アヴェスターにはこう書いている?
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小野善康 『成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか』

 ここ数十年の日本経済における大きな出来事を振り返ると、1980年代のバブル景気と90年代初頭のバブル崩壊後に起こった長期不況が思い浮かびます。この二つは好況と不況を表しているので、正反対のように見えます。しかし、お金への欲望に注目すると、いずれもお金への欲望が生み出す現象で、根は同じであることがわかります。お金と言ってもいろいろあり、現金だけでなく土地や株式も、蓄財への欲望を満たすという点ではお金と同じ役割を持っています。欲望が土地株式に向かえばバブルが起こり、お金そのものに向かえばデフレと不況が起こるのです。(p.14)


そのとおりである。



お金の価値とは、物やサービスと比べて測った値ですから、物価の逆数です。つまり物価が下がり続けるデフレ現象とは、お金の価値が上がり続けるお金のバブルなのです。(p.16)


本書ではこの点から、恒常的に供給過剰(生産力(供給)>需要)である「成熟社会」でデフレを克服し、景気を回復させるには、欲望をお金ではなく物やサービスによる便益に向けるべきであるとする。妥当である。



 結局、財政支出の意義とは教科書に書いてある金銭的な波及効果ではなく、書いていない「直接便益」です。財政支出をすることによって働いてもらえば、それで作られた設備やサービスなどが役に立った分だけ経済がよくなるという、至極当然の結論になります。このことは同時に、便益があれば価値が投入金額より低くても、何もしないよりはよいことを意味します。不況が苦しいのは、お金がなくなったからでも潜在的な生産能力が下がったわけでもなく、需要が減って人びとが働く機会を失い、実際に使われる物やサービスの量が減ったからです。そのため、余った労働力に働く機会を与えて世の中に役に立ってもらえれば、それだけ生活が豊かになるのです。(p.69-70)


供給過剰による不況が恒常化している社会では、費用対効果が多少低くても生産された物やサービスが生活に役立つならばよい。一般常識とはズレがあるがこれが正しいのである。

この政策を実現するには、いかに人々に納得させるか、あるいは納得させなくても反対されずに実行するかという政治的な問題がある。むしろ、その方が難しい問題かもしれない。



 税制の違いがもたらす不公平を指摘して、増税に反対する人もいます。典型的な例が消費税です。消費税は消費量に比例して負担が増えるから、累進的な所得税に比べて低所得者により大きな負担を強いる、というのがその理由です。
 税負担という視点だけで公平性を比較すれば、この批判はあたっています。しかし、財政とは税金で集めてそれを使うことであり、その両方を考えなければ意味がありません。たとえば、消費税を増税し、その分を失業者や低所得者の仕事の給与として支出すれば、高所得者から低所得者への所得再分配になります。つまり、税そのものが累進的でなくても、支出の仕方によって累進税と同じような再分配を実現することが可能です。(p.80-81)


確かに。私も増税するならば、消費税よりは所得税を累進性を高めることを優先させるべきだと以前から主張してきたが、支出面も考えなければ不十分である。

ただ、「累進課税+低所得者への支出」の組合せの方が「比例的な課税+低所得者への支出」の組合せよりも、金額が同じであれば効果的であり、財政による効果がそれほど大きくないとすれば、やはりより効果的なものを選択する方が良いとは思う。

しかし、長期不況の経済状況を改善するためには、累進度のみに注目して闇雲に消費税に反対すべきではないだろう。



 さらに、再分配政策を行う場合には、特定のグループへの分配よりも広く浅くという方が、受け入れられやすい傾向があります。便益を受ける人が多いほど、支持する人も増えるからです。しかし、広く浅くという政策はもっとも効率の悪い再分配です。表2-1を見ながらこのことを確かめてみましょう。
 表2-1では、年収1000万円世帯が一人、500万円世帯が六人、200万円世帯が三人いる経済を想定し、高所得者から20%、中間層から10%、貧困層から0%の税金を取って各世帯に均等に分配する場合の、各世帯の差し引きの受け取り額を示しています。このときの財政規模は500万円ですが(四、五列目参照)、中間層はお金の支払いも受け取りもなく、高所得者の150万円が三人の貧困世帯に50万円ずつ渡されたことになります(最終列参照)。これを高所得者への課税と貧困世帯への救済だけに整理すれば、財政規模は500万円から150万円となって、実に70%も縮小できるし、高所得者にとっては5%の減税、中間層は無税になります。つまり、分配政策が国民の広い層を対象としたものであればあるほど、財政規模は大きいのに効果は小さく、支払先を限れば、はるかに少ない資金で同じ効果を生むことができるのです。
 子育てや教育のための補助金を例にすると、補助金がなかったら使われなかったはずの教育費、それがなければ進学をあきらめていた若者への援助など、きめ細かく考慮し、消費性向の高い、すなわち必要度の高い層に重点的にお金がいくようにすることです。具体的には、低所得家計の子供の授業料や教材費は無料にし、所得に応じて順次負担を増やすことなどが考えられます。さらに、本節の冒頭に示した原理3から考えると、直接お金を渡すよりも教育サービスや設備に直結する支出の方が、雇用も生むことから望ましいことがわかります。(p.81-82)


大変参考になる見解である。



 政府が支援すべきは、経営的には独り立ちできないけれど、あった方が国民生活の質が上がるような分野です。環境、介護、保育、健康、観光などを挙げるのは、これらがこのような特徴を満たす分野だからです。……(中略)……。
 こうした分野を考えるのは、本来政策担当者ではなく、国民自身です。政府にビジョンがないという人がいますが、政府に国民の欲しい物を決めてもらうのではなく、国民自身が何をして欲しいか積極的に訴え、政府はそこから選ぶのが仕事です。自分で何が欲しいか考えることもせず、政府が何かをやろうとすれば無駄だ無駄だと言っているだけでは、失業も不況も収まらず、生活の質も向上しません。(p.85-86)


同意見である。「政府にビジョンがない」と言うということに付け加えるべきは、「強いリーダーシップ」が欲しいという意見である。この欲求はビジョンがないと批判することの亜種であり、これこそまさに自分が考えもせず政府に文句をつけるだけの有害無益なものである。求めるべきは「強いリーダーシップ」などではなく、何が必要なのかを人々の側から政府に適切に伝えることができ、また、政府がそれをくみ取ることができるシステムである。



まず、目先の必需品ではなく、たとえ経営的には赤字であっても、ぜいたく品、不要不急品と思われるような分野において雇用を作る必要があります。しかし、多くの人びとは成熟社会のマクロ的な経済メカニズムまで考えませんから、そんなことをしたら、ただの無駄に映ります。誤解を解くためには、政策当事者は国民に経済全体のメカニズムまで説明しなければならず、大変な努力が必要です。そのため、一見わかりやすい無駄の排除を主張した方が、有権者の支持を得ることができると考えてしまうのは、当然のなりゆきでしょう。
 問題はそれだけではありません。経済全体では得をすると言っても、費用を支払った人と所得や便益を受ける人は同じではありません。そのため、たとえ税金を払う納税者が、その資金によって役に立つ設備やサービスが生まれ、それとともに経済活動全体が拡大することを理解しても、その果実が本当に自分のところに回ってくるのか、という疑問を抱いてしまいます。……(中略)……。
 ここで重要なのは、経済が拡大しているから、国民全員の便益はかならず増大する、ということです。そのため、多くの事業を積み重ねることによって、実際には、ほとんどの人にとって得になるし、たとえ損をする人がいても、それを越える数の人たちが得をするはずです。しかし、多くの人びとは、自分が直接関係する事業しか見ていません。さらに、納税者は不特定多数ですが、個々の事業においては、通常、目に見えてくるのは一部の人の便益や一部の人の雇用創出ですから、圧倒的多数の国民が不満を持ちます。おまけに、損だと思う人は声高にそう言いますが、得をする人は黙っています。そのため、個々の事業ごと、個々の制度変更ごとに、毎回、誰が損で誰が得だと騒がれ、強い政治的抵抗が生まれて実現が非常に難しくなります。
 経済活動の総量が変わらないなら、自分の分が減って人の分が増えるのは嫌だ、という気持ちになるのは理解できます。しかし、総量が増えて国民全体としてはかならずプラスになると言うのなら、それに反対してまで自分さえよければいい、ということでいいのでしょうか
 不況のときこそ公共心がいるのに、また、それによって自分もプラスになる可能性が高いのに、そのときこそ人びとに余裕がなくなり、目先だけを考えて一銭も出したくないと言い出す。……(中略)……。その結果、財政の無駄の排除という名目で行われる事業縮小と、失業拡大という本当の無駄の拡大が起こって、経済は停滞し続けるのです。(p.96-99)


私もしばしば同じことを思ったことがある。

ただ、政治哲学に多少関心を深めた後でこの議論を眺めてみると、国民全体ではプラスになるということは功利主義の原理によって判断されていると思われるが、それへの反論はむしろ功利主義の問題点(個別の権利や利益が無視されることがあること)を突いている部分もあり、全面的に不当とは言い切れない。それに対して著者が「公共心」を持ち出しているのは興味深い。コミュニタリアニズム的な正当化の考え方だからである。

問題はむしろ、どのようにして「公共心」を喚起するか、ということである。小野の今回の著作では物やサービスでお金以上に魅力のあることを考えるべきだという主張が以前より強く出ているが、これを目的論的な議論に結び付けることができれば、求心力をある程度形成することができるかもしれない



 税金を取られる場面では負担を意識するのに、仕事や便益を受けるときはあまり意識しません。そのため払うだけ損だと思う傾向があります。その不満のはけ口が政府や公務員叩きに向かっています。公務員は多すぎるし給料が高すぎるとか、財政の無駄が多いという批判です。
 しかし図2-4に示されているように、実際には、日本は公務員数も財政規模も、OECD(経済協力開発機構)諸国のなかで最低レベルです。それなのに負担が重いと文句を言っているのです。さらに、政府が雇用を作るといっても、ほとんどの場合、事業を担当するのは民間企業です。大きな政府だと経済はだめになると言う人もいますが、それが正しいなら、政府のサイズが最も小さい日本経済は、OECD諸国のうちでもっとも景気がいいはずです。(p.100-101)


同意見である。

なお、外郭団体や特別会計が入っていないことなどとして、こうした見解を批判しようとする人もいるが、その場合には、OECD諸国もそれらを組み入れて計算しなければならないはずであり、そこまではきちんと明示している議論はまだ見たことがない。

いずれにしても、政府や公務員へのバッシングのほとんどは有害無益であると判断すべきであろう。そんなことをしている暇があるなら、どのような政策を採用するべきか考えて提言してほしいものだ。



 これらの図から、90年代初頭のバブル崩壊後に、日本の経済構造が大きく変わったこともわかります。バブル以前には、貨幣発行高に比例して物価もGDPも上昇しています。バブル以前には、貨幣発行高に比例して物価もGDPも上昇しています。これは、日本が発展途上段階で消費意欲が十分にあったため、貨幣量の増加がそのまま需要増につながって、物価とGDPを押し上げたことを意味しています。ところが、成熟社会になってバブルが崩壊し、慢性的な需要不足に陥ると、貨幣をいくら発行しても需要が増えず、物価もGDPも上がらなくなって、逆に低下するようにさえなっています。このように明確な構造変化があったにもかかわらず、多くの人たちが、いまだに発展途上社会を前提とする教科書的経済学にしたがって、大幅な金融緩和を日銀に要求しているのです。(p.110-111)


他の国々でいつどのように変化が起こっているのかを確かめてみたい。それによって世界経済の質的変化を確かめることができるように思われる。

なお、本書は「成熟社会の経済学」を主張ているが、それ以前の経済学を「発展途上社会の経済学」であると一括して批判しているのは、わかりやすい対比であると思う。もちろん、わかりやすさには危険も伴うが、小野の理論には、これまでとは違う革新的な点があるのは確かだと思われるからである。



実は、赤字国債が問題なのは税負担とは関係なく、国債の信用を危うくするからであり、そうなれば金融危機と経済収縮が起こる危険があります。
 日本銀行が発行する円と同様に、政府が発行する国債も銀行の信用創造の重要な裏付けになっています。国債が返済できる見込みもないまま拡大し続け、人びとの不安を誘えば、株価や地価のバブル崩壊と同様に国際価格が暴落します。そんなことにでもなったら、国債保有を信用の裏付けとしていた金融機関は信用を失い、金融が急激に収縮して消費や投資が落ち込んでしまいます。しかし、財政再建の道筋を示すことができれば、国債の信用は維持されて価値が保たれ、国債残高を無理に減らさなくても金融を安定化させることができます。つまり、国債管理は日銀の貨幣管理と同じ観点で理解されるべきなのです。(p.119-120)


日本の人々が増税を忌避し続けると(増税より前に財政削減だとばかり言い続けていると)早晩、国債の信用危機が訪れるだろう。それはわれわれが漠然と思っているよりも早いかもしれない。



 つまり円高は、好況では生産性のバロメーターですが、不況では内需低迷のバロメーターです。(p.180)


なるほど。本書によれば、グローバル化した経済においても日本の場合、内需拡大が不況を緩和するための処方箋だという。為替レートの変動がその時の鍵となると考えられているようである。



 このように、企業の海外移転とは、その産業が日本で衰退し発展途上国で拡大していくことの一形態にすぎません。そういう企業を無理に引きとどめるのは、衰退産業を存続させるのと同じです。そんなことはせず、自由に海外に生産拠点を移してもらって、日本への輸出を増やしてもらえばいいのです。そうすれば、経常収支の黒字幅が減って円安になり、日本の内需に応える新たな産業への支援になります。(p.191)


なるほど。

マクロ的な考え方としてはこの方向で進めてよいと思われる。ただ、自動的に不況が改善する道というわけではないようであるため、どのような社会を目指すのかについて、もう少し考えが国内で共有されている状況が望ましいと思われる。

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