アヴェスターにはこう書いている?
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ロッシャー 『歴史的方法に據る国家経済学講義要綱』

 如何にして国富が最もよく促進されるかという問題は吾々にとっても一の主要問題たるを失はない。しかしそれは決して吾々の本来の目的をなすものではない。国家経済学は単なる貨殖術(クレマティーク)即ち富まんがための技法ではなく、人類を判断し人類を支配せんとすることに帰着する一の政治的科学である。吾々の目標は、諸国民が経済上、何を考へ欲し感じたか、何を努力し達成したか、何故に努力し、何故に達成したかの記述である。かかる記述はただ国民生活についての他の科学、殊に法律史・国家史及び文化史と密接に結びついてのみ可能である。(p.18)


ロッシャーによる「歴史的方法」についての説明の一部より。

経済のみを切り離して分析するような方法はとらないことを宣言し、政治的科学であることを明言している点は、専門分化が進んだ昨今の経済学が、現実には特定の政治的な立場からの政策立案を促進する媒体としての機能をはっきりとになっており、多くの経済学者もそうした政治的な立場に立ちながらも、それを明示することなく「科学」の名の下で中立や客観性を装う姿勢よりもはるかに害が少ないものであると思われる。

また、諸国民が、何を考え欲したか、何を達成したか、といったことを記述するという点に関して、本書では「文化」についてしばしば言及されており、高度な文化段階と低度の文化段階との生活様式が区別され、そうした文化段階と経済の発展段階が結びつけられて叙述されている。このあたりは現代の学問的な考え方や感覚からすると大いに違和感を感じるところではあるが、特定の生活上の行動様式と経済的活動との関連性についての分析がなされるならば、叙述された内容自体は意味を失わないかも知れない。



 之に反し海洋漁業は文化高まるにつれて進歩する。現代最も有力な商業国民は此の事業に重きを置くのが常である。鰊の漁業。捕鯨。此の二業は海員(Seelenleuten)の発達に対し重大な意義をもっている。(p.74)


鰊漁の歴史には多少関心があるのでメモしておく。



鉄道の軍事的意義。併し他面に於て外敵もまた、一度び運輸組織を占領するや、これを大に利用することができる。殊に国内に於ては内乱・陰謀が容易となる。下層階級に対してすら旅行が容易となるといふことは非常な民主化的なものを伴っている。(p.185)


鉄道の路線や自動車の道路も歴史を調べてみると、戦争を意識して経路が決められたものが少なからずある。「下層階級」の旅行が容易となることは「民主化的なもの」が伴っているというのは、なかなか興味深い指摘。



しかし若し吾々が国民の繁栄期といふものを正しく規定するならば、吾々の判断の上に一つの支点を見出すのである――即ち其れ以前に属するすべての制度を吾々は未だ充分ならざるものと見、其れ以後に属するすべての制度を既に退歩に向へるものと見る。(p.291)


ロッシャーの方法の特徴をよく示している箇所の一つ。

私は本書をマックス・ウェーバーの思想を理解するための資料の一つとして読んでみたという側面が大きいのだが、ロッシャーの方法論においては、繁栄に向けた一方的な発展だけでなく、そこから衰退へ向かうことをも初めから想定しているが、この発展と衰退のプロセスは、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』における、禁欲的プロテスタンティズムによる世俗内的禁欲の発展という見方と、その後の「鉄の檻(殻)」となり末人が跋扈するようになるという現代と将来へのペシミスティックな展望という展開とも似たところがあるように思われ興味深いものがある。

ちなみに、ロッシャーが経済的発展の段階と「文化」の高低とを結び付けて議論するところも、ウェーバーがポーランド論などで「文化」のレベルの維持を求める主張と多少重なるものが見て取れると思われる。



 かくてロッシァーの歴史的方法なるおのは所謂「進化法則」の把握をその核心とする。彼に従へば経済学の対象は国民経済の進化法則にある。読者は本書の随所に於て国民経済の進化法則といふ言葉及びその実際の適用に逢着するであらう。進化法則といふのは古代・中世・近世といふやうな年代分けとは直接関係がない。古代や中世に於ても、近代と同じ進化法則が繰り返されてゐるといふやうな説明が諸所に見受けられる。進化法則は国民の「繁栄=没落」といふ表現に於て、或は「低度=中度=高度」の文化段階といふ表現に於て把握される。ここに至って彼のいふ進化法則は多分に国民主義的有機観によって支持され、経済現象は他の法律・言語等の諸現象と一緒に国民全体のうちに包括されるものであり、国民の生起消長と運命を同じくするものであると見られる。さうしてかかる有機体の発展のうちに、或る制度が廃たれ他の制度が採られるといふ相対性が見出され、延いて国民興亡の教訓を汲みとらんとする政策論が出てくる。即ち複雑多様な国民の歴史的進行を観察することによって政策的判断の手がかりを摑まうとするわけである。(p.319)


訳者解説より。ロッシャーの方法をコンパクトにまとめており参考になる。

ロッシャーの「進化法則」は、古代・中世・近代といった歴史の時代区分とは一致せず、様々な時代と地域にある程度まで共通して適用できるものと考えられているとする説明からは、ウェーバーとの関係でいえば、彼がこういた「法則」を「経験的規則」であるとより適切に説明し直したことを想起した。



ロッシァーの下に学び彼にその主著を捧げたカール・メンガーは、その理論的立場から、ロッシァーの歴史法則を単なる外面的な法則であり、古典学派との折衷に過ぎないと見てゐる。歴史学派の内部からは、ロッシァーの歴史的観察に於ける歴史的なるものの把捉の企図の不充分が問題とされ、むしろ歴史的認識の論理的徹底といふ方向がクニースを経てマックス・ヴェバーによって進められた。(p.320)


訳者解説より。ロッシャーの方法に対するすぐ下の世代からの批判。外面的な法則でしかないという批判は、私もロッシャーの方法は記述されたものがどのようなメカニズムでそのようになっているのか、という説明が欠けていると感じており、この私の批判はメンガーの指摘と歴史学派による展開によって目指された方向と一致するように思われる。

(メンガーからの批判と歴史学派の応答はかみ合っていると思われる点が興味深い。また、本書は講義要綱なので、詳細な説明がなく何が講義の議題となったかという程度のことがメモされているに過ぎないから、ロッシャーにもある程度は因果関係などの論理的な記述もあったのかもしれないという点で私の違和感は今のところ印象論に過ぎないということは留保しておきたい。)



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