アヴェスターにはこう書いている?
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シーナ・アイエンガー 『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』(その1)

 アメリカをはじめ、個人主義志向の強い社会に育った人は、選択を行う際、何よりも「自分」に焦点を置くよう教えられる。……(中略)……。人はまず何よりも、自分の好みに基づいて選択を行う。このことは、わたしたちが人生の中で行う選択の回数や、選択の重要性を考えれば、それ自体意義深いことだ。
 だがそれだけではない。わたしたちは自分のことを、自分の興味、性格特性、行動という面からとらえるようになるのだ。たとえば「わたしは映画マニアだ」とか、「わたしは環境問題への意識が高い」というふうに。このように世界をとらえるとき、人間らしい人間になるためには、自ら人生の道を切り拓くことが、決定的に重要となる。それを妨げるすべてのものが、あきらかに不当と見なされる。(p.55-56)


最後の部分で指摘されている人生観にはなじみがある。私自身が個人主義的な世界観を強く持って生きてきたからである。最近は複数の著者からの思想的な影響や環境の変化なども手伝って、若干こうした見方から卒業しつつあるが、個人主義的な世界観の感覚は非常に私には馴染み深いものであるがゆえに、この鋭い指摘は興味深いものと感じられる。



個人主義的イデオロギーの中核にあるのが、選択を「機会」という観点からとらえる考え方だ。つまり、自分の望み通りの存在になり、望み通りのことをする機会である。(p.56-57)


個人主義的なイデオロギーと「選択」のある種の捉え方には非常に強い親和性がある。いずれも「自由」という概念と結びついているからであろう。



だが実は個人主義という概念は比較的新しく、この概念を考え方の指針としているのは、世界でもほんの一握りの人たちだけだ。(p.57)


これも鋭い指摘。さらに言えば、教育水準や経済的な余裕などもこの概念を指針とすることと相関関係があるように思われる。



「今この時より、幸いなるときも不幸なときも、富めるときも貧しいときも、病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまで、愛し慈しむことを誓いますか」。キリスト教の結婚式や人前結婚式で、あるいは映画やテレビで聞いたことがあるだろう。この出典は、1549年に英国国教会が初版を刊行した、祈祷書だ。これが書かれたのは、シェイクスピアが名作『ロミオとジュリエット』で、「死が二人を分かつまで」という考えがもたらす悲劇的結末を描いた、半世紀も前のことだった。今に至るまで、逆境をものともせずに愛を貫き通す薄幸な恋人たちの物語ほど、心を動かし、涙を誘うものはない。
 恋愛結婚という概念は、西洋社会での個人主義の高まりと切り離して考えることはできない。祈祷書それ自体が、イギリス宗教改革の申し子だった。(p.67)


恋愛結婚の考え方の背景には個人主義的な考え方がある。「家」という単位ではなく「個人」が単位となって婚姻の相手を探し、選択し、合意するからである。

もっとも、個人主義を貫徹することは現実には難しく、結婚することは相手の家族をもある程度引き受けることにつながるものである。ただ、そうした家族との関連の程度は取り決め婚などの方がより深いだろうが。



だが人が幸せをどのように定義し、どのような基準で結婚の成功を判断するかは、親や文化から受け継いだスクリプトによって決まる。取り決め婚の場合、結婚の成功が主に義務の達成度で測られるのに対し、恋愛結婚では、二人の感情的な結びつきの強さと持続期間が、主な基準になる。(p.71)


文化的スクリプトによって世界の見方や感じ方が大きく影響を受ける。取り決め婚は現代の日本社会ではほとんど見られなくなっているが、ここで述べられているような基準から考えれば、意外と幸福感を強く感じられるシステムなのかもしれない。



 アジア系アメリカ人の子どもたちは、母親が選択したとき、自分自身で選択したときにも増して、がぜんやる気を出した。それはなぜかと言えば、母親との関係が、かれらのアイデンティティの大きな部分を占めていたからだ。(p.76-77)


なるほど。アイデンティティにおいて他者との関係が占める位置が、動機づけに大きく影響することがあるわけだ。これは実用的な知識であると思われる。

例えば、母親がアイデンティティに占める割合が大きな子供を勉強させるには、その母親が子供の勉強に関心を持って接する方が、そうでないよりも有効だといったように活用できないだろうか。



分析の結果、アメリカの新聞が、悪徳トレーダーの個人的行動に、不祥事の原因を求めることが多かったのに対し、日本の新聞は制度的要因、たとえば経営者による監督不行き届きなどに言及することが多かった。賞賛に値する結果であれ、非難に値する結果であれ、個人主義社会に属する人々が、その原因を一個人に求めたのに対し、集団主義者は、結果を体制や文脈と表裏一体と見なしていたのだ。
 個人が自分を取り巻く状況をどれだけコントロールできるかという問題に関わる、このような考え方の違いは、日常的な選択に対する考え方の違いを生む。(p.85)


興味深い指摘。


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