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江差観光ボランティア協会 『【江差の歴史と伝説】江差・旅の本』

 松前藩の発祥の地として当時北海道の中心地であった上ノ国に隣接し、鴎島が風と波を防ぐ天然の良港であったことから、江差には多くの和人が住み着くようになりました。上ノ国の蠣崎氏が松前に移ってから上ノ国は少しづつ衰え、政治の中心は松前、経済の中心は江差に移っていきました。
 交易港として江差に繁栄をもたらしたのは、ヒノキアスナロ(ヒバ)の切り出しでした。当時、上ノ国から厚沢部までの間に、大きなヒノキアスナロの林がありました。この頃、江差には木こりが1100人住んでいるという記録が残っていますから、豊かな木材資源を目当てに本州からたくさんの木こり、木材商が江差に渡ってきたのでしょう。(p.36)


引用文の言う「当時」がいつのことか判然としないが、蠣崎氏が松前城の場所に移ってきたのは1606年頃だから、概ね15世紀から16世紀のことと思われる。

江差というと、鰊漁で栄えた町というイメージが強かったのだが、その前にはヒノキアスナロの木材資源の輸出が重要産業だったというのは、今回訪れた際に初めて知った。



 さて木材貿易が盛んになると「江差は入船700艘」と言われるほど、賑わってきました。ヒノキ生産は松前藩にとっても重要な産業となったことから、江差の5つの山に厚沢部の2つの山を加えた7つの山を「御山七山」として松前藩が直接取り締まり、延宝6(1678)年、その番所を江差に置きました。この番所の設置が江差の繁栄を決定づけました。番所は今の旧檜山爾志郡役所のところに置かれ、その山門は法華寺の山門として残っています。
 もっとも江差に番所が設置された17年後(元禄9年)に、大規模な山火事が起こり、ヒノキ山を半分近く焼失してしまってから、江差のヒノキ交易はふるわなくなってしまいました。しかし、それを補うように、ニシンが江差港の交易の中心になりました。(p.47-48)


江差に鰊漁がもたらされたことに関しては、折居という姥が瓶子に入った白い水を海にそそぐと鰊が大量に押し寄せ、折居が人々に教えた漁法によって人々が生活できたという伝説があるが、ヒノキアスナロによる交易が鰊漁の前にあり、人がある程度集まっていたからこそ、江差の人々に鰊漁を教え、鰊が特産品となることができたという面があると思われる。もし、事前に多数の人が住んでいなかったとしたら、仮に鰊漁で栄えることができたとしても、こうした伝説は生まれなかったように思われる。

江差の歴史は面白い。先日訪問してみて、景色の美しさも気に入ったが、歴史の展開も興味深いものがあることが分かってきた。

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