アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

簡月真 著、真田信治 監修 『台湾に渡った日本語の現在――リンガフランカとしての姿――』

 1895年の植民地統治開始と同時に「国語」普及計画が実施されたのだが、その教育制度は一般の人々にすぐには受け入れられなかった。統治が始まってから20年たった1915年でも、公学校の就学率が9.63%(台湾教育会1939)で、日本語ができる人は1.63%(台湾総督官房臨時戸口調査部1918)に過ぎなかったのである。(p.15)


台湾の植民地統治の初期は産業基盤や現地の人々の抵抗への対処などに追われて教育にまで十分手が回らなかったという側面もあるのかもしれない。ただ、20年がたってもここまで就学率や日本語の普及率が低かったというのはやや意外。



 1936年第17代総督に就任した小林躋造は「皇民化、工業化、南進基地化」を三大政策に掲げ、従来からあった同化政策を戦時体制においていっそう熾烈に進める方針をとる。まず、学校教育での漢文嘉だけでなく日本語新聞紙面の漢文欄までも廃止され、「書房」が次々と閉鎖に追いやられた。また、「国語常用運動」や「国語常用家庭」が推奨され、1940年からは改姓名運動も提唱されることになった。
 このようにして「国語」普及計画は、学校教育のみならず、社会教育を通しても推進されていったのである。その結果、1942年の「国語解者率」(公学校および国語普及施設の在学生・卒業生)は全人口の58.02%で(台湾総督府1944)、1944年の就学率は71.31%に上がった(台湾総督府1945)。そして、1940年の国勢調査によれば、日本語普及率は台湾人人口の30.18%に上った(台湾省政府主計処1953)。(p.15-16)


「皇民化、工業化、南進基地化」というフレーズはまさにこの時代の台湾のキーワードであるように思われる。



 植民地時代の日本人との接触状況は人によって異なるのだが、日本人教師と接触した経験はほとんどの高年層が持っている。1940年頃の公学校では、日本人教師の割合は約6割である。場所によっては、日本人教師の宿舎の掃除を生徒が担当させられることもあった。そこでは、日本人教師やその家族との交流を通して、日本の生活習慣に触れたり、日本語を習得したりする機会があったようである。
 また、家族の仕事の関係上、製糖会社や鉄道部の宿舎で生活していたような人は、日本人との日常的な接触が頻繁にあった。(p.23-24)


統治上の重要性が高い産業である製糖業や鉄道部といった部門に日本人が多く就いていたというのは興味深い。

スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/805-9f9936b6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)