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アヴェスターにはこう書いている?
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稲葉振一郎・立岩真也 『所有と国家のゆくえ』(その4)
稲葉

 たとえば、「民主的な合意の結果だったら何でもいい」というふうに、政治倫理において根源的規約主義をとるのはおかしい、と言えば、実際多くの人が合意するでしょう。人が全員「それがいい」と思いながらも、「それは正しくないことだ」という場合もありうる、と。むしろ民主主義の正当性というのは、それが普遍的な正義とか正しさそのものなのではなくて、そうした正しさを探り出す接近法としてかなりいい、試行錯誤しながら衆知を集める方法として優れているからであって、「合意イコール正義」という短絡直結な話ではないということは多くの人が思っているわけですよね。そういう直観の支えがあるから、現代立憲主義者は立憲民主制の重要性、民主主義の立憲主義による制御の重要さを言う。(p.236)



このような「民主主義」についての議論は義務教育とか、高校の政治経済などの科目でしっかり教えるべきではないかとふと思った。私の記憶では、立憲主義に対して理解や解説が日本の学校ではしっかり行われていないと感じられる。

だから、ここでは稲葉は「民主主義」による決定に限界があることを常識的な話として言っているのだが、このくらいの理解もしっかりしていない人は意外と多いのではないか、と思えることがある。

それは政治家でもそうだが、それを評する政治的な発言をするブログ(特に保守的または右翼的な発言をする人たちの)を見ていると、しばしば思うことである。

ただ、「民主主義」というもの自体、日常言語のレベルでは非常に曖昧で掴みにくい多様な要素からなる観念なので、そのことも要因としてはあるかもしれない。例えば、私の場合、基本的には、制度と理念の区別は最低限明確化しておく必要があると考えており、民主制としての民主主義のことを「デモクラシー」とカタカナ書きで書くことにしている。(分かりやすさを優先しなければいけないときなど、必ずしもそうしていない事例がごく少数あるが。)それに対して理念としての民主主義については「民主主義」と漢字で書いている。

カタカナと漢字の使い分けをする理由は、デモクラシーはdemocracyであって、「人民の力」ということを表しているから、権力的な作用を表現するのに適していると考えられるからであり、民主主義は民主「主義」となっているので、主義主張という言葉があるように、主義ということを明確に謳っているからである。

そして、デモクラシーという制度は可能であるが、民主主義の理念は矛盾を含んでいるために、何かを記述するときには非常に使いにくいということを踏まえるようにしている。ただし、行為の規範としてはそうした観察者の言語としては矛盾した性質があっても、機能しうるために、使用してはいけないわけではない、という程度に捉えている。

ただ、最近、少し考えを深める必要性を感じているので、少し勉強してみて、考えをさらに先に進めていきたいとも思っている。




より多く貢献したらより多くの褒美を与えることによって、生産を促し、さらに成長を促す。だから、そう気前よく分配することはできない。生産・成長のためには格差が必要だというのだ。・・・(中略)・・・この本にしても、印税が来なかったら私は企画に乗ったかどうか疑わしい。(p.276-277)



生産性を高めるには、いわゆる「インセンティヴ」が必要だ、という議論に対して、立岩は限定付ではあるが認める立場である。しかし、私見では彼の見解は十分ではない。ただ、興味深いのは引用の最後のコメントである。

立岩自身には明確に意識はされていないが、このコメントは賃金(財)の分配が「何の誘因になるか」をはっきりと示していて興味深い。

つまり、お金がもらえるというのは、「この企画に載るか乗らないか」または「ある会社で働くか働かないか」あるいは「Aという会社で働きたいか、Bという会社で働きたいか」という選択においては「インセンティヴ」として有効に機能する

しかし、「その企画に乗った後、どれくらい頑張りたいと思うか」また、「その会社に雇われた後、仕事をどれだけ頑張りたいと思うか」といったことにはそれほど影響しない。

それどころか、心理学の実験では、逆に報酬があることによって仕事への興味が失われるというものすらある。「報酬のために頑張る」という仕方で動機づけが行われると、仕事自体への興味が薄れてしまうというのが人間の心理である。

実際に、経営学者の高橋伸夫によれば、報酬(給与)は完全に平等で何らかの実績によっては変わらないシステムの方が効率的であるという。評価は昇進という形で行われればそれで良いし、それがもっとも効果的であり効率的であるというのである。私もそれに同意する。

これらの事実を明確に理解すれば、「インセンティヴ」に関する神話に左右されずに、明晰に判断することができるようになるだろう。




ジェーン・ジェイコブズについての注。

 『都市の原理』(1969年)において都市の形成の方が農村の形成に歴史的に先行する、というアイディアを提示。『都市の経済学』(1986年)では「未開社会」は人類の原始状態を今日に保存するものではなく、都市・交易ネットワークから切り離されたローカルコミュニティである、と推測した。(p.286)



これらのアイディアは、私が世界各地を旅行する中で見て取ってきた都市の構成原理とかなりの共通点を持っており興味深い。

イランの沙漠の給油所(何件かの店がそこにある)を見たときに、沙漠こそ都市が成立するには有利な要件であることに気づいたことや、北海道の内陸部から港湾都市に向かう道を観光客(?)を案内しながら車を運転していて、都市が先にあり、その人口を養う形で周囲の農村が形成されてきたらしいことに気づいたのだが、そうした認識とかなり合致する。

もちろん、都市といっても、(水が比較的容易に確保できることなどの)共通性はありつつも、その成立のパターンはいくつかのタイプがあるとは思うが。

政治や経済がもう少し安定していれば、こうした歴史研究や都市論にもっと時間や労力をさけるのだが…。
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