アヴェスターにはこう書いている?
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小熊英二 『社会を変えるには』(その2)

日本は終身雇用の社会だと言われましたが、実際に終身雇用が成立するほどの大企業で雇用されていた人は、1970年でも全労働力人口の一割あまりで、残りは中小企業や農林水産業、自営業などでした。(p.73)


ある社会に対するイメージとその社会の実態は大きく乖離していることがあるが、終身雇用社会という日本社会のイメージもまたそうしたものの一つである。



 1950年代前半の政権党である自由党(自民党の前身)の憲法調査会は、憲法九条の改正だけでなく、男女平等、言論・出版の自由、労働組合の権利などの見直しを検討課題としました。そのほか、天皇を元首にすること、県知事を選挙で選ぶのではなく戦前のように政府の任命制にすること、参議院は戦前と同様に政府推薦議員を含めて構成すること、なども検討していました。要するに、戦後改革は間違っている、できるだけ戦前の体制に戻そう、という趣旨でした。教育政策では、教育委員会を選挙ではなく戦前の任命制に戻す、愛国心教育を行なう、といったことが唱えられました。(p.88-89)


現在の自民党や日本維新の会がしようとしていることの大部分は、自民党の前身であった自由党が戦前回帰を志向して言っていたこととほとんど重なっていることが分かる。

安倍晋三が最初に政権についた時に強行採決で変えてしまった教育基本法は愛国心教育が盛り込まれているし、橋下徹などが教育委員会に対して攻撃を仕掛けていること、さらには参議院不要論もこうした一連の流れの中に位置づけてとらえる必要がある。



 こうした人びとは、広い意味で「民主主義を守る」という意識を持っていました。そこでいう「民主主義」というのは、漠然とした「戦前回帰」への反対であり、「戦争はごめんだ」という感情の表現でもありました。
 ですからその「民主主義」は、議会制民主主義だけのことではありませんでした。そこには、平和志向・男女平等・愛国心教育反対など、「民主主義」とは必ずしも不可分とはいえない事項も含まれていました。(p.89-90)


上で引用したような戦前回帰を志向する政党に対して反対してきた人々が共有していた意識が指摘されている。現在でも保守的な憲法改正を志向する勢力はしばしば「アメリカから押しつけられた」憲法などと言うが、ここで指摘されているような意識が存在しつづけてきたということは、すなわち、当時、日本国憲法を受容した日本の人々は、その憲法の理念に強く共鳴するような意識を広く深く共有していたのであり、「押しつけられた」などというのは実態とは異なっていたのである。



 そして二つ目の弱点は、戦後のある時期に成立した「民主主義」のワンセットに、あまりに頼りすぎたことです。戦争体験世代が社会から引退し、平和志向と民主主義と愛国心反対がなぜ結びついているのか理解できない、という世代が多くなってくると、支持が広がらなくなりました。
 またある意味で悲劇だったのは、必ずしもマルクス主義を信じていたわけでも、ましてや上意下達の前衛党組織が好きなわけでもない人が、平和志向だったり「民主主義」志向だったというだけで、共産党に入党したりしたことが多々あったことです。(p.94)


この指摘は、最近20年間ほどの社民党や共産党のような左派勢力の急速な衰退を考える上で非常に重要だと思われる。共産党や社民党はこうした点を考慮しつつ、現在の日本においてどのようなアピールをすれば彼らの理念が受け入れられるか考え直す必要があるように思われるし、私自身も考えてみたいと思う。



 また60年当時の首相の岸信介は、先ほど述べた改憲案を検討していた、自由党の憲法調査会の会長を務めていた人物でもありました。そのうえ岸は、日米開戦当時の商工大臣で、元A級戦犯でもありました。
 しかも、安保条約の批准のやり方が反感を買いました。日米交渉で改定が決まったあと、国会で批准しようとしたのですが、野党の反対が強いので、夜中に国会に警官隊を入れ、社会党の議員を強制的に追いだしたあと、自民党の議員だけで強行採決したのです。当時の報道によると、岸の側近以外は自民党議員の大半も採決を事前に知らされず、いきなり手を挙げさせられてしまったようです。
 当時はテレビが普及しはじめたころで、警官隊に社会党の議員が排除される様子もすべて報道されました。当然、これは民主主義の蹂躙だという批判がおきました。また岸は安保改定は第一歩で、最終的には改憲まで考えていたようです。そのため多くの人が「民主主義の危機」だと受けとめました。(p.110)


戦前回帰を志向していた憲法調査会の会長であり、戦前の体制を担いA級戦犯でもあった人物であり、国会で「暴力装置」を用いて「民主主義」を蹂躙する強行採決を行った、というのが安保条約の改定であった。

安倍晋三はこの岸信介の孫である。単に親族であるということからDNAでその気質を引き継いでいるなどと言うつもりはないが、身内にこうした人物がおり、その人物は恐らく一族の中で高く評価されてきたであろうことを考えると、親近感や共感を自然と感じながら育つような環境にいたであろうと推察することは不当ではあるまい。そして、先ほどのように自由党の憲法調査会が憲法を変えようとしていたこと、安倍晋三や自民党および日本維新の会のような超保守派が変えようとしている憲法案がそれと基本的なコンセプトにおいてほとんど一致していることは指摘できる。

国民の権利を現在よりも制限するような方向性が目指されていることは明白であり、それが実現した暁には、かつて岸信介が行なったような強権的な政治が容易に行えるようになっていくのであり、それはある意味では、日本の政治が現在の中国のような統治が行なわれるようになることを意味する。現在の中国のような政治環境の土地に永住したいと思う人以外は、安倍晋三や橋下徹などに代表されるような勢力に加担すべきではないだろう。



 こういうわけで、「私は集会とか、デモに背をむける人間だが、今度ばかりは越えさせられぬぎりぎりの一線を感じて立ち上がった」というような人が行動しました。当時この言葉を発したのは、若手作家や芸術家のグループである「若い日本の会」のメンバーだった、作家の石原慎太郎です(「朝日新聞」1960年5月31日)。(p.111)


安保条約改定の際の発言だが、この時は立ち上がった石原慎太郎も、現在では当時の岸信介と同じ方向で「立ち上がれ日本」とばかりに立ちあがってしまい、現在では「日本維新の会」で改憲の最右翼の勢力を形成している。彼が目指しているのは「太陽の党」などという失笑を買うような名前にも暗示されているように、かつての「大日本帝国の栄光」なのであろう。

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