アヴェスターにはこう書いている?
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A.O.ハーシュマン 『離脱・発言・忠誠――企業・組織・国家における衰退への反応――』(その2)

質、名声、その他望ましい特徴によって単一の尺度で組織をランクづけできるとすれば、その尺度の下位を占める組織は、上位の組織よりもはるかに忠誠、そして凝集力をもたらすイデオロギーを必要とするだろう。(p.90)


冷戦時代の東側諸国における共産主義やいわゆる発展途上国と呼ばれる国におけるナショナリズム、そして中東のイスラーム圏におけるイスラーム主義などはこうした凝集力を必要とする社会におけるイデオロギーと見ることができるだろう。

そして、ここ20年ほどの間に高まりを見せる日本における国家主義もまた同じである。安倍晋三や自民党の多くの議員、日本維新の会などに見られるような復古主義的であり、排外的であり、人権軽視と結びついた国家主義を受け入れる素地が社会の中にできつつある。彼らは常々「誇り」という言葉を口にするが、それは自らの所属する集団(日本という国家)が誇りを持つに値しない程度のものであるということを感じてしまうこと(世界の中で様々な尺度において、位置づけが低下しつつあることから生じている)からの逃避(拒絶)として叫ばれているものとして理解できると思われる。この不快な感覚を遠ざけたいと思うならば、自分たちが重要であると考える尺度において世界内での位置づけをあげるように努力することに集中するというのが正しい対処法である。いくら「誇り」を取り戻すなどと声高に叫んだところで、実際の地位向上への努力が伴わないならば、心の別の所で感じている感覚との齟齬が大きくなるだけであろう。)



忠誠が存在する場合、離脱に与えられていた性格は急変する。すなわち、機敏な顧客がよりよい買い物に走る合理的行動は、誉めたたえられるべきものから、今や、恥ずべき離反・逃亡・裏切りとされてしまう。(p.105)


興味深い論点。新自由主義的な政策論の中では、忠誠が位置づけられていないため、何かからの離脱が生じる場合、それはほとんど常にプラス側の評価を与えられる。しかし、現実の社会では必ずしもそうならないことがあり、その要因としてどのようなものがあるかということを理解しておくことは重要である。本書が示すように「忠誠」というものは、そうした要素のうちの非常に重要なもののひとつであると思われる。

この点は経済における新自由主義だけでなく、政治理論におけるリベラリズムにも当てはまるところがあると思われる。



 公共財という概念によって理解しやすくなるのは、ある製品、ある組織から本当に離脱することなど不可能な状況もあるという考え方である。……(中略)……。
 ……(中略)……。もし私がある組織、たとえば政党と意見を異にした場合、党員であることはやめられる。だが反対すべきその政党が活動している社会の一員をやめることは通常不可能である。また、もし私が外交政策の形成に参画し、結果的にそれに不満をもてば、政策を形成するその公職を辞することはできる。だが自分にはますますひどくなっているようにしか思えない外交政策を続ける国家の一市民として感じる不愉快な思いから逃れることはできない。(p.108-109)


非常に興味深い論点。新自由主義批判という観点からも有益な観点であるが、公職における責任の取り方などとの関連から考えても興味深い。



 下層階級から才能溢れるごく少数の者だけが社会的階梯を上昇していくことによって、上層階級による下層階級の支配は、階級の分断が固定化されいる場合よりも、はるかに確実となる。……(中略)……。
 実際問題としては、恵まれない集団、これまで抑圧されてきた集団が地位を向上させるには、個人的プロセスと集団的プロセスを組み合わせること、つまり離脱と発言を組み合わせることが必要となるであろう。(p.123)


前段に関して指摘すべき点は、いわゆる「ゆとり教育」の隠された目的の一つであった、あるいは少なくとも、それがもたらす客観的な効果はこうしたものであるだろう、ということである。

後段に関しては、離脱を個人的プロセス、発言を集団的プロセスとして捉えている点が興味を惹いた。確かに離脱というオプションは個人主義的な考え方や言動と親和性が高い。また、発言というオプションは、労働組合やデモなどにも見られるように集団的な行動との親和性が高い。逆に個人主義的に考えていくと離脱オプションが強調されやすくなり、集団主義的に考えていくと発言オプションが見えやすくなるのではないか。昨今の言論状況では離脱オプションが強調される傾向があることに鑑みれば、物事を考える際にあまり個人主義を基盤とする考え方ばかりに固執しない方が適切なバランスで物事に対処できる可能性が増すかもしれない。


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