アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

小熊英二 『社会を変えるには』(その1)

 そういうポスト工業化社会に日本社会が移行したのは、1990年代の半ば以降だったと思われます。……(中略)……。
 まず大きくみると、1970年代から80年代の日本は、今日の中国や東南アジアがそうであるように、先進国で衰退した製造業を肩代わりする新興国でした。当時の日本製品の強さの象徴は、いまでは他のアジア諸国が生産の中心になっている半導体でした。じつは1984年の日本の対米輸出の四分の一は、在日アメリカ系企業の輸出と、アメリカ企業向けの部品輸出、そしてOEM(他社のブランド製品を製造すること)契約による完成品の輸出でした。
 それを可能にしていたのは、冷戦という国際環境でした。(p.26-27)


ポスト工業化社会に関する議論は80年代頃日本でも盛んに行われていたと認識しており、漠然と70~80年代には日本もそうした社会になっていたかのように錯覚していたところがある。社会学が得意とする「暴露」をさらりとやっているあたりが良い感じである。(これ見よがしの暴露や暴露が自己目的になっているような理論が10年くらい前には多くあり、この類のものには食傷状態だったが、久しぶりに小気味よく眼を開かされた。)

冷戦という国際環境が日本の高度成長や産業競争力の大きな源泉であったことはそのとおりであり、冷戦終結後に日本の経済成長が伸び悩み続けているのは、そうした背景を失ったことが大きな原因となっていることはよく認識する必要があり、その前提から今後の経済運営の方略を考えるべきだろう。



 1980年代半ばの時点で、未婚女性、主婦、学生、高齢者などからなる「第二労働市場」とも呼ばれる層は、全雇用者の60~65パーセントを占め、この割合は主要先進国のなかでは最高でした。いわば石油ショック後の雇用格差は、日本ではおこらなかったのではなく、周辺化され目立たなかっただけだったといえます。(p.29)


この認識も重要であろう。中曽根内閣に象徴されるような新自由主義と新保守主義の路線が高い支持を得たことも、こうした社会状態が背景にあったと考えるべきであろうし、そうした政策がこの傾向をさらに加速するという悪循環をもたらしたわけである。



 あわせて、やはり80年代後半に始まった日米構造協議をきっかけとして、多くの規制緩和と自由化が行なわれました。
 たとえば1973年に制定された大店法(大規模小売店舗法)のもとでは、地元の商工会の合意がないと、大型店舗が出店できないことになっていました。これが日米構造協議で批判されて、1991年に改正(2000年に廃止)されます。そのあと、郊外大型店が急増して、商店街がさびれていきます。1991年から2009年までに、小売店の数は約三分の二に減りました
 経済の低迷にたいして、日本政府は公共事業を増やすことで対応しました。地方には公民館や大型道路がどんどんできましたが、大型道路を作れば作るほど、幹線沿いに大型郊外店が建ち、都市へ人は出て行って、かえって地方の衰退が進みました。(p.31)


この流れを思い返すたびに嘆かわしい気分になる。

最近ではそれぞれの地域ごとにいろいろな取り組みが行われているが、そうした動きの中から全体の流れを良い方向に向けていくようなブレイクスルーが起こることを期待したい。



 ソ連の体制は、戦争から始まっています。第一次世界大戦中におきた革命のあと、革命政権をつぶそうとする干渉戦争や内戦をのりきり、軍事力を強めるため、統制と計画経済が実行されました。「五ヵ年計画」といった計画経済は、ナチス・ドイツや、日本支配下の満州国も行なったもので、20世紀の戦時経済に特徴的なものです。
 そしてじつは、日本の道路や原発の建設も、よく似たかたちで行なわれてきました。……(中略)……。
 この計画にもとづいて、ほとんど計画経済のように、原発が作り続けられました。ただし日本の原発政策の特徴は、韓国やロシアのように国営公社が原発を作るのではない、政府の政策にもとづいて民間会社が原発を作る「国策民営」であることです。
 この体制の始まりも、第二次世界大戦からでした。1939年から1942年にかけて、軍需産業への電力供給を安定させるため、全国に412社あった電力会社が九社に統合されました。ここで各地域を一つの電力会社が独占的に分担する制度が作られ、現在まで続いています。この電力統制は、国有会社化ではなく、国策に民営会社を従わせる「国策民営」で行なわれました。
 ときに誤解されていますが、日本政府は公務員数から言っても、政府支出のGDPに占める比率からいっても、先進国のなかでは小さいほうです。日本政府の強さは、大きさではなくて、民間企業を従わせる指導権や許認可権の強さです。それによって財政支出は抑えているのに、存在感は大きいものがあります。地方公務員の数を減らしても、窓口サービスが悪くなるだけで、日本政府を弱めることにはなりません。
 たとえば日本のテレビ局は、総務省(かつては郵政省)の免許制なので、政府ににらまれると免許の更新ができなくなる可能性があります。そのため、政府批判を控える傾向があるとも言われます。そのかわり、既存のテレビ局は、新規参入業者を政府に抑えてもらい、競争を減らしてもらうメリットがあります。(p.42-44)


日本政府は政府の規模や財政規模の大きさではなく、指導権や許認可権の強さであるという指摘は鋭い。「国策民営」という用語も「民営化」によって政府の力を弱めることができない点をも含意しており有用だと思う。

また、ソ連の体制が戦争のために作られてきたものであるというのは、中国や北朝鮮の一党独裁体制も同じである。日本もある意味では同じような要素を持っていたことは興味深いものがあり、その際の方式として「民営」で行なった点が異なっていることが分かる。この違いは冷戦構造の形成を全体として見ていくとよく理解できそうに思う。

ちなみに、自分よりも弱い敵対者に対して強権的な態度をとる傾向をもつ安倍晋三が(2012年に)政権をとったことで、マスコミの政府批判がぱったりと止んだことは、(単に株価が上がったため様子を見ているということだけでなく)日本の政府の力をマスメディアはよく理解しているということだろう。



スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/874-85c12c7e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)