アヴェスターにはこう書いている?
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今野元 『マックス・ヴェーバーとポーランド問題 ヴィルヘルム期ドイツ・ナショナリズム研究序説』(その2)

 ロシア自由主義者の活動を追跡する過程で、ヴェーバーはロシア帝国の少数民族の「文化的自治」という構想を知る。……(中略)……。
 ヴェーバーがこの「文化的自治」構想に注目したのは、多民族国家の統合維持の手法としてのそれに興味を抱いたからであった。彼がドイツのポーランド政策を「うまくいっていない[erfolglos]」とする傍ら、小ロシア(ウクライナ)のロシア化政策を「うまくいっている[erfolgreich]」と表現しているところに、彼の目指すものが少数民族への「文化的自治」付与そのものではなく、寧ろ国家的統合の維持であったことが滲み出ている。(p.162)


この指摘も「聖マックス信仰」からは出てこないものの一つだろう。ウェーバーのこうした権力政治一辺倒の政治観に対しては批判が必要だと考えている。これに関してはアダム・スミスの政治観との対比という事例を提供している鈴木俊彦の『ヴェーバー的方法の未来』からも先日示唆を受けたところである。



彼にとって、(戦争も含めて)凡そ闘争は人間の当然の営みであり、これを回避しようとする、あるいは回避できると思うのは政治の誤解に他ならない。……(中略)……。ドイツは実際に敗北したが、それは「罪」深いドイツが「罰」を受けた訳ではなく、またそもそも戦争という行為それ自体は何等非難に値するものではないというのが彼の信念であった。
 ……(中略)……。一方で西欧戦勝国に対してそもそも戦争を道徳的観点で評価すること自体を拒否しながら、他方でドイツの対ロシア戦を「よき」戦争と呼んで道徳的に肯定するところに、彼の戦争責任論における対西欧・対東方の「二枚舌」的性格が顕在化している。(p.206)


ウェーバーが「闘争」を志向ないし重視する点は従来から知られていたところだが、戦争をも道徳的に非難されるべきものではないとするような彼の考え方には、現代の日本での生活感覚としてはなかなか同感できないところがある。ウェーバーのこのあたりのナイーヴさがどこから来るのか、ということにも興味が惹かれる。

なお、二枚舌的な戦争責任論は、権力政治的な政治観からの帰結であろう。自国の権力の維持・拡大を中心に据える自己中心的な発想に立てば、その権力の維持増進に係わることであれば「善いこと」になり、そうでないものは「悪いこと」になるからであり、そこには善悪の明確な基準がないからである。例えば、世界大戦期のイギリスが中東地域に二枚舌三枚舌の外交を展開し、現代にいたるまでの混乱の種を撒いたことは周知のとおりであろう。



 1919年2月以降、ヴェーバーは「正義の政治のための作業共同体」(ハイデルベルク連合)に参画している。この団体は、来るべき講和交渉の中で、戦勝国側が道徳主義的攻勢を掛けて来ることを予想し、これに理論武装するという目的で、帝政期最後の帝国宰相マックス・フォン・バーデン大公子の周辺に結成されたものである。この団体は、1919年2月3日及び4日にハイデルベルクのヴェーバーの私邸で会合を開き、その事務局は同年6月までこのヴェーバー私邸にあった。このことから、彼がこの団体で重要な役割を果たしていたことが分かる。1919年3月から、彼は更にマックス大公子の要請で、ベルリンの外務省でのヴェルサイユでの講和交渉の準備会議にも参加する。そして同年5月にはヴェルサイユに赴き、ハンス・デルブリュック、マックス・モンジュラ伯爵、アルブレヒト・メンデルスゾーン・バルトルディとドイツの立場を擁護する『教授文書』に署名している。(p.206-207)


ウェーバーのヴェルサイユ条約とのかかわりなども非常に簡単にしか触れられていない解説書が多いので、私としてはよく分からない点の一つである。



一旦勃発した戦争が順調に進めば、平和主義的なリベラル・デモクラシー信奉者の議論は攻撃的なリベラル・デモクラシー信奉者の行動を押し留めるだけの迫力を失い、結局は戦争及びそれによって惹き起こされた状態に順応していくことになる。(p.221)


これと似たような現象はいろいろと起こりうるので参考になる考え方。



ロシア国籍のポーランド人農業労働者の排除は、あるいは独露関係の悪化にも繋がりかねない微妙な問題であったが、この点で当時のヴェーバーは著しく鈍感だったのである。(p.222)


確かに。



 人間の「文化」水準の差異を問題視する議論、いわば「文化」勾配論は、決して本論が問題にしている左派の専売特許だという訳ではない。蓋し「文化」勾配論は、何らかの政治思想から導き出された論理的帰結ではなく、人間の感覚的なところにその淵源を有しているからである。……(中略)……。「文化」勾配論に固執するかどうかということは、政治的党派よりも、人間同士の「文化」の違いを意識するような状況に置かれているかどうかに左右されるのではないかと思われる。
 とはいえこうした「文化」勾配論は、左派の発想と一面で親和性を有しているともいえる。というのも、左派が共同体の成員として想定(あるいは期待)している人間とは、知的に高度に洗練された「文化」人、即ち「個人」だからである。(p.223-224)


著者の言う「左派」とは「リベラル・デモクラシーの推進に積極的」ということであり、ナショナリズムへの加担とは別次元のものとして設定されている。そして、著者の言う「リベラル・デモクラシー」とは、ある共同体の存在を前提とし、その全成員に自由と平等とを保障した上で、その全成員の直接・間接の参加に基づいて共同体を運営していこうとする思考であるという(以上については、本書p.241の注(6)と注(11)を参照されたい)。

自由と平等を前提としたうえで全成員の参加によって共同体を運営しようとする発想と、差別的な発想との極めて強い親和性を持つ「文化」勾配論との親和性を指摘している点は参考になる。前者は自由に決定する権利が平等に与えられることを前提とし、その中で主体的に決定する個人が前提されているわけだが、実際にはそのような負荷に耐えながら生きているような人は稀であり、これを「文化」の高低によって解釈しようとする場合、両者が結びつくわけだ。非常に興味深い指摘である。

この議論で私が想起したのはマイケル・サンデルの「負荷なき自己」というリベラリズム批判である。ここには、リベラリズムは「負荷なき自己」を前提としてしまうことで、かえって道徳的な空白を作ってしまい、極端な道徳的主張に対して抵抗する力を持てずにいるという指摘が含まれていると思うが、本書の指摘するリベラル・デモクラシーと「文化」勾配論の親和性も、この議論と関連していると思われる。リベラル・デモクラシーを信奉する際、その共同体の大部分で共有されている美徳があり、そうした美徳は共同体によって異なりうることを明確に認識していれば、「文化」勾配論へと滑り落ちていくことに対して多少なりとも歯止めとなるだろう。

また、「文化」の高低について一つ私として明記しておきたいことは、ある共同体で共有されている「文化」があるとして、他の共同体の「文化」と比較して自らの「文化」が高いか低いかということを普遍的な尺度で測定し、一義的に(他にはあり得ないという仕方で)決定することはできないことは常識であるとしても、その共同体の内部における各成員の「文化」水準の相違ということであれば、ある明確な基準に基づいて議論しうるのではないか、ということである。なぜならば、その「文化」が(必ずしも全員に是認されていないとしても)共有されている(存在していることを了解されている)とするならば、その内部ではその「文化」内部での価値基準に基づいて差異を目的に対する序列として示しうる場合があるからである。



 さて本論で見てきたように、ヴェーバーはこういった人間の「文化」水準に殊更関心の強いドイツ人の一人であった。彼にとってリベラル・デモクラシーとは、結局政治におけるドイツ国民の人格陶冶の問題であり、民衆の意思の政治への反映の問題、あるいはそれによる民衆の生活条件向上の問題ではなかった。このような彼は、しばしば知的に未成熟と思われる人間に対し、痛烈な批判を投げかけたのである。読者はヴェーバーが、イタリア人やスペイン人、アイルランド人の民衆に批判的な視線を投げかけていたことを想起するだろう。あるいは、彼が西欧列強軍のアジア人・アフリカ人兵士を蛇蠍のように嫌っていたことを思い出すかもしれない。自立した人間になりきれていない人間に対する憤懣は、彼の人生を貫く一つの要素であった。毅然とした合理主義的な人間を強く志向する彼の傾向は、彼が他方でハイデルベルクでの「世俗内的禁欲」の続行を断念してイタリアの太陽の下で休息し、更にアスコナの「対抗文化」にすら興味の範囲を拡大させたにも係わらず、やはり彼の死まで明瞭に見て取れるものであり、それが彼の政治観に影響を与えていたのである。(p.225)


ウェーバーにとってはリベラル・デモクラシーは国民の人格陶冶の問題であったという。ウェーバーのデモクラシー観の記述には異論はないが、このようなデモクラシー観自体に対しては批判が可能であり、私にはそれが必要でもあると思われる。



自己が如何なる価値的立場に立っているかについて常に自覚的であれという彼の「価値自由」命題は、彼が個々の学者に自己の価値に外部の権威に依らず自分で責任を取ることを要求した、即ち主体性を確立することを要求したものであると解釈することが出来るであろう。(p.232)


価値自由論という社会科学的方法論と、個人の責任と主体性という倫理的な立場との親和関係は興味深いものがある。



 ヴェーバーが政治において一貫して闘争を称揚したことは疑いないが、この闘争は彼にとっては何か別の目的のための手段というよりも、寧ろ自己目的であったようである。換言すれば、彼は特定の結果を達成する手段として闘争を望んだというより、寧ろ活力ある人間たちが雄々しく格闘するという状態そのものを好んだということになる。(p.233)


ウェーバーという人物の魅力の重要な要素となっているのが、この「闘争」というモチーフだが、複数のものが闘争している状態というのは、一つのものに画一化されていないことでもあり、ウェーバーの多元論的な社会の理解の基礎ともなっていると思われる。



 自分は「文化」人であるという強い自覚から出発するヴェーバーは、自分と同じように「文化」的に行動していない(ように彼には見える)人間の存在をどうしても許容することが出来なかった。彼にはその生涯を通じて、自分が高く評価した人間には限りない親愛の情を示しつつも、自分が低く評価した人間に対してはその尊厳を否定するような物言いをして憚らない面があった。……(中略)……。
 このような状況認識に立つヴェーバーの信奉するリベラル・デモクラシー理念が、エリート主義的な色彩を強く帯びていたことは少しも驚くべきことではない。ヴェーバーは、ドイツの、あるいはロシアの官権国家に対する容赦ない敵対者であり、その局面において彼は誠実なリベラル・デモクラシー信奉者でいることができた。彼のロシア政治分析などを念頭に入れるとき、彼がリベラル・デモクラシーを単なるドイツ・ナショナリズム推進のための道具と考えていたという説は、余りに極論に過ぎるように思えてくる。とはいえヴェーバーはリベラル・デモクラシー論に関して、上の権威を見ている場合と下の民衆を見ている場合とではかなり別な表情を見せている。彼の政治観には、民衆に対する無条件の愛と信頼、民衆の意思が政治に反映されることがそれ自体として無条件によいことであるという道徳主義的な信念が欠如しており、その意味で確かにモムゼンのいうように「自然法的な」、つまりア・プリオリのリベラル・デモクラシー信奉者ではなかったのである。(p.234-235)


ウェーバーは「上の権威」が指導力をもって「下の民衆」を指導することを期待し、単にその権威を(君主の世襲や特定の身分のものだけが参画し、そこから選出されるようなものではなく)「下の民衆」が選挙という方法を通じて選ぶという手段的な意味で「デモクラシーの制度」を擁護したにすぎず、「下の民衆」の権利や自由を尊重するという「民主主義の理念」に従ってデモクラシーを推進しようとしていなかったということを理解しておくことは、彼の政治観への批判的な観点としては重要なことであると考える。



 以上の考察を踏まえて、本論が最後に提示するのは次の仮説である。
 ヴェーバーの政治的言動は、政治における人間の主体性確立の追求、いわば政治における人間の合理化の追求を一大テーマとしていた。この主体性確立への信念は、一方で「価値自由」論の提唱や官憲国家への抵抗といった、いわばドイツにおけるリベラル・デモクラシーの確立に貢献するような彼の側面を生み出す起源となった。しかしそれは他方で、主体性の確立度、いわば「文化」水準を基準とする彼のエリート主義的な人間理解にも基盤を提供することになった。ヴェーバーのポーランド論は、この後者の側面が極端な形で現れた結果生まれたものである。(p.237)


これは本書の結論的な部分だが、概ね妥当と思われるし、ウェーバーの発想の中心点から彼と同様に物事を見ようとする場合には特に参考になる見方であると思われる。

ただ、私なりにアレンジして仮説を立てなおすとすれば、むしろ、彼が生まれ育ってくる中で培われた、いわば感覚に根ざすものとしてエリート主義的人間理解が基盤にあり、それが主体性確立という形で、公共の言論空間の中でもある程度受け入れられやすい形で言語化され、リベラル・デモクラシー確立に繋がっていく主張を生み出す源泉ともなった、しかし、その元々の差別主義的な眼差しは公共の言説ではなく私的な言動の中ではよりあからさまに表現されており、公共の言論空間であってもポーランド論のような政治評論の場には現れることがあった、と理解した方が良いように思う。



 ヴェーバーは「近代主義者」か「近代批判者」かという二者択一は、ヴェーバー研究に混乱を招いてきた問題設定の一つである。我々は従来の研究を通じて、「マックス・ヴェーバーは、西欧近代の勃興に魅せられた。しかしそれだけでなく、これに恐怖をも抱いていた。」(Kocka, Das lange 19. Jahrhundert, S.152.)ということについて既に認識を深めてきた。「論争的一面性」(Detlev J.K.Peukert, Max Webers Diagnose der MOderne, Go(e)ttingen 1989,S.27.)の名の下に、ヴェーバーの一側面のみを恰もヴェーバーの思想の「本質」であるかのように誇張することは、もはは現段階では我々が為すべき課題ではなくなっている。(p.307)


同感である。


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