アヴェスターにはこう書いている?
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マックス・ヴェーバー 『少年期ヴェーバー 古代・中世史論』
「ドイツ史の一般経過」より

ちなみに目を見張るのは、スペイン、イタリアのような、ドイツと並んで最も強大で、宗教改革に敵対的な姿勢をとったヨーロッパの諸国が、いかに没落していったかということである!唯一フランスだけが、状況が非常に恵まれていたために、辛うじて勢力を維持できたに過ぎなかった。ちなみに1870/71年には、フランス人ももはやルイ14世時代のフランス民族ではなく、ドイツ人ももはや1806年段階のそれではないということが証明されている。というのも、統一がドイツ人に力を与えたからである。これに対し我々は、宗教改革を助成した国々が、全て勃興していったのを目にする。つまりイギリス、オランダ、プロイセン、一時のスウェーデンやデンマークがそれである。(p.35)


後年の「倫理」論文の前半でも、このような宗派と経済状況との相違について着目して議論が運ばれる。少年期からこうした問題関心を持っていたということか?



解説より

 第一の連続性は、個人の主体性への飽くなき欲求である。毅然たる主体性への限りない憧憬は、ヴェーバーの知性主義的政治観の中核的要素である。しかもその敬意の対象は、必ずしもヴェーバーが属している自由主義、ナショナリズム、プロテスタンティズムの陣営内部に限定されるのではない。プロイセン・ユンカーを批判しながらビスマルクに憧憬し、平和主義を否定しながらフェルスターに敬意を払い、カトリシズムを警戒しながら傑出した中央党政治家は評価するという具合に、ヴェーバーは対立する陣営、異なる意見のものでも、その知的態度のみを形式的に捉えて評価するということがしばしばあったのである。(p.161-162)


知性主義的政治観というのは、例えば、責任倫理が目的と手段と結果との関係を冷静に判断することを前提としていることを考えると、なかなか的確な表現であるように思われる。

後半で述べられている異なる意見のものに対する評価のあり方は、まさにリベラリズム的な形式主義的思考と結びついている点で興味を惹かれる。



 第二の連続性は、ドイツ・ナショナリズムという精神的支柱の存在である。政治人ヴェーバーにとって、祖国ドイツの維持、発展は生涯の課題であった。1892年にポーランド人労働者の流入を危惧したヴェーバーが、同じ論理を1919年にも繰り返していることは知られており、またドイツ帝国期には小ドイツ主義的・君主制的ドイツを支持していたヴェーバーが、ヴァイマール共和国期には大ドイツ主義的・共和制的ドイツを支持するに至ったことも重要である。こうしたヴェーバーのドイツ・ナショナリズムは、すでにこの少年期論集にも現れている。(p.162-163)


ウェーバーの政治意識の変遷というのは、私の場合、あまり彼の政治論には深入りしてこなかったため、十分把握できていないところの一つだと思う。



若いヴェーバーが自由主義陣営の凋落を痛感し、彼の政治分析に憂鬱な雰囲気が漂い始めるのは、1884年の帝国議会議員選挙で父マックスが落選したころからであるように思われるのである。(p.165)


興味深い指摘。生活上の出来事と思想との関係は、ウェーバーの場合、マリアンネの伝記はやや彼女の解釈が強く入っているためか、突き止めにくくなっていたのではないかと感じている。訳者・今野元氏の書いたウェーバー伝は近々読む予定だが、楽しみである。



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