アヴェスターにはこう書いている?
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北海道新聞小樽支社報道部 『おたる・しりべし旅日記』

 小樽と札幌を結ぶ道路といえば国道5号。ところがかつて、山の中を縫って行く別の道があったという。「軍用道路」。1904年(明治37年)の日露戦争で、たとえロシア艦隊から艦砲射撃を受けても物資が運べるよう造られた。
 ……(中略)……。
 約3時間の行程。でも苦労して分かった。「小樽-札幌間の物資輸送が当時、どれほど重要だったか」。ありがたきは道と港なり。(p.22)


名前は聞いたことがあったが、歴史的な由来や場所などはよく知らなかった。地域の歴史などに関心を持ってから知ると面白さも倍増する。



もともと先々代が秋田からやん衆として祝津に来たルーツを持つ。後志沿岸ではニシン場ごとの集落がやがてマチとなった。「祝津が祝津としてあるのも元はと言えばニシンのおかげ」
 最後の群来といわれる1954年の春、青塚さんは小学生だった。「その4年後に、北海道大博覧会が開催。小樽会場に水族館が建設され、お客が見込めるということで、漁師だった家が食堂経営に乗り出した」。それから約半世紀がたった。(p.74)


小樽市の祝津地区(おたる水族館の付近)にある青塚食堂という老舗の食堂の歴史。鰊漁によって北陸や東北地方からの移住者など町の基礎ができたという北海道の港町の多くに共通のパターンが見られる。そして、昭和初期の鰊の不漁により網元を含めた漁師たちの業種転換を強いられることになった。高度成長の始まりと重なったことで博覧会が開かれ、それに伴う需要に応じて業種転換ができたと言える。地方の小さな食堂の変遷を見るだけでも歴史が見えてくるのは大変興味深い。



 フゴッペ洞窟には、シベリアのアムール川周辺に見られる岸壁画とよく似た古代彫刻が確認され、日本海を囲むロシア、中国、朝鮮との大きな文化の流れを示すものだと見られている。
 手宮洞窟を訪ねることで、古代の壮大な交流の世界に触れられるのだ。(p.96)


なるほど。なかなかあの壁画を見るだけではここまで理解することはできない。シベリアの壁画を参考として展示すればよいのではないか?



施設ガイドの小山真納さんには「ニシン漁の衰退後は、ホタテ養殖が祝津の漁業の柱になったんですよ」と祝津漁業の歴史を聞いた。(p.98)


小樽の中でも祝津地区は、歴史的な建築資源もあるため、運河周辺だけの観光に終始しがちな中で、リピーターにも紹介するだけの価値がある地区だと思う。地域の歴史をもっと掘り起こして発信していってほしい。


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