アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

湯浅誠 『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(その1)

 要するに民間の活動というのは、賛同者だけで運営し、趣旨に反対の人たちは関係がない。没交渉です。だから、内容的には濃く、やりたいことをやりたいようにできる。ただし、趣旨に賛同した数十人、数百人でやることですから、それで日本全国をカバーすることはできません。「内容は濃いが範囲は狭い」、これが民間の活動の特徴です。
 他方、行政の制度や政策の場合、その最大の特徴は「税金を使う」という点にあります。税金は、この国で暮らすすべての人によって賄われていますから、税金を使うということは「趣旨に反対する人のお金も使う」ことを意味します。賛同してくれる人の税金だけを使って、反対している人の税金は使わない、ということはできません。
 したがって、ある政策が形になるまでには、基本的には国全体の合意を取りつける必要があります。……(中略)……。
 結果として、政策実現に向けて調整を重ねれば重ねるほど妥協の度合いが増え、内容は薄まっていく。でもその代わりに、カバーできる範囲は広く、日本全体に及びます。「薄く広く」が行政の特徴です。
 ……(中略)……。
 しかし、民間の世界しかしらないときは、「この指止まれ」方式で濃くやっていた自分たちの活動のことしか知りませんから、自分たちの狭さに対する自覚が十分にはありませんでした。だから自分たちの世界を基準にして「行政だってもっと内容の濃いことをやれるはずだ」「やらないのはやる気がなからだ」という結論になっていました。
 しかし単なる「やる気の問題ではない」ということが、参与として政府に入り、実際に政策調整に携わったことでよくわかりました。ズレは、民間の活動の頭で、公的な政策を要求していた点にありました。それは言い換えれば、反対意見を無視できる世界の頭で、反対意見を無視できない世界のことを要求する、ということです。そのとき抜け落ちるのは、誰が反対意見と調整するのか、というコスト負担の視点です。(p.13-16)


民間と行政の活動についてのこの特徴づけは簡潔・明瞭であり、私がこれまで政治について論じている素人談義を聞いていた違和感を持っていた内容を的確に表現するための道具立てを与えてもらった気がする。

また、民間の頭で公的な政策を要求するということは、現在でも優勢な意見の中に多々見られる。それでは物事はうまく回らないということを理解する人が増えてほしい。



いわば、「切れ、切れ」とはやし立てていたら、自分がケガや病気をしたときに必要な助けや費用がみんな切られてしまっていた、といった感じでしょうか。
 影響は間接的で、間接的であるがゆえに見えにくい。しかし、回りまわって自分にも影響が及ぶというのは、私たちが日本社会というコミュニティを共有している以上、避けられないことです。(p.34)


ヒーロー待望論と悪役さがしの風潮で、ヒーローをはやし立てて悪役を切るようはやしたてていたら、気づいたら自分が切られていた、という話。まったく同意見であり、似たことは私も小泉純一郎が首相として登場して以降、しばしば書いたり話したりしてきた。ただ、そうしたヒーローを歓迎している人の目は遠くを見ることができないことが多く、こうした間接的な動きを見るだけの広いパースペクティヴを持たないことが多いところに難しさの一端がある。



みんなが同じ意見を持っているような社会は、自由な社会とは言えないでしょう。
 だから、異なる意見を闘わせ、意見交換や議論をする中で、お互いの意見を調整することが必要となります。夫婦や親子のような親しい間柄でも、自分の意見や意向だけを一方的に主張し、「おれの言うことを聞かないおまえが悪い」とだけ言い続けていたら合意形成に至らないことは、誰もが経験していることだと思います。
 ……(中略)……。
 しかしそれでも、誰かに任せるのではなく、自分たちで引き受けて、それを調整して合意形成していこうというのが、民主主義というシステムです。
 したがって民主主義というのは、まず何よりも、おそろしく面倒くさくて、うんざりするシステムだということを、みんなが認識する必要があると思います。(p.46-48)


本書はいくつか啓発的なことが書いてあるが、こうした民主主義観も多くの人にとって学ぶべきものをふくんでいると思う。



 不信の対象には、議会制民主主義や政党政治も含まれています。そのことは、国会全体、議会制民主主義というシステム自体に「決められない政治」というレッテルが貼られるようになっていることからもわかります。また、橋下さんが、大阪都構想に始まって、道州制や首相公選制、参議院廃止など、統治機構のあり方を頻繁に問題にしているのも、その表れだと思います。
 政治不信はこれまでも根強くありました。しかしそれは、個々の政治家の「政治とカネ」やスキャンダルの問題、また個々の政党の体質への批判や内紛(派閥闘争)にうんざりしたといった性質のものでした。それがこの間、急速に政治システムに対する不信に発展していきました。その意味で、政治不信の質が変わったのではないか、と私は感じています。
 ……(中略)……。「決められない政治」は、個々の政治家や政党がダメだからではなく、民主主義の仕組みそのものがダメだから生じているのだ、という大きな転換です。(p.58-59)


この(政治不信がこれまでとは質的に変化し、民主主義ないし議会制民主主義という政治システム自体に向かいはじめたという)指摘は私にとっては本書から得た最大の収穫であったし、湯浅氏の危機感もこの点に集約されている。

そして、こうした風潮に乗って勢いを持っている橋下徹などは、議会制民主主義を質的に変容させ、より王制や貴族制に近い非民主的なシステムを是とする方向へとあらゆる政策を向けている、という理解に立つことが重要である。単に政策的なレベルだけで批判するのではなく、その背景にある世論の動向にも目を向ける必要がある。こうした背景を的確な言葉で説得力をもって語るということは、誰にでもできることではない。その点で、本書のような主張が多くの人から発せられるようにしなければならないと思う。



スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/850-50e4d776
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)