アヴェスターにはこう書いている?
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リッケルト 『認識の対象』

 現代の哲学は、多くの人に依って論ぜられる様に、大体に於て認識論的傾向を帯びている。種々その基く所を異にしその主張する所を異にするに関らず、いづれも認識問題がその中軸たることを拒むことはできまい。而して認識問題が中心たる今の哲学界に於て、カント哲学がその重要なる流を形造っているのは自然の数と云わねばならぬ。これ新カント学派が今の哲学界に於て重きをなす所以である。(p.4)


西田幾多郎が大正5年に書いた本訳書の「序」より。

20世紀初頭の哲学の動向について、「認識論的傾向を帯びている」という点は100年経過した現在においてこの分野がほとんど顧みられることがないことと対照的である。

19世紀末から20世紀初頭には確かに様々な認識論的な傾向を帯びた哲学が現れていた。ここで述べられるような新カント派だけでなく、その後に現象学が興隆してきた。ベルクソンやプラグマティズムにも認識論的な要素がある。また、論理実証主義は認識論とは言わないかもしれないが、真理に対する関心が看取できる。

西欧諸国でこうした理論が発展した背景には、おそらく植民地の獲得などにより流通と消費が増大したことと呼応して生産すればするほど売れるという需給バランスとなっていたことから、様々な技術革新が誘発され、それを背景で支える自然科学の急速な展開があり、また、国民国家の統治や植民地支配と間接的に結びついた社会科学の発生があると思われる。こうした「諸科学」の展開を背景として、科学的な発見や科学的な真理に対する関心が高まったことが要因の一つであるように思われる。

実際、本書の著者リッケルトはマックス・ウェーバーの社会科学、特にその方法論の確立に対して影響を与えたとされている。



 さて種々なる主観概念が斯くの如く漸次その内容を逓減してゆくものと見れば、件の配列の最後に、汎ゆる内容に対立した意識として、唯その内容を意識するとしか言へないやうな主観が措定せらるるに相違ない。かかる主観にはもはや客観となり得る何ものも含まれず、其概念は常にただ一の限界概念としてのみ理解せられねばならない。(p.44)


こうした概念的な抽象化によって根源まで遡ろうとする方法は本書に特徴的なものである。フッサールやハイデガーなどの場合、現象として立ち現れるものを観察しようとする志向があるが、そうしたこと以上に概念操作に関心が向かっている点に注目したい。

リッケルトはこうして内容となり得ない主観概念を構成しようとし、それを「形式」的なものであると規定する。ここには内容と形式という対概念が前提されている。概念としてこうした対が不可能ではないだろう。ただ、リッケルトの方法論で見落とされているのは、この対概念が指示するような出来事が実際の認識の場に存在するかどうか、ということであると思われる。「概念を分析し、整理していくこと」と「現に生じていること」との間に相違がないのか、という点に対する検討が不足しており、それがリッケルトの認識論を「単なる観念操作」に過ぎないものにしている面があると思われる。



 故に吾々は、判断主観に対してはそれの則るべき対象として、ただ不許不のみを対立せしめる。この不許不は存在はしないが、しかも超時間的に妥当であり、そしてこの超越的妥当性は、それの是認があらゆる判断の預想なるのみならず汎ての疑問の前提でもあるといふ理由から、如何なる懐疑的論難の前にもびくともしない。(p.191-192)


本書のタイトルにもなっている「認識の対象」とは、このような「不許不」であるというのがリッケルとの主張であった。

ちなみに、「不許不」とはSollenの訳語であるらしい(p.134参照)。存在Seinと当為Sollenという対概念は頻繁に使われるが、その後者と同じ語である。

「そうでないことを許されない」という意味で強制的な性格をもって判断する主観の前に立ち現れるものであるが、主観を離れた実在とは異なるものであるとされているようである。先ほど、リッケルトの認識論は単なる観念操作という面があると批判したが、認識の対象が「不許不」であるという指摘によって言い表そうとしている核心部分には、実際に作動している認識の作用の中で実感されるものに(完全にとか十分にはとは言わないが)触れているところはあるように思われる。




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