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アヴェスターにはこう書いている?
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中野麻美 『労働ダンピング――雇用の多様化の果てに』(その2)

 このところ相次いだ不幸な事件を契機に、公の施設におけるエレベーターの設置・管理のあり方や公営プールにおける安全管理の体制に世間の関心が集まっているが、深刻な事故の発生は、少しでも安ければよいという考え方から決別すべきだという警告ともいえる。委託業者がころころ変わって働き手も変わる、しかもより低賃金で長時間働くことを強いられる職場にあっという間に変えられてしまうような構造そのものをなくす必要がある。そのためには、国や自治体が民間と契約を締結するときには、公共の観点から、一定の水準の雇用や労働条件を確保するルールづくりをする必要がある。自治体には議会の条例制定権が憲法で保障されているのだから、法律に違反しない限り、条例を制定することは可能である。
 その条例制定運動を推進しようという動きが全国各地で試みられるようになってきた。札幌地区連合の公契約条例案の作成とその採択を求める働きかけは、そうした流れの先駆けとなった。そして、公営プールの管理を民間業者に委託することについては、それまで働いていたインストラクターを継続して雇用することを公募の条件にしたり、指定管理者制度を定める条例に労働基準法など労働法に違反した事業者を排除する欠格条項を盛り込んだりする流れがつくられてきている。(p.181-182、強調は引用者)



市場原理主義的な規制緩和路線に対して、自治体の条例によって社会的セーフティネットを張ろうという戦術がとられているわけだ。

私としては、本来は中央政府の法律でやるべきところなのだが、その中央政府や国会が市場原理主義に感染しているために、こうしたやり方がとられている、と見る。その意味で現在の運動はベストのものはないだろうとは思う。

しかし、こうした戦術が可能であるのもある程度の多元性が確保されているが故のことである。現在の政治の潮流は多元性を破壊しようとする傾向が非常に強いため、どこまで持ちこたえられるか心配ではある。しかし、これまでの歴史を見れば、こうしたローカルな動きがさきがけとなって、「やはり社会的セーフティネットを張った方がうまく行く」という認識がある程度広まれば、それを中央政府が採用する可能性もある。両方の陣営の公共圏を巡る戦いがなされているということだ。




 「安心して働ける仕事」とは、単に働いてなにがしかの収入を得られればよいというものではない。人間は仕事を通じて社会とつながり、経験や技能を積んで発展を手にする存在であり、仕事は、個人として自立しながら人間相互の諸関係のなかで生きる基盤である。仕事とは本質的に人権そのものなのである。失業統計のような、ただ人々が雇用されて仕事についているかどうかを測る物差しでは、真にその人権が満たされているかどうかはわからない。短時間・細切れ雇用でとても自立して生活できないような賃金であっても、とりあえず雇用されて働いている人としてカウントされてしまうからだ。失業率は低い方がよいに決まっているが、それだけで事態が「改善」されたといえるものではない。(p.193、強調は引用者)



私が労働問題に関心を深めたのは、いわゆる「格差」の問題を調べている文脈からだったのだが、格差に関する議論で、しばしば出てくる議論にタクシー業界の規制緩和に関する言説がある。このあたりを読んで、それを想起した。

まず、主に「格差」を批判する側の人たちが、タクシー業界の労働条件が規制緩和によって極端に悪化したことはよくない、といって批判した。低賃金になり、待遇は悪化し、労働時間は長くなった

これは事実といってよいだろう。少なくとも、このことの逆が大量現象として進行したとは誰も言わない。

ただ、これに対して「格差」容認派の人たちは、次のように切り返した。規制緩和をしたからタクシー業界に職が増え、失業していたはずの人々が職に就けたのだから、「格差」は規制緩和で拡がったとは言えない、あるいは、失業が減ってよかったではないか、と言う。

一見もっともに聞こえる。いまだにそれを信じている人も、それなりの数、いるものと思う。

確かに、タクシー台数が増えたことで、失業者をある程度吸収したのは事実である。その意味で規制緩和が失業率を下げるのに「貢献」した面はあるだろう。また、例えば「規制に守られているタクシードライバー80人と失業者20人」という組み合わせよりも「規制緩和で低賃金化したタクシードライバー90人と失業者10人」の組み合わせの方が「上と下の所得と就労状況の相違」という意味での「格差」は小さくなった、とは言えるだろう。

しかし、「格差」容認派のように、ここで話を終わらせることはできまい。

中野の議論は、その続きを述べたものと言える。ただ、それは単に最初の議論の本旨に戻っただけでもある。そして、実際、それで良いのである。

「格差」容認派が言ったのは、基本的には個々の労働者や失業者の生活状態をどこか無視した「数字上の話」によって、自分の支持したい政策の正当性を主張しようとしているに過ぎない、と言える。

◆大半のドライバーは精神的にも家計も苦しくなった。
◆一部の失業者は失業を逃れたが、今後も良い待遇で働くチャンスは減った。(こうした仕事ばかりが増えれば当然そうなるだろう。)
◆マクロで見ても、所得格差の拡大の度合いを食い止める要素があったとしても、全体として貧困化する方向に推移した。それももともと賃金が高い職種ではない人々がさらに下がった。
◆また、以上の三点とも関わるが、タクシーの台数が増えたことが失業を吸収したのは確かだとしても、失業を吸収する方法は他にもさまざまなものがあり、政策として別の、より生活や人権を脅かさない穏当な方法はあった。それなのにそれを採用せずに、「痛み」を押し付ける政策を行った。

概ねこれら理由によって、私は「格差」容認論を批判する。なぜなら、「格差」の問題とは、格「差」の問題、つまり、上と下の違いの問題ではなく、その核心は「貧困化」の問題であり、「人権侵害」の問題であり、究極的には「諸個人の存在を脅かす方向に社会が進みつつあるという問題だからである。(この点については、近日、しっかりとまとめたいと考えている。予想以上に仕事が忙しくならなければ…。)

多くの人々が、そうした動きを感じることが増えたのが、それをはっきりと捉えられないからこそ、それに由来する不安を感じることになり、その不安を「格差が広がっている」という言説に投影していると考えられる。

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