アヴェスターにはこう書いている?
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陳舜臣 『沖縄の歴史と旅』

 琉球には、「ニライカナイ」という別世界が、海のかなたにあり、そこから神々が訪れて、さまざまな豊穣やしあわせをもたらすという信仰がある。だから、外から来る人たちは福の神で大切にしなければならない。これが琉球のホスピタリティの原点である。外から来る人には、じつに親切である。実生活でも外から来る人は、通商のために海をこえてきたので、富をもたらすお客さまなのだ。(p.19)


中東にもこの考え方と似た考え方があり、外部から来た人を神からの使者として歓迎する。例えば、イランの人々のホスピタリティには何度も驚かされた経験があり、日本の感覚からするとやり過ぎと感じられることさえあったほどである。いずれも交易で栄えた歴史があるという共通点がある。歴史的経緯がその共同体に継承される共通の考え方や価値観を規定していくということか。




 琉球人が泉州や福州にいたように、泉州、福州の人も琉球にいて、これが閩人三十六姓である。記録されない文化交流があったにちがいない。(p.31)


これらの人々は、東南アジア各地に散らばっていた華人のネットワークの一環をなしていたのだが、台湾に渡ってきた人々もはじめは閩南人が多かったということとの関連性の有無などに興味を惹かれた。

閩人三十六姓は14世紀末頃から琉球に移住していったようだが、台湾に閩南人が渡航して永住するようになるのは、それよりはもう少し後だったはずである。(台湾の本格的な開発が始まったのは16世紀である。)いずれにせよ、大陸とその周辺地域を相互に関連付けながら史的展開を概観してみたい。琉球の歴史にはそうした視点を与える潜性がある。



みずからの土地では、それほどの物品を産しない琉球は、貿易は中継がおもであった。中継貿易を得意とする西方諸国の東アジアへの進出は、琉球にとってはかなりのダメージになる。(p.48)


いわゆるヨーロッパの「大航海時代」の開始は、それまで東南アジアと中国との中継貿易で栄えていた琉球王国にとって新たなライバルの出現を意味し、その優位性を失わせる要因の一つとなった。このあたりについては、高良倉吉『琉球王国』が若干詳しく、しかも簡潔に説明しているので、参照されたい。



 黄金時代といわれた尚真の治世も、その後半は下降線をたどっていた。その下降も、じつは黄金時代の現象と、同じ線の表裏であったのだ。たとえば、那覇に日本の船がしだいにふえたというのは、黄金時代の一現象だが、それが衰退の一因にもなっていたのだ。
 日本の船がふえたのは、日本の力が強くなったことで、応仁の乱がおさまり、外にむかう力となって溢れることを意味する。琉球の独自性を維持する意味では、かならずしもよろこぶべきことではなかった。(p.50-51)


このあたりも高良倉吉『琉球王国』を読めばもっと詳しく、関連事項を含めて理解することができる。



 1945年6月に沖縄戦は終結した。一木一草も焼失された、と形容される那覇市内は、この公設市場周辺から戦後の復興が始まった。まず壺屋周辺に瓦職人たちが集まり始めた。……(中略)……。
 瓦職人が集まってくると、人と物とカネが動き出す。職人たちが立ち寄る飲み屋や一膳飯屋ができ始め、露店も並び始めた。町が動き始めた。露店では密輸品もかなり出回っていたという。台湾からもいろいろ入っていたはずだ。生きていこうとする人間の息吹が物を動かし、カネを動かし、さまざまな機能が生まれ、それが集合してヤミ市へと拡大していった。……(中略)……。
 そうした風景も1965年ころにはなくなっていた、とおもうが、私の住んでいる神戸も同じだった。三ノ宮駅の近くにジャンジャン市場というのがあった。一杯飲み屋をはじめありとあらゆる物を売っていた。戦後の神戸の町も、最初に動き始めたのはまぎれもなくあのジャンジャン市場からだった。
 市場ほど住んでいる人々の生活や文化がわかる場所はない。1970年代から私はずっとこの市場を見てきたが、市場の雰囲気はあまり変わっていない。(p.112-113)


戦後の復興が市場から始まったとする見方は那覇や神戸にかぎらず、日本国内でかなり普遍的に見られた現象かもしれない。

例えば、小樽の駅前にある三角市場や中央市場や妙見市場などにも同様の現象が見られる。例えば、三角市場は戦後すぐ(昭和21~24年頃までは戦後のヤミ市であり、その後4~5年は「ガンガン部隊」と呼ばれる行商人(樺太からの引揚者なども多かったという)が商売をしており、昭和30年代になると卸売から小売の市場へと変化していったとされている。中央市場や妙見市場も戦争の引揚者が始めた露店に起源があるという。

このような市場への関心はひとつ前のエントリーで紹介した『商店街はなぜ滅びるのか』が指摘している「両翼の安定」といった考え方などに通じており、戦後の日本の歴史的展開を見ていくにあたっても、今後の経済社会のあり方を考えていくにも重要だと考える。



 壺屋で始まり、現在の牧志公設市場一帯に賑わいが広がり、それを素地に現在の那覇最大の目抜き通りである国際通りへと復興はテンポを早めて、広がっていった。(p.114)


現在はお土産通りである国際通りを歩くにしても、こうした歴史的な展開を念頭におきながら歩くと、新たな発見があるかもしれない。



 沖縄と台湾。あまり知られていないが、第二次大戦中、沖縄の人は台湾に疎開していた。その名残だろう、戦後、私が台湾に戻ってみると、沖縄のものがたくさん残っていた。(p.114-115)


沖縄と台湾の関係も興味深い問題の一つである。台湾と北海道の比較研究がかなりおもしろいと思い始めているのだが、この観点を追求するにしても沖縄も加えるとさらに深みが出るかもしれない。



 私はこの中国の態度、琉球の姿勢、そして日本の対応を評価する。三者三様のこの時代の現実主義から学ぶべきことは決して小さくない。いつの時代でも国際間の紛争は、つまらぬ建て前から起きる。……(中略)……。
 経済的な利点から琉球から手を引けない薩摩は滑稽なほどのヤマト隠しをして琉球側の中国に対する建て前を支えた。琉球側は表面上のすべてのヤマト的な風景を消して、見て見ぬ振りをしてくれている中国の顔を立てた。中国は見えぬものは見えないという態度を押し通し、儀礼的な冊封をつづけて大国の威信を保ったのである。
 外交の知恵とはこんなものかもしれない。三者には建て前で起こる紛争を避ける知恵があった。(p.150-151)


今現在は領土問題で中韓ともめているが、現代のわれわれももっと知恵を用いて適切な対処を考えたいものである。



19世紀に入ると、アメリカでは大陸横断鉄道の建設が始まり、重労働に耐える労働者が大量に必要になり、黒人にかわる労働力を中国に求めるようになった。ひとつにはアメリカ国内で黒人解放運動が盛んになり、黒人の人権問題がやかましくなっていた時代で、黒人を奴隷として自由に使役できなくなったアメリカの国内事情があった。中国人労働者の関心が高まったもう一つの理由は、黒人の死亡率が非常に高かったことがある。中国人は黒人奴隷にくらべて格段に長期間の重労働に耐えた。アメリカの資本家にとっては黒人より中国人労働者を使うほうがはるかに割安だった。
 ……(中略)……。中国人は「なま水を飲まなかった」。それが死亡率が低かった最大の理由だった。……(中略)……。
 死亡率が低いことが評判になるにつれ、中国人労働者の需要が高まり、中国を舞台に欧米の奴隷商人の活動が活発化した。(p.185)


19世紀は移民の世紀とも呼ばれるが、その実態もいろいろと興味深いものがある。



 ところで、沖縄の食糧問題でサツマイモは無視できない。1605年というから、江戸時代の初期、野国総管が中国の福建地方から持ち帰り、それを儀間真常(1557~1644)が飢饉に備えて栽培、普及に努力した歴史がある。旱魃に強く、痩せた土地にも育ち、保存が比較的簡単で、栄養があるサツマイモだ。食糧事情は格段に改善された。サツマイモの栽培と普及は王朝時代を通じ最大級の業績だった。
 ……(中略)……。サツマイモは当時の中国・福建では輸出禁止になっていた。野口総管はこっそり沖縄へ持ち帰ったに違いない。それが後にヤマトに持ち込まれ全国で栽培されるようになった。
 その中国にサツマイモが入ってきたのはフィリピンからだったが、じつはフィリピンでもサツマイモは輸出禁止だった。ということは中国も苗をこっそり持ち出したのである。サツマイモは密輸、密輸で普及した。それだけ貴重な食糧だった。(p.206-207)


食べ物の歴史は、社会や経済の繋がりが分かり面白い。


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