アヴェスターにはこう書いている?
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大沼盛男 編著 『北海道産業史』(その1)

 明治末に確立する北海道産業の動向をみるために、産業別生産額の構成比を図1-2で検討しよう。これによると、まず明治末には地場素材利用の木材・木製品工業、食料品工業が全産業の首座を占め、大正以降の発展期には木材・木製品の後退の間隙を縫って、パルプ・製紙の化学工業が急速に伸びて首位の食料品工業を追い上げ、大正末から昭和初期にかけて首座を獲得する。
 これが昭和恐慌期を経て準戦時体制に入ると、産業構造の軍事化が北海道にも及び、金属・機械工業の躍進が目立ちはじめる。(p.10)


食料品工業が明治末頃から大正期頃までは北海道の主要産業だったことに注目したい。

開拓使の事業でもビール事業が唯一成功した製造業であり、これは大麦とホップを原材料とする食品関連産業であった。また、鰊漁で栄えた港町では身欠き鰊などの製造も盛んだった。米も明治初期から栽培可能なように研究していた人(中山久蔵など)がいたし、開拓使も札幌にあった偕楽園には農業試験場という側面があり、明治初期に明治天皇が視察に訪れるなどの力を入れていた。

北海道の次に日本の植民地となった台湾も製糖業や昭和期になってからもバナナやパイナップル(缶詰)など食料品関連の産業が主要産業だったという共通点がある。

国内の産業構造全般についての知識が今のところ私には欠けているので十分な評価はできないが、こうした状況であったということを知っておくのは意味がある。

また、準戦時体制に入ると重工業も行なわれたということも銘記されてよいだろう。



 北海道の農業開拓は屯田兵制度から始まるが、日清・日露の戦争を経て、日本の農業資源を求める行動は朝鮮・台湾・「満州」などの「外地」へと向かう。その中で当初、全国の10%水準にあった北海道予算は切りつめられ、農業開発については民間主導の路線がとられることになる。1886(明治19)年に北海道庁が設置され、北海道土地払下規則、北海道国有未開地処分法によって配分された土地の多くは、華族・政商などの資産家に払い下げられた。当初は畑作・畜産の大規模直営農場の実験も行ったが失敗に終わり、小作農場制が一般的になる。農場主は主に東京などに居住しており、農場管理人の下に府県から募集された小作人が入植し、開墾に従事するのが通例であった。(p.44)


大正末期に化学工業が食料品工業の生産額を上回ることも、農業資源を外地に求めたことと関連があると推察される。

北海道の土地の払下に関しては、いろいろと語られるのを断片的に読んでいるが、なかなか全容が理解できないでいる。また、不在地主がいたということもたまに語られるが、これについてもなかなか理解が進むような叙述に出くわさない。これらのことはもう少し調べてみたいと思う。



当初、開拓政策の顧問として来道したアメリカの技術顧問ケプロンなどは稲作を否定していたが、民間では徐々に施策が行われ、1902(明治35)年には北海道土功組合法が制定され、灌漑投資のための組織(現在の土地改良区)が生まれる。この時期に、灌漑投資を推進したのは小作農場であり、1000haを上回る土功組合が設立され、稲作を望む農民を引きつけた。1900年に設立された北海道拓殖銀行(以下、拓銀)は、主にこの小作農場による開墾投資や土功組合の起債引き受けに大きな役割を果たしたのである。(p.45)


ケプロンだけでなく、明治政府も稲作には否定的であったが、開拓使(黒田清隆)は積極的であり、中山久蔵らの民間での稲作の試験を見て見ぬ振りをする形で側面支援していたらしい。

拓銀の果たした役割というのも北海道の歴史を語るうえではおそらく欠かせないものであるように思われ、今後少し調べてみたい。



 北海道農業の行き詰まりは、明治期の原始的蓄積期の終了である1920年代の耕種農業の転換期に現れる。それまで北海道農業は自然の地力に依存する略奪的農法を繰り広げてきたが、1913(大正2)年の冷害凶作などの発生で北海道農業の危機が深まり、このとき酪農の必要性が農政上の課題として登場した。黒澤酉蔵らはデンマーク会を組織して農業危機の打開を図ろうとした。この会は、乳牛飼養による畜産物収入確保と家畜糞尿の耕地還元による地力維持を図る有畜複合経営をめざす協同組合運動であり、当時、世界有数の畜産国であったデンマークに注目して研究に努めたのである。
 1925(大正14)年5月、宇都宮仙太郎、黒澤酉蔵、深澤吉平、佐藤善七らが「有限責任北海道製酪販売組合」を創立し、翌26年3月、「保証責任北海道製酪販売組合聯合会」(以下、酪聯)に変更して協同組合としての体制を整えた。この酪聯の誕生は、関東大震災(1923年9月)による日本経済が壊滅的打撃を受けたことを背景にしている。酪聯は第2次世界大戦後、雪印乳業(株)へと転換し国内最大の乳業メーカーへと発展した。(p.64)


日本において北海道に特有の産業の一つとして酪農がある(明治政府も開拓当初は酪農を普及させようと考えていた)が、その歴史が意外と浅いことに驚いた。

ヨーロッパから導入する際にデンマークから学んだというのもやや意外な感じがした。



 1939(昭和14)年9月、第2次世界大戦が勃発し、日本は経済・社会関連の統制を強めた。とくに北海道庁は、道内乳業メーカーを統合して国策会社の設立を指導した。酪聯は、明治製菓(株)、極東煉乳(株)、森永煉乳(株)と協議の結果、これらの3社と統合することになり、1941(昭和16)年4月、「有限会社北海道興農公社」(後に株式会社に変更)を発足させた。いずれにしても、酪農の発展は図3-1、3-2にみられるように、戦後に本格化する。(p.65)


酪農の歴史的展開は少し調べてみたい。



 この時期の北海道における職業別人口を表4-2でみると、1878(明治11)年の総就業者数は10万6773人であり、このうち漁業者が3万6008人で全体の34%となり、1882年には4万7332人で全体の37%を占め、このころまでは漁業者の移住が際立って多いことが分かる。一方、農業者については、1878年の2万1172人(19.8%)から82年には2万3824人、全体の18.6%となり、この間の農業者移住がほとんど進まなかったことが明らかである。(p.90)


明治の初め頃は内陸の開拓なども十分でなく、交通手段も十分確立していなかったため、農業者が移住しても採算が取れる経営をすることは無理だっただろう。

それと比べると漁業は鰊漁などについては、短期間で高い利益を上げることができ、製品も北前船の航路などで大阪まで運ぶことができるなど、江戸時代から続くインフラがあり、商業・漁業従事者が存在していたという相違があると思われる。



 1900(明治33)年ころから森林に生育する立木に価格がつくようになり、木材が売買されるようになった。その契機は国内経済の発展による市場拡大と北海道開拓の進展による道内市場の形成によって与えられた。北海道で成立した林産業ではマッチ軸木工場の操業が早く、材料として1890年ころからヤマナラシやドロノキ「を伐採・利用している。日清戦争以降、三井物産が北海道のナラ材を中心に道産広葉樹を輸出するようになって、道内各地で木材販売を目的とした森林伐採が行われるようになった。三井物産は1902年に砂川に輸出目的の製材工場を設立している。(p.114-115)


三井物産が入ってきたということで想起されたのは、台湾の烏来でも三井(三井合名会社)は売買のため木材を伐り出していたことである。こちらは1921年のことなので、北海道よりは少し後のことである。

また、小樽のいわゆる「北のウォール街」に三井物産小樽支店だった建物(1937(昭和12)年竣工)が現在も残っている。小樽に進出したのは明治42年(1909年)だった。小樽港は当時の北海道を出入りする物資のかなりの割合が通ったはずなので、恐らく木材も扱っていたのだろう。



1947年にはアメリカ軍の指示・要請により千歳国道が整備され、これは初めての自動車高速走行を前提とした軍事道路のため「弾丸道路」と呼ばれた。北海道におけるアスファルト舗装と、機械化施工のはしりとなった工事といわれる。(p.166)


興味深い。



 後半期では、日清戦争後の企業熱の昂揚や綿工業を主導産業とする産業資本の確立を背景に北海道への関心が高まり、資本導入のためのさまざまな政策が実行に移されていった。北海道鉄道敷設法の制定(1896年)、資本家や地主の土地処分要求に応える北海道国有未開地処分法の制定(1897年)、国有未開地の払い下げを金融面から支援するための北海道拓殖銀行法の制定(1899年)と北海道拓殖銀行の設立(1900年)などである。また、北海道開拓のための北海道10年計画(1901~09年)も策定されている。この結果、1892(明治25)年以降には自由な移民の大量流入がみられ、北海道の拓殖政策がようやく本格的に展開しはじめるのである。(p.181)


明治30年代以降に北海道の経済が急速に発展する背景にはこうした条件が整ってきたこともあるのだろう。


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