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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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カール・レヴィット 『ウェーバーとマルクス』

責任倫理は、目的を貫徹する可能性とその結果との知識に関係づけられており、その知識は手段についての考慮によって媒介されているから、≪相対的≫倫理ではあっても≪絶対的≫倫理では決してない。責任の倫理を選ぶことによって、ひとは同時に合理性を、つまり目的に対する手段の合理性を選んだことになる。(p.52-53)


なるほど。責任倫理と目的合理性とが深くかかわりがあるということはあまり意識したことがなかったかもしれない。確かに、目的合理的な比較考量は責任倫理的な判断の必要条件であろう。しかし、責任倫理に基づいて下された判断が目的合理的行為になるとは必ずしも限らないという点は注意を要するかも知れない。目的に最も適う手段ではないと知りつつも、様々な要因を考慮に入れた結果として次善の策を自らの責任において引き受けるといった選択がありうるからである。



ウェーバーはいかなるときでも自分を全体として示したことはなく、つねに特定領域の成員としてのみ――何かきまった役割において、また何かきまった人間としてのみ――自分を示した……≪論文においては経済的個別科学者として、講壇に立っては大学教授として、演壇にのぼっては政党人として、内輪のグループに入っては宗教的人間として≫。しかしこのように生活領域を分立させること――その理論的表現が≪価値自由(ヴェルトフライハイト)≫である――にこそ、じつはウェーバーそのひとの個性が、その全体特質においてあらわされている。(p.68-69)


平野啓一郎が提唱している「分人」という考え方に近いところがあり興味を惹かれた。ある意味、専門分化が進み、コミュニケーションが様々な分野に及ぶ現代社会においては、統一的なパーソナリティを示しつづけようとすることではなく、それぞれの場に応じて最適な自己表現を模索・構築していくことが求められるように思われる。



こうして個人そのものも――ウェーバーによるとこの個人たることにこそ人間としての本質がかかっているのであるが――近代的専門人という現実の特殊的存在様式を越え、またはその外にある不可分的全体者としての個人を意味するのではない。個別化せる役割の中にそのつど身を投ずるとき、はじめて個人は一個の≪人間≫となる。この役割が何であるか、またその大小如何は問題ではない。(p.70)


『職業としての学問』などで述べられている「日々の仕事に献身せよ」という考え方はこうしたものであり、ウェーバーの思想の中で最も魅力的なものの一つであろう。

ただ、こうした精神貴族主義的とでも言うような平均的な人間には容易に到達できないような負荷をかけることを求める考え方は民主主義とは相性が悪い面がある、ということは理解しておいてよいと思われる。


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