アヴェスターにはこう書いている?
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ブライアン・S・ターナー 『ウェーバーとイスラーム』

 宗教社会学の多くの重要な分野で、ウェーバーは「理解(フェアシュテーエンデ)」社会学として説明できるものを無視あるいは放棄したと私には思われる。……(中略)……。
 最後に、ウェーバーが実際に行なった(彼が行なっていると称するものとは区別された)説明には、この多元論的性格はないと論じることができよう。私はとりあえず、ウェーバーによる、とくにイスラームの説明には強い決定論的な要素があり、それは彼をしてマルクス固有の解説の図式にきわめて接近させるものだと示唆しておきたい。(p.8-9)


ウェーバーが理解社会学の方法を適用しなかったとされることの一つは、神的なものへの「祈り」を社会的行為として位置付けなかったことにあると著者は言う。しかし、そうした評価は私には不当であるように思われる。

ウェーバーが実際に行っている説明には多元論的性格がなく、決定論的であるという見方については、ある意味では妥当な批判である。ウェーバーの理論には、確かにオリエンタリズムとして性格づけられるような側面があることは否定できず、その中でのアジアの停滞性について、本書ではイスラーム社会を家産制的支配の下にある社会として捉えることで説明しているが、細かくみると必ずしも決定論として書かれていないとしても、そうした読解へ導くような傾向性があると思われる。少なくとも、そうした傾向性を持っていないと言い切れない。



 もしカリスマ的メッセージが聖なる現象の視覚と経験にもとづくとするならば、その際これらのメッセージは、カリスマ的指導者を支持する弟子たちにとってすでに親しみがあり、理解しうるような形で表現されなければならない。したがってカリスマ的運動とともに通常想起される「突破」という言葉は、誇大な表現であるにちがいない。カリスマは、すぐれて既知の事実と世界観(ヴェルトアンシャウウング)の再解釈の問題であると言わねばならない。(p.35)


「指導力のあるリーダー」がやたらともてはやされる時代にあっては、ウェーバーの「カリスマ」ないし「カリスマ的支配」の概念は振り返ってみる価値があると考えている。この引用文で示されているように、カリスマは通常思われているほど新奇なものではなく、多くの人びとが共通して抱く通念を触発できる程度は通俗的なものを持っている。この点(すなわち、カリスマは常に通俗的なものを持っていること)は何となく見落とされがちであると思われたため、記録しておく。



 ウェーバーの理論は、私たちが今やカリスマを社会的に周縁的(マージナル)な位置に出現するものとして考えるよりも、むしろ高度に伝統的で中心的な社会制度の内部に湧き出すものとして見るという点で修正を受ける。(p.37)


いわゆる辺境革命論に対する異論。



 18世紀末とひき続く19世紀において、トルコはヨーロッパとの間に古典的な中枢=衛星関係に入り、この関係において衛星国経済が未開発のままであったため、ヨーロッパ経済は発展しつづけたのである。ヨーロッパはトルコから原料を引き出し、それをヨーロッパで加工し、そしてトルコの国内製造業者を破滅させるような価格でその製品を売り戻すことができた。ふさわしい保護主義政策がないため、オスマン帝国はヨーロッパやある程度ロシアからの基本的加工商品や奢侈品の輸入にさらされていた。
 ヨーロッパ製品の導入は、1880年代のトルコ国内での鉄道建設、とりわけ1888年のウィーンとイスタンブールとを直接結ぶ鉄道の開設によって急激に増大する。鉄道の発展は、ほとんど外国人の手によってもたさられ、彼らが計画し、建設し、そして新しい業務を経営したのである。(p.202)


ヨーロッパの世界への進出、特に帝国主義・植民地主義的な進出は概ねどこでも同じようなパターンをとっている。



 一つのイスラーム批判として意味をもつウェーバー社会学には、19世紀およびそれ以前のイデオロギーにもとづく偏見のすべてが投影されている。ヨーロッパによる覇権が確立する以前の時代には、イスラームは、軍事的にも道徳的にも並々ならぬ脅威をキリスト教に与えていた。それは、イスラームがキリスト教信仰に取って代わる、強力かつ活発な勢力であったからである。イスラームの拡大を説明するため、キリスト教神学は、イスラームの成功の秘訣はムスリムの暴力、好色、詭計などの産物である、という論証を意図した弁明論を発展させた。
 イスラームとキリスト教との経済的、軍事的なバランスが変化してゆくに従い、イスラームは堕落しているとの中世理論も当然修正されてきたが、狂信と性欲というその基本的な主題は、今もって広く流布している。(p.213)


ヨーロッパにおけるイスラーム観は近代以前のイスラームの優勢という事実に対して、キリスト教会が弁明論として発展させた偏見に基づいている。その偏見がヨーロッパの勢力が優位になると、いわゆるオリエンタリズムの一部をなすようになった、ということか。中世から近代にかけてのヨーロッパにおけるイスラーム認識についてもう少し詳しく知りたいところである。



 イスラームのいわゆる「プロテスタンティズムの倫理」は、それゆえ受け売り(セカンド・ハンド)であった。イスラーム改革を担った主要な指導者たちは、ヨーロッパで教育を積んだ者か、ヨーロッパ的な伝統による分析法を継承するかのいずれかであった。パリこそが彼らの知的世界の拠点であった。タフターウィー、アフガーニー、アブドゥフらを初めとする多くの者が初めて間近に近代世界と接したのは、パリにおいてであった。また、近代世界を理解するために、彼らが規制の準拠枠を入手したのもこのパリであった。イスラーム改革の創始者たちは、ある意味においてルソー、コント、スペンサー、デュルケームらであった。(p.225-226)


イスラーム改革の指導者たちは、ヨーロッパのオリエンタリズム的な見方(アジア的停滞など)を西欧、特にパリで学んだという。確かにそうかもしれない。

余談だが、パリに「アラブ世界研究所」が設置されたのも、こうした歴史的な繋がりがあったことも背景にあるかも知れない。



偶然にも、呪術の園にわれわれは背を向けるようになったが、しかし依然としてわれわれは自由と幸福とを結びつける見通しを欠いている、という信念がポスト・ウェーバー時代における社会理論の一重要問題となっている。(p.243)


本書(原著)は1974年に書かれたものだが、この点は、マイケル・サンデルなどのコミュニタリアンがリベラリズムを批判して提起している問題にも通底しているように思われる。



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