アヴェスターにはこう書いている?
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田端宏 編 『街道の日本史2 蝦夷地から北海道へ』(その1)

 欧米的な開拓のすすめ方は、技術的に先進的であったが、当時の日本の社会・経済的成熟度に適合的とは言えなかった。「政策全体としては失敗せざるをえなかった」(『新北海道史』第三巻)とされるのである。北海道開拓使は廃止され、それまでの方針も変更される。
 貧窮の士民を保護、移住させる政策は成果を挙げ得ない、道路を開削し、物産の流通を促進することで「資本ノ融通ヲ自由ナラシムル」、これが「拓地殖民ノ一大要務」(三県巡視復命書、1885年)である、とする考え方がとられるようになる。(p.18-19)


開拓使が短期間で廃止になった理由は、こうした政策の(官営から民営の方向への)方針転換にあったということらしい。



 樺太・千島交換条約(1875年)で日露間の国境問題が解決すると、北方の緊張は緩和されたが、明治20年代には、新しい国際情勢の影響が目立つようになる。
 ロシアの沿海州、樺太における開発事業は活発化してきており、シベリア鉄道の着工(1891年)は、ロシアの極東への影響力の強大化をおそれさせるものがあった。カナダ太平洋鉄道がアメリカ大陸を横断して開通(1886年)、イギリス、アメリカが計画するパナマ地峡のニカラグア運河計画が進行する情勢は太平洋側からの列強の接近に注意が必要という緊張感をあたえるものだった。(p.19)


こうした交通環境の変化は、北海道や日本というよりも欧米とその半植民地ないし植民地であった中国や東南アジアとの関係の中で理解するべきであるように思われるが、日本の側からの主観的な観測として脅威が増したと感じられるようになったというのは事実であろう。そして、それが北海道の開拓に関する議論にも影響を与えたというのは興味深い。帝国主義列強のアジア進出の中に日本の北海道開拓も位置づけられるべきものであり、この動きは、ある意味ではその後の海外植民地の獲得にもつながっていく流れとして理解することも不可能ではなかろう。



 18~19世紀の記録で知られるアイヌ農耕は次のようになる。
 ……(中略)……。
 非常に素朴な濃厚に退化したようにみえるのであるが、その理由は和人との関係の深化にあった。……(中略)……。
 金属器、繊維製品、酒、煙草などの需要も大きく、それに対応して提供するための商品生産の活動として狩猟、漁撈の発展が重要であり、農耕は、交易による農産物入手の途があるので、重要度を低くしていった、と考えられる。(p.34-35)


近世アイヌの生活は、周辺地域との間の交易によって成り立っており、そうした活発な交易活動の随伴現象としてアイヌの場合は農耕の重要度の低下があったという。日本の場合、どうしても農業生産力の高さがその地域の経済や文化の水準の高さを測る尺度という漠然とした観念が広く浸透しているため、近世アイヌのような生活スタイルに対しては不当に低く評価する傾向が出てしまうことに自覚的でありたいものである。



 安政年代、蝦夷地は幕府が直轄することとなり、蝦夷地への和人定住が奨励された。対ロシアの北方政策としての蝦夷地開発は定住する和人の手で本格化するだろうとの考えであった。村並とされたヲタルナイが定住者の増大で出産物が目立って増大してきた、という様子となっていたのである。このような幕府の開発方針のもとで、従来資源保護の意味で禁止されていた鯡の大網漁も許可され、出稼漁民のなかにも大網を持込んで操業するものも増えてきた。(p.48)


北方の脅威などを背景に幕府による蝦夷地直轄化が行われたということは、北海道や日本の歴史を学ぶと常に言われることだが、この和人定住の奨励という方向性と軌を一にして集落の規模(ヲタルナイの「村並」化)と生産の拡大があり、鰊の大網漁の許可もこの流れの中に位置づけられるというのは、本書による指摘で私にとっては初めて明確になったように思う。



 鯡積取の中遣船が大中遣船→間尺中遣船と大型化する過程は、場所請負人の松前・蝦夷地経済のなかでの位置を下げていく過程でもあった。西蝦夷地各場所での鯡漁獲量は幕末期では場所請負人の直営漁よりも、出稼漁民の自営漁によるものの方がはるかに大きくなっており、積取船の大型化はそのことを反映していた。(p.48)


幕末から明治初期の場所請負人は相当な人数の漁夫を雇い、大きな番屋を建てて経営を行っており、相当の財力があるという印象を持っていたが、本書の叙述は場所請負人の相対的な位置の低下を指摘しており、意外に感じた

場所請負人の経営が小さくなったのではなく、むしろ彼らの経営規模も大きくなったのだろうが、それ以上のペースで自営漁が増えたというだろうか?それとも多くの場所請負人の経営はそれほど思わしいものではなかったということか?




 北海道は、明治期、後進国であった日本がヨーロッパの諸産業を導入するための実験場としての役割を担わされていた。北海道がその実験場になることができたのも、このような幕末の諸産業の試みがあったからなのである。幕末における箱館奉行の諸産業の育成が、明治以降の西洋の近代農業を受け入れる地盤を形成していたのである。したがって採算面からのみ幕末の箱館奉行の活動を不成功であったと評価することはできない。(p.74)


確かに明治期に北海道の開拓は急速に進むが、幕末からの幕府直轄化とそれに伴う様々な調査などがあったからこそ実現しえたという面が多々ある。



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