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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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立岩真也 『希望について』(その2)
「終わった選挙のこと」より

 大きい政府・対・小さい政府という構図は粗雑すぎて話にならない。問題は何が大きく何が小さい方がよいかである。政治は社会にある財の多寡の調整にほぼ専念する。他の仕事は減らす。どの項目も一律に予算を増やさないといった案は最低の節約法である。(p.83)



「大きな政府」対「小さな政府」の対立的構図が不毛であるのは確かにその通りであり、粗雑であるという指摘は全く正しい。現に、「小さな政府」を標榜して予算削減が行われ続ける中、軍事的には肥大化が進んでいる。隠されている。政府の予算を削減する必要があるという場合、私なら真っ先に皇室関連と軍事関連の予算を削減するが、決してそのことが話題に上ることはない。特に公のメディアがそれを言わない。これは問題である。

金がないときに、単なる「象徴」のために使う費用を削るのは当然の判断だし、コンスタントに使う必要がない軍事費を削減するのも当然である。しかし、人々の生活により密接に関わるところから予算は削られていく。公共事業の削減、そして、年金、医療保険、高齢者医療、障害者福祉などが削減される。

防衛庁は防衛省になり、社会保険庁は解体されることはそれを象徴している。



「少子・高齢化社会はよい社会」より

 けれどもまず、これからの高齢者の割合がずっと高くなっていくというのは誤解です。いわゆる「団塊の世代」の人、「ベビーブーム」の時に生まれた人達は数が多かったわけで、その後は高齢者になる人自体が減っていって、高齢者の割合はほぼ一定の値に落ち着くでしょう。ですから、これから50年くらいの間をなんとか乗り切って、うまいやり方を見つけてしまえば後はなんとでもなります。(p.130)



楽観的に見るにはこうした見方も悪くはない。確かに、団塊の世代が平均寿命に達することになると、高齢者の割合は落ち着くのだろう。それは今から20年後くらいのことである。しかし、その10年後くらいには団塊ジュニアの世代が高齢者になるので、その世代が(現時点での)平均寿命くらいまで生きるとすれば、やはり50年くらいかかる計算になる。

ということは、私が生きてる間は基本的に高齢化が進むことになる。それは一時的な現象とは言えない気がするので、あまり慰めになってないようにも思う。

ただ、人口が減れば貧しくなるのか、国際競争力がなくなるのかというと、必ずしもそうとはいえない、というのは過度の悲観を避ける言説にはなるかもしれない。実際、東アジアで一番一人当たりGDPが高いのは日本ではなく香港である。私はあまり知らないが、ルクセンブルクなども生活水準は高そうだ。歴史的な事例を出せば、ビザンツ帝国から特権を得たヴェネツィアがある程度の期間、栄え続けることができたのも、似たようなものだろうと推測する。人口などの面で小国であっても生き延びるための条件はある。

日本にそれがあるかどうかはわからないが、地域大国となるであろう中国との良好な関係が築けるかどうかが、その一つの鍵を握るのではないかと私は考えている。



「ふつうのことをしていくために(抄)」より

 声高に「危機」や「未来」が語られる時、大切なことは、大仰で扇情的な話に乗らないこと、自分の仕事から考えていくことだと思う。(p.135)



その通りであろう。北朝鮮による「脅威=危機」が語られ、「美しい国」として「未来」が語られる時、大切なことは、そうした大仰で扇情的な話に乗らないことなのである。日本の人々はそれに乗ってしまったために安倍晋三が総理大臣になってしまった。そして、今さらながら、そのダメさ加減にようやく気づき始めた、というわけである。

幸か不幸か今年は選挙がある。そこでしっかりと冷静に判断していくことである。



「労働の分配が正解な理由」より

あまりに単純な人は貧困の脅迫が挑戦を生むというのだが、そんなことは一定の水準に達した社会にあってはむしろ例外的だと考えた方がよい。なにせ人生は長いから人々が先々のことを考えて不思議ではない。なんとか食いはぐれることはないと思えた方が、挑戦的になるはずだ。例えば年金をあてにできるなら、極端に向こう見ずではない人も、さしあたり実入りのそうよくない、不安定な、しかしおもしろい、そして/あるいは社会的に意義のある仕事をしようとするはずだ。(p.158)



同意見である。しかし、近年の日本では「人間は怠け者であり、脅迫によって、危機感を煽ることによってこそ必死になって働く」という人間観を背景にした発言があまりに多い。これは一面の真理ではあるにしても、人を馬鹿にした見方である。また、そういうことが仮にあったとしても、それは長くは続かない。無理をしているのだから当然である。

「多少のことがあっても食いはぐれることはない」という安心感や安定感があり、さらに未来に見通しが立てば、人間は活き活きと働くし、さまざまなことに挑戦することができるこのことをもっと訴える必要がある。(それなりに多くの論者――例えば、高橋伸夫、金子勝、神野直彦や、この本の著者である立岩真也など――が、既に相当前から繰り返し論じているのではあるが。)

ただ、新たな挑戦などの側面が見えにくいのは、それが会社の中で行われることが多かったからである。さらに、こうした最低限の保障をしっかりするという考え方は公共性の高い領域、特に行政やそれの関連団体で採用されてきたものだった(護送船団方式などという言葉も一昔前まで言われていた)こともその要因と言える。なぜなら、こうした領域では新たに挑戦をする必要はなく、むしろ、これらの業界が仕事としているのは、「マイナスをゼロにすること」であって、「ゼロ以上のところには干渉しないし、してはいけない」というのが基本だからである。だから、これらの業界ではそれほど大胆で突飛なことをする必要はないししてはいけないことの方が多い。それゆえ、安定性を確保することが新たなことへの挑戦に繋がるという事実は見えにくくなっていた。

これに対し、企業などは行政や外部の社会に最低限を支えてもらったところ、つまり「ゼロ以上のところ」から始まるものであって、行政機関などとは性質も役割も異なっている。

それにもかかわらず、近年の論調はとにかく政府は小さい方がいいということにされてしまっており、企業や家計の論理を政府に持ち込もうとしている。それによってマイナス、つまり最低生活水準が守られていないような人々が続出している。

それが格差の問題視にも繋がった。実際に生活保護世帯は急増し、また、生活保護を受けない人であっても、ワーキング・プアと呼ばれる層が注目される。そうした人たちは例えば、国民健康保険料さえ払えず、医療が受けられないということにもなっており、まさに最低限の生活水準を維持できないでいる。

不況で経済がよくならない中で、具体的な解決策もメディアなどでは紹介されない中で、漠然とした不満を多くの人々が感じてきた。その中で自分より「少し良い思いをしている(ように見える)」人々を引き降ろすことによって、心理的に安定しようとする群集心理が形成されてきたように思う。そこを転換させる必要がある。

言葉の世界からそれははじめうる。政治やメディアが現在、注目に値するのは、こうした点からも言いうる。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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