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アヴェスターにはこう書いている?
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中野麻美 『労働ダンピング――雇用の多様化の果てに』(その3)

アメリカの公正労働基準法は、時間外労働の上限規制を置くのではなく、法律に定められた時間(週40時間)を超えたときには割増賃金(50%)を支払わせることにして残業抑制に誘導する規制方式をとっている。日本の割り増し賃金率は、時間外労働や深夜労働で25%、休日労働で35%という低率だ。1995年のILOによる調査でも、調査対象国122か国中、50か国が50%以上の割増率を定めており、日本のように25%以上というレベルは23か国にとどまっている。割増率は最低限50%にしないと残業抑制効果はないし、それだけでは働き方を変えることはできまい。(p.208-209)



アメリカで「さえも」割増率50%というのは(労働時間の上限規制はないとはいえ)、ちょっと驚きだった。

民主党が昨年12月6日に出した案では(例としてではあるが)割増率を50%にすると謳っているが、妥当だと思う。

ただ、私としては、現時点では、正社員の給与のベースアップよりも(それはそれで本来は大事なことではあるが)、「まずは」パートや派遣などの扱いを変えて待遇を良くする(均等待遇)べきで、同時に正社員は割増率を上げるなどの形で長時間労働をさせないようにして、新しい雇用の余地を広げる(ここにパートや派遣を正社員化して組み込む)べきだと思っている。




 EUは、1993年労働時間指令で、日々24時間ごとに少なくとも継続11時間の休息期間(rest period)の確保(三条)を求めている。フランスやドイツなどでは、こうした非労働時間の確保とともに、一日を基本的な単位として、労働時間の上限枠(10時間)を設定して、その枠組みを超えた労働を禁止している。
 日本では、1999年労働基準法見直しに際し、三六協定は、一週15時間、二週27時間、四週43時間、一か月45時間、二か月81時間、三か月120時間、1年360時間を超えないようにしなければならないとされたが、一日の上限時間は設定されていない。人間の生活と生体のリズムが一日サイクルであることからすれば、労働時間規制は一日を単位とすべきだ。(p.209-210)



これもできるだけ早期にやるべきだろう。ただ、正規雇用などの安定的な雇用の形態を増やし、それを再度定着させることとセットにしないと、実効性はあまりないだろう。現実に10時間で終わらせることが不可能な人は、現状では結構いるだろうから。




『産業人メンタルヘルス白書』(社会経済生産性本部、2005年)は、仕事の範囲や責任が明確な職場では、負傷者も残業時間も少ないことを指摘しているが、これは、労務提供の範囲を明確にすることで生活と仕事のけじめがつけやすくなることを窺わせる。・・・(中略)・・・。しかし、ただ能力や結果だけを問うといった、あやしい制度のもとで、その時々の経営の必要に応じて設定された目標を「達成するまでやりきれ」という管理では、とんでもないことになってしまう。(p.210-211)



仕事の範囲や責任が明確な職場では、負傷者も残業時間も少ない」というのは重要である。政治の場で語られる言説としての成果主義や能力主義を見る限り、そうした点への配慮はほとんど見られない。だから、近年は、中野の言う「あやしい制度」ばかりが導入される傾向がある。

このことを認めると、成果主義でも仕事の範囲や責任が明確であれば、それほど悪くないとも言える。ただ、そうやって仕事や責任を明確な限定ができる職場は非常に限られているだろうから、成果主義は一般に導入すべき制度だとは言えないと言えそうある。

また、ある時点では仕事が明確にできても、時が過ぎると、仕事の中身は変わってくるのだから、それが持続するとは限らない。したがって、不明確な仕事や責任の所在がはっきり確定できないような状態になったら、別の制度が導入されなければならないことになる。

コロコロ制度を変えるのはよくないとすれば――実際に未来の見通しが悪くなるので、あまり頻繁な制度改正はよくないと言える――かなり状況が安定的な仕事でしか導入する理由はないのではないか?というところまで追い詰めることができる。

しかし、いずれにせよ成果主義は労働する際の動機付けを「弱める」ので、基本的に採用しない方が良い、というのが私の立場なので、原則としては成果主義の導入には反対し、慎重な姿勢をとるのだが。

ちなみに、動機付けを「弱める」つまり、やる気をなくさせるというのは、今の「常識」とは異なるかもしれないが、成果主義の「未来への見通しの悪さ」を考えれば、当然のことを言っているに過ぎない。

たとえば、成果主義では成果ややる気に対して評価がなされるが、基本的には、自己評価と他者による評価がほぼ一致したときに「努力が報われた」という類の満足感が生じることになる。しかし、短期的に評価を行う場合、それらは齟齬をきたすことがあり、さらに、コストダウンのために成果主義が導入されたのなら、なおさら低く評価される方向へバイアスがかかることになる、という風に考えれば、納得できるだろうか。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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