アヴェスターにはこう書いている?
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片岡秀郎 編著 『札幌歴史散歩』(その3)

 後年になると屯田兵村は建設条件の悪い奥地へと展開されていくことになり、加えて集治監囚人など未熟練工による施工、大幅な現地材の使用などにより建築の質は低下していった。(p.176)


屯田兵関連の歴史を機会を見てちょこちょこと調べていこうと思っているところなので、関連がありそうなトピックをメモしておく。



 この石狩街道には明治44年から昭和10年(1935)まで馬車鉄道(大正7年からはガソリンカーに変わる)が運行していた。軌道の起点は札幌区北6条東1丁目、終点は篠路村字茨戸太篠路川橋に至る約11km。終点の茨戸からは石狩川航行の汽船に連絡していた。(p.191)


石狩街道には旧道と新道があり、どちらのことを指すのかやや判然としないのだが、この前の文脈からすると新道(現在の国道231号線)のことかと思われる。

いずれにせよ札幌の中心付近と石狩川を繋ぐ交通の歴史として興味深い。石狩川は北海道の交通の歴史を考える上で重要なカギを握っていると言えるからである。(例えば、明治15年に全通した幌内鉄道なども、石狩川の氾濫やその対策を考慮して建設されていた。)



現在のサッポロビール博物館の建築について。

 この重厚な赤レンガの建物(写真)は、明治23年(1890)、札幌製糖会社によって建てられた製糖工場である。面積3,000㎡に及ぶ建築の実施設計は、レンガ構造の細部の納まりが道庁赤レンガ庁舎のそれとほぼ同一であることから、ドイツ人技術者の基本設計をもとに道庁第3部土木課が当たったとみられている。
 当時、日本は年間4,500万円もの砂糖を輸入していたので、甜菜糖(てんさいとう)の製造は北海道の重要な産業と位置づけられた。(p.192)


この砂糖の輸入国であったという点に関連して言うと、日清戦争の勝利(明治28年)により植民地となった台湾がもたらした砂糖が当時の日本にとって重要な意味をもっていた。台湾の製糖業の発展もあり、北海道の製糖業はそれほど発達しなかったものと思われる。北海道の製糖業がどの程度の生産規模まで成長したのか、その変遷はどうだったのか、など興味がある。



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