アヴェスターにはこう書いている?
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シーナ・アイエンガー 『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』(その2)

 協力者にこうした名前の一覧表や品の目録を見せ、それぞれのアイテムをどれだけユニークだと思うか、どれだけ気に入ったか、ほかの人はどれだけ気に入ると思うかを回答してもらった。先に紹介した研究報告と一致して、この調査でも全員が、自分はほかの人よりユニークで、ユニークなものに対する許容度が高いと評した。だが実際にかれらが見せた反応は、驚くほど似通っていた。どのグループの協力者も、ややユニークな選択肢に高めの評価を与える一方で、極端に変わったものには否定的な反応を見せたのである。これらからわかったのは、西洋の消費者文化が「独自性」に良いイメージを持たせようとしているにもかかわらず、人々はどの程度の独自性までなら魅力的と思えるかに関して、自分なりにはっきりした限度を定めていたということだ。……(中略)……。
 わたしたちは、ある程度までなら独自性を高く評価し、強く求める。しかし、自分の選択を人に理解してもらうことも、それと同じくらい大切なことなのだ。何といっても、ネクタイに独自の感性を持つことと、ファッションでひんしゅくを買うこととは、紙一重だ。(p.116-117)


このバランス感覚が優れている人がセンスが良いなどと言われるのだろう。



実用的な機能を果たさない選択ほど、人となりをよく表す。だからこそわたしたちは音楽やファッションといった、なんら実用性のないものの選択に、特別の注意を払うのだ。最新流行の音楽ブログや音楽通の友人のプレイリストをそのままコピーしたり、映画や雑誌のファッションをそっくりそのまま真似たりするのは、自分の考えが何もないということを、全世界に向かって宣言するようなものだ。その一方で、好きな俳優が使っているのと同じ歯磨き粉なら、優れた歯石除去効果を言いわけにしやすい。
 わたしたちは意識的にであれ、無意識にであれ、自分の人となりをできるだけ正確に見せるように、生活を組み立てる傾向にある。ライフスタイルに関する選択は、わたしたちの価値観か、少なくとも他人に自分の価値観として認識させたいものを明らかにすることが多い。貧困者のための無料食堂や衣料品寄付のボランティアに時間を惜しまない人は利他的な人物、居間の壁にペンキを塗ったりアンティーク家具の布を張り替える人は器用で創造的な人物、といった具合だ。わたしたちは日々の選択を行いながら、自分の人となりや夢にはどのような選択が一番合っているかということだけでなく、そうした選択が他人にどう解釈されるかを、いつでも計算している。そして他人からどう思われているかを知る手がかりを、周囲の環境に求める。(p.131)


なるほど。選択することは人となりを表現するという側面を持つわけだ。

非実用的なことに関心を示さない傾向がある人は、他者からの評価をあまり気にしないという傾向と親和性が高いことに気付いた。また、他人の評価が気になる人ほど、ファッションなどの非実用的な事柄に関する見栄えを気にする傾向があることも理解できる。



 気をつけなくてはいけないのは、自分を実際より良く見せたいという誘惑に屈しないことだ。ダニエル・エイムズと同僚たちが行った研究が興味深い。職場で自分の地位や評価を高めようという魂胆が見え見えの人たちは、集団を混乱させる存在と見なされ、結局は評価が低下したという。……(中略)……。
 ……(中略)……。だが人によく思われすぎるのも考えものだ。人は、たとえ欠点があっても、自分とほぼ同等と思われる相手とつき合いたがることが、研究で明らかになっている。また自分を気むずかしい人間と思っている人は、愛想の良い人だと誤解されないように、実際よりもさらに気むずかしくふるまうという。それに夫婦は、片方がもう一方のことを自分より優れた存在だと評価しているとき、互いに対する満足度が低く、親密感が薄いことを、さまざまな研究が明らかにしている。(p.136-137)


いずれも納得できる。前段のような人はそれなりの規模の職場であれば、一人や二人は必ず見たことがあるだろうし、後段の部分は自分の交友関係などを考えても納得できるように思われる。



それにこの自制力があれば、その他の方面でも成功できるかもしれないのだ。ミッシェルの実験では、30%の子どもたちが自制力を発揮して、15分いっぱいまで辛抱し、戻ってきた白衣の男性に、自分の選んだお菓子を二つもらった。実験から10年以上たってから行われた追跡調査によれば、我慢できた子どもたちは、我慢できなかった子どもたちに比べて、強い友情で結ばれ、困難な状況に適切に対処する力があり、行動上の問題も少なかった。また大学進学適性試験(SAT)のスコアも、平均で210点も高かったという。成人後の追跡調査でも、このような高い能力のパターンが、引き続き認められた。この自制心おう盛な人たちは、喫煙率や違法薬物の経験率が低く、社会経済的地位が高く、修学年数も長かった。言い換えれば、かれらは健康的で、豊かで、賢明であるように思われた。もちろん自制心は、よい成果をもたらした唯一の要因ではないかもしれない。しかし、両者の相関関係は、自制心がわたしたちの人生におよぼす影響を、軽視してはならないと教えている。(p.146-147)


この調査結果は私が日常の経験で感じている内容と一致している。家庭環境が悪かったり、教育水準が低い家庭で育った人や平均より明らかに貧しい人たちの行動には自制が欠けていることが多く、社会経済的な地位が高い人は自らに対する厳しさをどこかに持っていることが多いと感じてきたからである。

前者の様な人たちは、カント的な意味での自由、すなわち自律としての自由の重要性を認識すらしていないことが多いし、現在の社会では「感性」が比較的称揚される傾向があり、「理性」などといったものが比較的軽視される傾向があるように感じられる。こうした風潮に抗して欲望の奴隷になることは自由ではなく、むしろ幸福な生の条件を崩してしまうことが多いということを自覚していくことは重要であると思われる。




 何かがどうしようもなく欲しくなって、「100ドル」の選択肢を選ぶようなことがあっても、それがたまのことなら、20ドルをちょこちょこ失う程度ですむ。だがしょっちゅう100ドルを選んでいる人は、長い人生の間に損失が積み重なって、数十年たってから、どれだけを無駄にしてしまったのだろうと深く後悔するかもしれない。自動システムに身をゆだねる快楽には、依存性がある。「今度だけ」という言葉は、自分への空約束になり、損失を記録する方法でしかなくなる。こんな人生はだれも望まないが、一体どうすれば自分を抑えられるのだろう?
 たった四歳にして、実験者が戻ってくるまでお菓子を食べる誘惑に耐えた子どもたちから、何か学べないだろうか?かれらの驚くべき自制のカギは、自動反応に対抗するための戦略にあった。たとえば、おいしいもので一杯の目の前の皿が見えないように、手で顔を覆ったり、お菓子のことを考えないように、おもちゃで遊んでいるところを想像した子もいた。マシュマロが口の中でとろけるおやつではなく、雲だと思い込んだ子もいた。このような工夫をして、子供たちは物理的に、または心の中でお菓子を隠すことで、それを食べるという選択肢を取り除いたのだ。存在しないものに誘惑を感じることはないのだから。
 誘惑の対象から気をそらす方法を意識的に用いれば、驚くべき効果が得られることが、その後のミッシェルの研究で明らかになった。(p.148-149)


自制のできない人に対して贈りたい言葉である。あなたは人生で大きな損失を出しながら生きているのだ、と。



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