アヴェスターにはこう書いている?
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藤森照信 『日本の近代建築(上)――幕末・明治篇――』(その2)

一つ建築の背景には、山形の擬洋風に見られるように政治的な意志、各地の小学校建設を推進したような制度、それを受け入れた社会、さらに事業を可能とする経済力と技術力、また表現の基となる美意識や文化、どれ一つ欠かせない。絵や小説が孤高の中でも生れうるのとは事情がちがう。建築とは、政治、経済、社会、文化といった何でも呑み込むバケツのような表現領域なのである。建築は時代をそのまま体現する。(p.156)


同感である。こうした点が建築を見る面白さの一つだろう。



見たくなくとも見えてしまうという特性を持ち、絵画や文学のように深く複雑な意味を伝えることはできないが、代りに、“新しい”とか“強そうだ”などの単純なメッセージを広く流布するには最も適した表現といえる。単純なメッセージを広く、この特性によって、建築は政治と結ばれる。(p.196)


確かに。この点は主に政治の側から見た建築の利用価値ということになるだろう。建築を建てる側から言うと、政治や行政をパトロンとして使うことで大きな仕事ができる、という面もあり、これも建築と政治を結びつける。

2020年の東京オリンピックのために、政府が国立競技場を(膨大な費用をかけて)新しく建て直そうとしているようだが、これなども「日本(東京)はすごいだろう」と外国人に対して示したいという政治家たちの自己顕示欲から出ている面も一つにはあるだろう。(予算1,300億円→見積3,000億円→減額見直し)



 当時、世界の建築界は、イギリス、フランス、ドイツの三国がリードし、アメリカは地力はつけていたが前面に出るにはまだ間があった。こうした世界の力関係はそのまま日本にも反映し、第一世代の面々は、それぞれ自分の置かれた立場や偶然に左右されながら、手分けするようにしてヨーロッパの中心三国の様式に立ち向かってゆく。その結果、明治の建築界には、イギリス派、フランス派、ドイツ派の三派が鼎立することになる。(p.218)


本書の歴史主義建築に対する見方。確かに、外国から考え方や技術を輸入するにあたっては、習得している言語によってどこの国から輸入してくるかが決まる面もあるだろうから、どこの国の人から影響を受けるかもおのずと限られてくるということもあるだろう。

イギリス派が大部分を占めたというのは、英語を習得している人が他の言語よりも多かったという点も効いていたのではないかと推測する。



クラシック系はギリシアの白大理石の神殿を源とし、理知、秩序、永遠といった性格を期待される場合が多いことから、素材としては、目のつんだ白い石を好む。一方、ゴシック系は、ヨーロッパのそれぞれの地域の土着的建築とみなされ、地場産の粗い石や赤煉瓦を好む。(p.228)


歴史主義をクラシック系とゴシック系に分けるのも本書の基本的な考え方の一つだが、系統の違いと素材の違いを対応させるのは興味深い。

ただ、クラシック系の源とされるギリシアの神殿は、現在では色が剥げ落ちて白くなっているが、当初は彩色されていたことがわかってきている。アメリカのホワイトハウスなどもこうしたギリシアの神殿の白をイメージしてホワイトになっているが、実はそれはギリシア建築の姿とは異なっているというのは、よく言われる話であろう。19世紀頃の時点ではそうした事実は知られておらず、「ギリシア=白=理知・秩序・永遠」といったイメージが共有されていたという点を理解しつつも、実際は彩色されていたということは押さえておいた方がよいだろう。



ヴィクトリアンを消費と楽しみのデザインというならネオクラシックは生産と努力の様式なのである。
 辰野は、日本の近代が立つ位置を見定め、日銀本店のスタイルを選んだ。(p.231)


様式にもいろいろと意味づけがされているという点を押さえるのは建築を見る際にも役立ちそうである。

消費と生産との区別は本書下巻でもより詳しく述べられているため、当ブログでもできれば引用する予定である。



 ついで、建築家のその後の動きをみると、ドイツ派第一号の松ヶ崎は、エンデ&ベックマン追放とともに官を辞し、民間の建築家となり、いくつかのドイツ建築を手がけるが、「ドイツへ行って十数年もいたというのですから、日本語もうまく喋れない、字もまるっきり書けない。そういう人でしたから、その後いろいろな人や請負人等にだまされてしまった」(河合浩蔵)というような事情もあり、爵位を返上し、日本を捨て、台湾に移って鉄道局に入り(M40)、駅舎や鉄道ホテルを建てて、没している(T10)。(p.237)


松ヶ崎万長という建築家については、名前も知らなかったが、台湾に渡ったということで、ちょっと気になったのでメモ。

台湾のどこの駅舎を設計したのか、気になったので調べると、ウィキペディアによると基隆(現存せず)と新竹となっており、いずれも台湾ではそれなりの都市で、新竹駅などは歴史的建造物としてもそれなりに有名なもの。それ以上に驚いたのは、台湾総督府交通局鉄道部や台北西門市場といった作品も残っており、どちらも私も見たことがある作品だったことである。特に後者は「西門紅楼」としてガイドブックなどにも必ず載っているほど有名なスポットなので、驚きも大きかった。

なお、引用文では「日本を捨て」となっているが、当時は台湾は日本の植民地であり、「日本」の一部だったわけであり、「日本を捨て」という表現には違和感がある。植民地ではあっても、それほどマイナーなものを作ったわけではなく、それなりに重要な社会的インフラの建設に貢献しているのは明らかであり、それは日本への貢献という意味も持ちうるからである。



 ヨーロッパでは、様式はそれが過去に成立した時期の時代精神を体現するものとみなされてきた。ゴシックはキリスト教の、グリークリヴァイヴァルはギリシアの、ドイツやイギリスの赤煉瓦の壁は非イタリア的土着文化の、といったふうに。だから、イギリスではヴィクトリア朝のキリスト教精神復活運動の中でゴシックリヴァイヴァルは生れ、アメリカでは建国期に民主主義の表現としてグリークリヴァイヴァルが愛され、ドイツでは国家統一期の国粋文化運動の中で赤煉瓦の表現が力を得た。(p.263)


なるほど。こうした当時のヨーロッパの理解というのは、「誤解に基づく理解」という面もあったという点は押さえておくべきである点は、すでに指摘したとおり。

例えば、ゴシックは大聖堂などに用いられたことからキリスト教を連想するのもわかる。しかし、ゴシック建築は純粋にキリスト教的なものというよりは、異教的な要素を多く含みこみながら成立したことを踏まえると、キリスト教の象徴として使うことには問題もあることが見えてくるはずであるし、キリスト教はもともとレヴァントで発生したのだから、原点に帰るならばゴシックのような北方のデザインではなく、中東ないし地中海的なデザインを持ってくるべきだ、と言うこともできるだろう。



維新の後、唐津藩は時代の波に遅れまいと英学校を開く。辰野は入学し、東京から不都合あって都落ちしてきた英学教師の高橋是清に学ぶ。これが辰野を新時代につないだただ一つの接点で、高橋が新政府に呼びもどされると、辰野も後を追って上京し、外人住宅でボーイをして英語を学んだあと、工部大学校に補欠で入る。卒業後、建築家としての彼をバックアップしたのは政界では高橋、財界では渋沢栄一で、とりわけ渋沢の存在は大きく、初期と後期の主な民間仕事は渋沢筋によるものが多い。(p.266-267)


辰野金吾は高橋是清、渋沢栄一と関係が深かったというのは興味深い。建築は金がかかる芸術/技術であるから、政治や経済的富裕層と切っても切れない。その意味では、建築家のパトロンは誰か、人脈はどのようなものがあったか、ということを踏まえることは意外と重要な意味をもっていると思われる。

なお、辰野金吾というと、工部大学校を首席で卒業ということが強調されるが、まさか補欠で入っていたとは知らなかった。まぁ、造家学科の場合、第一期生は4人しかいないので、その中で首席だろうが補欠だろうが、それほど劇的な違いがあるわけではないだろうけれども。

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