一の日刊紙で、同紙は後藤新平民政長官の産んだ子供でもあった。後藤は着任するなり、現地の二大新聞(『台湾新報』〔明治29年創刊〕と『台湾日報』〔同明治30年〕)が対立し、他新聞が林立して総督府への批判を繰り返すのをよしとせず、官製新聞一紙に統合国体のために新聞メディアを強権的に統べるのは後藤の常套手段で、後に満州でも同様のことを行っているが、それだけメディアの持つ影響力を理解していたのだろう。(p.154-155)


メディアに対する統治権力の介入は、現在の政治状況においても非常にアクチュアルな問題である。安倍晋三が首相となった時や橋下徹が大阪府知事・大阪市長に就任した時、真っ先に行ったことの一つが、メディアに対する取り込みまたは圧力・牽制だった。安倍晋三は首相に就任してまもなく、大手新聞社やテレビ局の要人たちと相次いで食事をした。NHKに対しては経営委員や会長に自らの息のかかったものを次々と就任させて乗っ取りをかなりの程度完了しつつある。橋下徹は自分の意に沿わない報道をすると彼が見なした媒体に対して取材拒否という態度を取るなどしてメディアを委縮させた。

テレビと新聞が政治に屈した時、公共の言論空間は、本来メディアが果たすべき公共的な役割よりもより狭い党派的な意見によって占拠されることとなる。その党派的な意見とは異なる意見が公共の場に出てくることが難しくなる。現在、すでにこうした方向へと日本の社会・言論空間は進みつつある。

安倍晋三や橋下徹は教育に対しても積極的に介入しようとしているが、これは中長期的にこの悪しき状況を助長し、改善の可能性を低くするものである。こうしたことに対する危機感が日本のメディア報道や多くの市民の意見からは感じられないことに危機感を感じる。



 しかし台湾人の日本語識字率は漢文が禁止された昭和12年でも四割に満たなかった。ラジオはほぼ内地人が占有していたが、新聞にしてもその傾向はあまり変わらなかったことになる。(p.156-157)


当時の台湾のマスメディアの状況。教育とメディアとはやはり連動するところがあると認識させられる。



 消費文化は広告と密接に結びつき、同じブランドを共有することが内台融和を促進する側面もあった。新聞が日中戦争の泥沼化とともにそうした側面を強化した様子は、今見ても資格に恐ろしいほどこちらに訴えかけてくる。
 ……(中略)……。
 今も我々(それに台湾人)が普通に使用する有名ブランド商品が植民地の御用新聞で今と同じ顔をして宣伝(カルピスもグリコも皆同じロゴ)し、戦局に国体への協力を呼びかける様子はレトロというよりホラーである。(p.159-160)


広告というメディアも時代を映す鏡でもある。ここ数年、こうした展示を見る機会が何度かあったが、非常に興味深い。現在の広告はその点から見ると、どのような社会状況を反映しているか、ちょっと考えてみたくなる。



 昭和12(1937)年に「国語常用家庭制度」が制定され、国語(日本語)を常用する家庭は審査を経て「国語常用家庭」標識を家門に掲げることを許され、さまざまな特権を得た。前述のような配給制度での優遇である。(p.180)


この制度についてはしばしば言及された本を読んだことがあるが、あまり詳しい説明がされていないものが多い。



 一方、満州事変以後、台湾でも軍部が存在感を見せ付けはじめる。……(中略)……。
 霧社事件で徹底的な武力を見せ付けた軍への、特に産業界からの評価は、台湾経済が繁栄を迎えるその二年後(1934年)にかけて、同一線上の高まりを見せるのである。
 それは地方自治に理解を示し、四年という長い任期で社会経済の安定化を達成した最後の文官、中川健蔵総督と、反対した軍の構図とも重なる。
 中川は、台湾に政治的権利を求める運動に理解を示したリベラルな政治家だった。日本時代、ハイレベルの政治家で台湾の発展に重要な貢献をしたのは、後藤新平、明石元二郎、そしてこの中川健蔵ではないだろうか。(p.183)


なるほど。中川健蔵。あまり今まで注目したことがなかったが、今後、注目してみたい。

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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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