アヴェスターにはこう書いている?
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折原浩 『マックス・ウェーバー基礎研究序説』

 テンブルックのウェーバー解釈の鍵をなす概念「脱呪術化 Entzauberung」も、かれの仮定とは異なり、じつは<理解社会学のカテゴリー>に初出している(Kg,S.433, 林訳、22ページ)し、「1911~13年草稿」(WuG,S.308)にも現れている。(p.101)


ウェーバーの思想の展開や作品史を押さえるにあたってかなり重要なポイント。



「禁欲」はさらに、(俗世からの完全な離脱をともなう)「世俗拒否的weltablehnend禁欲」と、(俗世の秩序のただなかで、神の「道具」としての資格を証ししようとする)「世俗内的innerweltlich禁欲」とに二分されるが、ここでの呼称は、まだ、(<禁欲>そのものを<世俗拒否的>とみて、これを<世俗外的>と世俗内的>に二分する)<中間考察>の用語法にまでは整序されていない。ここ「宗教社会学」草稿では、ウェーバーは、<中間考察>の<世俗外的禁欲>(修道士の禁欲)だけを「世俗拒否的」と呼んでおり、<世俗拒否的>はむしろ「遁世的weltfüchtig」と同一方向にあると見られ、<世俗内的禁欲>のほうは、「世俗志向的weltzugewendet」でこそあれ、「世俗拒否的」ではない、と見ていたのである(つぎの(3)の論点に関連)。(p.230)


1911~13年草稿の「宗教社会学」と『世界宗教の経済倫理』の「中間考察」との間の禁欲に関する捉え方の相違の指摘。どうしても前者の論文は読みにくいので、(翻訳書では特に)こういった細かい概念の変遷を追うことは難しい。このあたりのことを自ら行うことができるかどうかがある意味専門家と素人とを分ける一つの境界線となると思われる。ただ、こうした指摘は翻訳で読む素人にも大いに参考になる。

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