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アヴェスターにはこう書いている?
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越澤明 『後藤新平――大震災と帝都復興』(その1)

 城下町の建設(縄張り、普請)に際しては、武家地、足軽屋敷と同時に、町人地、寺町の位置も決められた。町人地は本町、鍛冶屋町、魚町など職業・職種別に構成されることが多く、寺町(寺院群)は防御の役割を担うことが多い。
 現代の東京の地名を例に取ると、北新宿の百人町は伊賀組百人鉄砲隊の屋敷地(細かい短冊状の敷地)に由来し、御徒町駅も下級武家地に由来する。千代田区の番町は中級武家屋敷に由来し、敷地の規模がやや大きく、現在は高級マンションが集中している。寛永寺は幕末、彰義隊の戦闘の舞台となり、文京区の向丘・駒込にある吉祥寺などの寺院群は外堀の北側に配置された防御ラインである。(p.32-33)


寺町は防御の役割を担うことが多いという指摘は、ここ数年私が見てきたものの中に思い当たる節があり興味を惹かれた。2年ほど前に松前町の松前城とその北にある寺町を見てきたことがあったが、あの寺町も恐らくは防御ラインだったのではないか。外堀(?)の北側という位置関係までも吉祥寺と同じパターンになっているように思われる。



内務省衛生局に採用された後藤に最初に与えられた仕事が、衛生思想・衛生制度の普及啓発活動である。
 後藤は視察した地元の民情や衛生状態について、詳細な視察報告書を作成した。これがその後、台湾、満鉄、内務大臣、東京市長として、地元の現状把握と調査分析を重視する後藤の発想の原点になる。(p.61)


実態を観察し、それに即して対処するという後藤の発想は非常に重要。



 清国で最もアヘンが蔓延していた地域が台湾であり、貴賤貧富、老若男女を問わず、アヘンの喫煙習慣が広がり、喫煙者は約50万人に及んだ。(p.72)


後藤新平が台湾の民政長官に抜擢される契機となった問題がこのアヘンの蔓延だったことはよく知られている。彼独特の「生物学の原理」に則った漸禁政策が効果を上げたとされている。一気に変えてしまおうとするのではなく、少しずつ社会を変えていきながらある程度時間が経過すると大きく変化が起こっている、というやり方は参考になる。

これはしばしば大風呂敷と呼ばれるような大胆な計画や資金の投入とは相反する要素を持つ原則だと思うが、急激に変えてはいけないポイントを事実の調査により見極めた上で変えるべきところ、ゆっくり変えるべきところ、変えるべきでないところを識別しているという点が重要なのではなかろうか。



 戦前の中央官庁には幹部職員のみが使用できる高等官食堂があった。高等官同士が意見を自由に交わし、そこで政策の知恵が生まれたり、高等官が親しい新聞記者に話して、それが報道のネタになったりという姿は珍しくなかった。高等官食堂は全国の県庁にも存在していた。(p.74)


高等官だけに限定する閉ざされた社会である点は少し引っかかるが、その閉鎖性が自由な意見交換を助長するような面もあることを考えると、なかなか考えさせられる仕組みだと思う。



 1896年(明治29年)2月、日本政府は後藤の建議を丸ごと採用し、台湾アヘン制度を閣議決定し、1897年1月に「台湾阿片令」を全島で実施した。その要点は、アヘンは政府の専売とし、特許店舗のみで販売、中毒者に通帳を交付し、薬用としてアヘンを販売する。違反は厳罰に処し、アヘン専売の収益は台湾住民の衛生事業に充当するという施策であった。(p.76)


この政策を知った時、うまいことを考えたものだと感心した。



第一に台北、第二に基隆、第三に台南、安平、澎湖島、嘉義などの順で速かに衛生工事をすべきである。(p.93)


1897年にバルトンによる上下水道調査の報告書で述べられている内容より。高雄がこのリストに入っていないのが、現在の感覚からすると違和感を感じる。なぜ高雄が入っていないのだろう?



 日本が台湾を領有した当時、台北は三つの市街地より形成されており、人口は1万2千人、面積7.4平方キロメートルであった。このうち艋舺(万華)、大稲埕は淡水河の水運で成長した商業地であり、城内は官街地区であった。台北の既存市街が二ヵ所に分かれているのは、台湾人のルーツである福州系と広東系の住人の関係が悪く、紛争が絶えなかったためである。(p.95-96)


艋舺と大稲埕との関係について、最後の一文ほど理解しやすい文章に出会ったことがない。分かりやすい説明。



 城壁は撤去し、その跡地は幅員25~40間の遊歩道路とした。この道路は二列、幅三メートルの植樹帯を設け、中央は車道、両側は歩道とした。この結果、歩道・車道の路面が三列あることになり「三線道路」と呼ばれた。19世紀後半、欧州のパリ、ウィーン、ブリュッセルなど各地では城壁を撤去して、跡地を広幅員の並木道とし、その都市のシンボルロードとなっている例が多い。これを仏語ではブールヴァール(米語ではブールヴァード、ロシア語ではブリヴァール)と呼ぶが、台北の三線道路は典型的なブールヴァールである。
 三線道路の工事は1910年に着工し、1913年に全線が完成した。城壁撤去にともない、城門も撤去することになり、最初に、西門が取り壊された。これを見た児玉総督と後藤長官の指示により、残り四つの城門は都市のランドマーク、文化財としてすべて保存され、壊された城壁の石材は下水溝の築造に再利用された。清国時代の台北には公園は皆無であったが、1908年、市区改正計画にもとづき、城内の中心部に台北初の公園(新公園と称す、面積約8ヘクタール)が開設され、公園内には熱帯樹が植栽された。(p.96-97)


三線道路、下水溝、公園など近代的な都市のインフラが集中的に整備されていることがわかる。

なお、文化財保存された城門については、西門を取り壊したことに対する民衆からの反発もあったという点は銘記されるべきであり、単に後藤新平らのみの功績としてはならないだろう。なお、北門以外の城門は戦後(1965年)に北方様式で建て替えられている。



 市区計画が告示されたからといって、既成市街地の民間建築物は姿がすぐ変わるものではない。民間建築物の建て替えの契機となったのが、1911年8月、台北を襲った約60年ぶりの暴風雨であった。(p.97)


関東大震災もそうだが、大規模な都市災害は都市の景観や建築を変えるという事例だろう。



 台湾総督府は官民合同の協議によって城内メインストリートである府前街、府中街、府後街、文武街の家屋改築計画を立てた。新築家屋は市区改正道路の境界線まで後退させて計画道路の幅を確保し、建物は三階建以上の煉瓦造またはコンクリート造の不燃建築とし、軒高と窓の高さはある程度は揃えるという内約を得た。また、新築家屋の建築設計はすべて台湾総督府で面倒を見る代わりに、必ずその通りに実行するという同意を得た。台湾総督府は台湾銀行の協力を得て低利建築資金も斡旋し、1913~14年に市区改築を実施した。こうして洋風の堂々たるファサードを持った街並みが台北城内に出現した。このような一定の建築様式と構造の連続式建物からなる中心市街地を持った都市は当時の日本内地にはどこにも存在しない。日本内地における商業建築の不燃共同化の助成は帝都復興事業(1924~1930年)が最初であり、台北ではそれよりも約10年早く実行されている。(p.98)


現在でも台湾の古い街並みが残る老街の光景が目に浮かぶ。どこの老街も雰囲気が比較的似ているのは、

都市計画や衛生、国勢調査、鉄筋コンクリート造建築の普及など、台湾では多くのものが内地に先んじて導入されている。



日本内地の建築法規の制定は1919年であり、台湾における建築法規の制定は日本内地より早い。台湾家屋建築規則には「道路沿いの家屋は担庇ある歩道(亭仔脚)を設けなければならない」という独特の条文がある。
 ……(中略)……。今日の台湾でもこの建築規制は継承されており、幅員7メートル以上の街路に面する建築物は道路境界から4メートル分、セットバックさせて家を建てる決まりとなっている。亭仔脚の用地は民有地であるが、地租を免除される。亭仔脚は単に歩道空間ではなく、テーブルと椅子が置かれ、住民の憩いの場として使用され、都市住民の重要な生活空間となった。
 1914年度末までに全島17都市で市区改正計画が策定され、順に事業が着手された。こうして後藤の当初の方針が生かされ、台湾の諸都市は様相を一新し、地域開発と経済成長を支えるインフラが整備されていった。(p.99-100)


亭仔脚には知恵が詰まっている。

市区改正が行われた17都市とはどこか?



 後藤長官時代に着手された総督府庁舎、総督官邸、官舎建築、並木道、公園、病院などの官庁建築、公共施設は当時の台湾では不相応なほど立派なものであった。これを台湾統治の威圧の象徴と見なすことは一面的な理解である。後藤は現地に進出した一般の日本人に定住意識を持たせて、台湾の経営と開発に本格的に取り組む姿勢を、日本人と台湾人の双方に対して社会資本整備という事実によって示そうとしていたと理解するのが妥当である。(p.102)


なるほど。

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