アヴェスターにはこう書いている?
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謝幼田 『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』

 中国共産党が民主を論じるときは、必ず権力の独占を考えている。全人民の抗戦が始まったばかりのときに、中共が再び国民政府を批判したのは、民族が存亡するかどうかの空前の危機の中で、人心の獲得を狙ったものである。(p.62)


最初の一文は少なくとも歴史的に見れば的確であると思われる。少なくとも過去に関して言えば、「中国共産党=人民の代表」と宣言することによって、「中国共産党による統治=人民の代表による統治=デモクラシー」であるとされてきたからである。(もちろん、そのように「宣言」することが、事実として共産党が人民を代表していると言えるわけではない。)

このようなロジックによって、共産党による一党独裁と呼ばれる専制体制を民主的であると主張し、民主という口当たりの良い言葉を用いながら専制的な体制を強固にすることを考えてきたと言えるからである。

今後も同じことをどこまで、どの程度続けるのかはわからない。中国の統治のあり方(民主的である度合い)変化の兆しは多少はあるようには思われるが、どうなるのか注目していきたい問題である。



 平型関の戦役は、中共の現在の論法に照らして言えば、日本軍の死傷者は1000人で、忻口戦役での日本軍の損失の40分の1ということになる。「平型関の大勝利」は今日、中国大陸では誰でも知っているが、同じ山西太原北側で行われた激烈な忻口戦役について知っている人はきわめて少ない。これはまさに、小規模な戦闘を行い、大々的に宣伝し、全国に影響を及ぼすという毛沢東の策略が成功したことを示している。しかもその後、中共は平型関のような待ち伏せ攻撃すら行わなくなり、ひたすら中国軍が築いた血肉の長城の背後に隠れ、みずからの党と軍隊の勢力を拡張させるだけだった。(p.88)


「平型関の大勝利」とされる出来事が中国大陸で知られているのは宣伝の力のほかに、その後の共産党による専制体制下での教育の力も大きいだろう。

本書によると、中国共産党はソ連の強い影響の下にあり、中国人民の「民族の利益」よりも階級の利益と党の利益を優先して行動しつづけたされる。その大まかな方法は、国民党と合作しながら日本軍との戦闘は国民党に行なわせ、自らは後背地で兵力を温存しながら同時に勢力拡大に奔走し、自らの蓄えた力を国民党に知らせないようにしながらも、国内向けには抗日に力を注いでいると印象付ける宣伝工作も行い、後に国民党を欺いて政権奪取を狙っていたという。



 毛沢東は個々の戦いにおいて、日本軍を消滅させよとの命令を出したことがあるだろうか。彼の命令はすべて、いかに中共の勢力を発展させるかに尽きる。これに対して、この時期の蒋介石軍事委員長が出した関連文書はすべて日本軍を消滅させる計画である。
 日本の侵略により、中国共産党は陝西北部のいくつかの貧しい県城〔県政府所在地〕から延安、陝西地区全体にまでその勢力を発展させることができた。悲憤慷慨に満ち、激した声明や電報を使って、山西での抗日線参加に馳せ参じると申し入れたが、ここにおいても一発の銃弾を撃つこともなく山西に勢力を確立した。山西に着くと、平型関で待ち伏せ攻撃に参加した以外は、抗日の遊撃線を戦ったという名目を利用して、急速にその勢力を華北全体にまで拡張していった。
 中国共産党は中国軍民の血肉の長城の背後に隠れ、みずからの勢力を拡大するという行動を開始したのである。(p.90)


本書では、共産党のこうした振る舞いは中国人民への裏切りであるとされて糾弾されている。



 彭徳懐が、百団大戦は「共産党が指導する抗日軍隊の声威を高め、いわゆる八路軍が『遊而不撃』という、国民党が作ったデマに打撃を与えた」と見ていたことは、中共にとってはきわめて有利である。平型関の戦闘は平型関戦役全体の小さな一部分にすぎず、林彪が指揮した待ち伏せ攻撃戦はその平型関の戦いの、さらに小さな一部分にすぎない。各方面の史料が示しているように、八路軍第115師の勝利は貴重なものだが、日本軍数百人を消滅させたにすぎないのである。ところが八路軍が全国に向けて発した最初0の戦況報告は、日本軍一万人余りを消滅したというもので、その後4000人余りとこっそり修正し、さらに1000人へと修正した。だが、これは当時、八路軍が戦績を挙げることのできた最初の戦役である。その後、日本軍は中国の領土の半分を席捲し、何十万、何百万という国軍将兵が戦死した。八路軍と新四軍はそれ以外の戦績を挙げられず、やったことと言えば、みずからの地盤を拡大し、国軍の活動を消滅させることであり、巧みに中共を宣伝することだった。彭徳懐が指導した百団大戦により、八論軍は新たな顔をもって国民の前に登場し、昔日の「遊而不撃」のイメージを改めることができた。これは彭徳懐ら八路軍将兵の功績である。(p.112)


中国共産党の発言のほとんどはプロパガンダばかりであり、政治色を帯びたものばかりであり、事実に基づいたものというのはきわめて少ない。少なくとも毛沢東が生きていた時代には虚偽にまみれていたことは疑いようがない。


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