アヴェスターにはこう書いている?
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奥村哲 『中国の資本主義と社会主義 近現代史像の再構成』

 しかし、国民政府は完全なブルジョアジー主導の政府でもなかった。「発展途上国」では、一般的に近代的階級形成が未熟であり、ブルジョアジーやプロレタリアート独自の力量はなお弱く、農村の地主・豪紳もその前近代的性格のため階級的結集度は低い。そうした中では、相対的に近代化され統制のとれた組織としての軍部が、往々その力を背景に主導権を握る。そしてこの軍部の中で、各階級の利害が複雑にあらわれる。(p.119)


軍事組織は「近代的」組織のモデルの一つとされるが、こうして軍部が主導権を握ることによって他の領域にも同様のシステムが構築されることを助けることになるという面もあるかも知れない。



 しかし、逆説的であるが、私はむしろ調査地点の個別特殊性を徹底的に追求することによって、一般的なものが相当見えてくると思う。むしろ広い範囲の調査では、しばしばそれを構成する各地域の特殊性が均されてしまい、そこからより深い一般性が見えなくなってしまう恐れがある。そのためにこそ、調査がどう行なわれたのかや調査地点がどう個別特殊なのかを、徹底して追求しなければならないのである。もちろん、ひとつの調査だけでは駄目で、調査地点を面の中に、調査時点を歴史の流れの中に、正確に位置づけなければ、個別特殊性も一般性も明らかにはならない。(p.182)


興味深い方法論。



 以上から、満鉄が調査した村落が相当に零細な経営であることは、ほぼ明らかになったと思う。そして強調しておきたいことは、農業における零細経営が、そのまま農家の相対的貧困を示すものではないということである。南通の例で明らかなように、鎮から遠い経営規模の大きいものは、単に粗放であるがゆえにすぎなかった。また、とりわけ満鉄の調査村においては、農業経営のみで判断することができない。……(中略)……。農業外労働あるいは副業の方が、より多い収入をもたらすことも珍しくはなかった。無錫においても、第4区の郷鎮において最も零細経営が多かったのが満鉄が調査した栄巷鎮であったが、逆にここが一番生活に「ゆとり」があったのである。
 したがって、これらの調査から農民の零細化=貧窮化とし、そこから副業・出稼ぎを説明し、それを「半植民地半封建下の下降分解」であるとする見解は、導きだすことはできない。むしろ逆に、近代化・都市化にともなって、副業・出稼ぎなど農家の選択肢が拡がり、農業の比重は低下する。その結果として、農業経営自体は零細化する、と捉えるべきであろう。(p.234)


興味深い指摘。データの扱い方(位置づけ方)が適切なのがよい。



 対外開放もまた、中国の将来に大きな意味をもっている。外国からの資本・技術の導入なくして、経済発展はないとさえいってよい。だから全体としては対外緊張緩和を図り、調整を繰り返しながら、対外開放政策それ自体は、もはや後戻りしえないであろう。しかしこのことは逆に、いままでの政策が対外緊張を前提としていたことを示している。対外開放がデタントと一体であるように、経済的ナショナリズムたる「自力更生」は、対外緊張と不可分であった。(p.308)


「社会主義」体制は対外緊張の状況下での総力戦体制である。この見解は妥当であると思われる。

このことを今後の外交などに絡めて考えると、北朝鮮の「社会主義」体制もまた総力戦体制であると考えられることからすれば、対外緊張を緩和することによってその体制を変質させることができる可能性が大きいと考えることができる。



植民地の資本主義的発展を認めることは帝国主義の美化であるとする議論があるが、道義的非難をもって学問的批判にすり替えてはならない。(p.335)


妥当である。



 第二次大戦以前には、この地域は、欧米や日本といった資本主義が発展した帝国主義国によって、主権が大幅に侵害されるか(中国)、完全に奪われて植民地にされていた(朝鮮・ベトナム)。この地域では、帝国主義を資本主義の最高の段階にして最後の発展段階とし、被抑圧者との連帯と帝国主義の打倒を叫ぶレーニン主義を、急進的なナショナリストが受容して、マルクス主義者になったのである。それゆえに、彼らがまず目指したのは、帝国主義との闘争による主権の回復(独立の達成)であり、次いで資本主義の発展を抑える「封建的」と考えるものを打倒することである(足立啓二氏が示したように、現実には封建制ではなかったが、マルクス主義の5段階発展論では、資本主義の直前に位置するのはこれしかない)。(p.362)


東アジアにおけるマルクス主義の受容に関する重要な指摘。東アジアのマルクス主義者が何者であり、何を目指していた人々であったかということがこれにより示唆される。



 朝鮮戦争に参戦したことによって、中国はアメリカと厳しく対決することになった。アメリカは中国軍の台湾進攻を阻むとともに、日本の再軍備も進めた(これを中国や北朝鮮は日本軍国主義の復活と捉えた)。中国はこれに対して、ありえるアメリカや日本の侵攻に、総力で対処しえる体制を早急に築こうとした。これが社会主義的改造にほかならない。ユートピアであった社会主義が、指導部内に重大な認識のずれを生じながら、現実には総力戦のための体制として出現したのである。(p.373)


日本の再軍備を「日本軍国主義」の復活であるとする捉え方は、当時の中国や北朝鮮だけでなく、現在も日本の左翼などに共有されている見方であると思われる。

しかし、当時の客観情勢からすると、単に当時の国際情勢(朝鮮戦争)への対応としてアメリカが日本にも軍備をさせる方が都合がよくなったと見る方が妥当であると思われる。そして、現在にまで続く自衛隊の軍備のバランス(米軍の軍備を補うような位置づけにある)から見ても、「日本軍国主義の復活」という捉え方よりは、こちらの見解の方が妥当であると思われる。



むしろ社会統合のあり方からみて興味深いのは、共産党はマルクスの5段階発展論に基づいて中国の前近代を封建制社会だとしているが、皮肉なことに、「共同体」・土地緊縛・身分制などという点で、自分たちがつくりあげた社会の方がむしろ封建制に似ていることであろう。(p.412)


私も、きちんとした勉強をする前に素朴に「社会主義」とされていた旧「東側」諸国に対して同様の見解を持っていたことを思い出した。もちろん、この見解は妥当なものであると考える。



 社会主義体制は総力戦の体制であり、国際的緊張を前提としているがゆえに、国際的な緊張緩和が進むと維持できなくなる。(p.413)


上で既に述べたが、これは今後の外交に対しても有益な示唆を含む見解である。



社会主義体制をマルクス主義の理論から理解しようとするのは、逆立ちした議論である(p.417)


妥当である。



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