アヴェスターにはこう書いている?
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スピノザ 『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』
 同様に又前述のことどもから次のことが明らかに帰結される。即ち、徳なしには、或は(よりよく表現すれば)知性の指導なしには、すべてが破滅に赴き、我々は、何らの平和も享受し得ずに、いはば、我々本来の天地の外に生活するやうな結果になる。従って、たとへまた、知性にとって、認識と神への愛の力から、我々が前に示したやうな永遠の平和は生ぜずに、ただ一時的な平和しか生じないとしても、さうした平和さへが、一度それを享受した上は、世の何ものにも換へがたく思はれるやうな種類のものであるから、これを求めることは我々の義務なのである。(p.204-205)


神への認識と愛により、非永続的であっても平和が生じ、それが至高のものであると感じられることから、これを求めることが義務であるとされている。神秘主義的な色彩が濃いことと、個人主義的な観念に基づく倫理観であるという特徴があると思われる。神秘主義的な観念により、一時的に浄福な精神状態を招くことは了解できるが、それを社会の中に繋げる(思想的なものであれ、社会関係に組み込まれたものであれ)何らかの装置がなければ、実践的な倫理として通用するかどうかは疑問である。

といふのは、我々の見た通り、神の外には我々に幸福を与へ得る如何なる物も存せず、そして神の愛の甘美な鎖に繋がれ且つその状態に止まることが真の自由だからである。
 最後に、我々の見るところでは、推理作用に依る認識は我々のうちに於いて最上のものでなく、単に望みの場所に昇るための一つの階段のやうなものにすぎない。或は、何らの虚偽と欺瞞となしに我々に最高善のおとづれをもたらし、かくしてそれを追求し・それと合一するやうに我々を鼓舞する善き霊のやうなものに過ぎない。そして、この合一こそ、我々の最高の幸福であり、福祉なのである。(p.206)


推理による認識よりも神を把握する直観を重視していることは、推理以上の意味を持つ働きが知性ないし認識にはあるとする点では妥当なものを含むと思われる。しかし、スピノザの示す知性や認識についての議論は、神秘主義的な思想と類似するところがあり、こうした感覚が存在することは理解できるが、倫理学の基礎として神への認識を置くことは、やはり個人の内省の枠内にとどまることとなり、ひとつ前の引用文に対するコメントで述べた通り、社会的な関係を捨象していることから様々な問題が生じるのではないかと推察される。

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