アヴェスターにはこう書いている?
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レーモン・アロン 『現代ドイツ社会学』

 終戦後の滔々たるアメリカ文化の流入には目をみはるものがある。もちろんこれは敗戦にともなってのアメリカ軍隊の駐留と、それに基づく幾年間にわたる占領政策の実施のため、政治・経済・法律・教育・文化のすべてに渉って、いわゆる「横からの革命」が行われたことの当然の結果ではあるけれども、戦後十年を経た現在、ひとりの日本人としてめいめいが、この文化変容のみちゆきに深い反省をはらってみる必要がある。
 社会学の場合もこのことはおなじである。戦後十年の歳月のあいだに、アメリカ社会学のつよい影響をうけた日本の社会学のすがたを戦前のそれとくらべれば、おどろくべき変貌がそこにみられる。(p.1)


この本の原著の初版は1930年出版であり、本訳書は原著の1950年の第二版の翻訳である。本訳書自体は1956年の出版だから、ほぼ第二次大戦が終わってから10年ほどの時期に出版されたことになる。この時代を生きていた人が10年間を振り返ってアメリカ化の急速な進行とそれへの反省の時期に来ているという見解は興味深い。

戦後70年近く経過しても、未だにアメリカに追随しようとしている自民党――「日本版NSC」のようなものを政府が多数作ろうとしているのもその表れとみることができる――あたりには、反省の不足が感じられる。



社会科学の国民的特質というものは、まず国民的特質が吹き込む哲学と関連している。すなわち社会科学のたてる問題と、使用する概念の種類は、哲学によっているのである。歴史記述は、論理的、心理学的につねに理論にしたがっている。人は一定の人間観に照らして、過去を解釈する。この把握は、もちろん事実との因果関係を変えることはできない(或いは少なくともそうあってはならない)。しかしそれにもかかわらず、基本的にその意義を変えるのである。(p.199-200)


本書の初版のこの立場は後に第二版の頃には訂正されているが、「国民的特質」というものが、実体的なものとして想定されている点を除けば、観察の理論負荷性の考え方とかなり重なっている点、そして、本書の第二版は1950年だから、科学史や科学哲学で観察の理論負荷性が定式化される60年代より少し前に当たる点、この2点は特に興味深い。



とりわけ19世紀のドイツ哲学者は、大部分が(とくに教会の)役員の出身であり、僧侶の子弟は哲学者のもっとも典型的な代表者であった(237頁、10、234頁)。(p.201)


本当か?ある程度の傾向としてはありそうにも思うが、ちょっと気になる断定という気もする。


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