アヴェスターにはこう書いている?
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リュシアン・フェーヴル、アンリ=ジャン・マルタン 『書物の出現 上』(その2)

 印刷術がもたらした進歩をよく理解するため、まず写本時代に学者・教養人・学生などが抱えていた困難を考えてみよう。そもそも、ある文章を引用する場合でも、今日われわれがよくやるように、その文章が書かれている紙葉やページの数字を示すことは不可能であった。というのもこの数字は、原則として各写本により異なっていたからである。それゆえ、問題となっている箇所が含まれる章のタイトルやその番号、さらには節を明記しなければいけなかった。また多くの場合、こうした参照法を可能にするため、各節に見出しを付け、さらに検索の目印として節を細分する必要もあった。その上、当時は羊皮紙はもちろん紙にしても高価な商品であって、テクストは文字をぎっしり詰めて筆写され、略字記号も多く、行間も狭く、しばしば節ばかりか章の切れ目に全く余白がないことがあった。したがって、写本が見た目にもごちゃごちゃして、参照しにくく思えるのも納得がいく。(p.230)


プラトンやアリストテレスなどの著作の翻訳などを読んでいると、記号で原文との対応箇所などが表記されていることが多いが、あのようなシステムが必要だった意味がよく理解できた。



 しかし15世紀末になるとアルド・マヌツィオが、古典作家を読者に身近なものにすべく、有名な「携帯版」のシリーズの発刊に踏み切って、ユマニストたちのサークルが先鞭をつけたこのポケット版の流行は、16世紀に入り次第にその輪を広げていく。……(中略)……。しかしながら学者たちは依然として、専門書については二ツ折判を好んでいた。二ツ折判は確かに取り扱いにくかったが、見やすくしかも検索が容易だったからである。
 つまり書庫での調べ物に用いる重たい学問的テクストと、大衆向けの文学書や論争書といった手軽な書物とは、すでにこの頃からはっきりと対照をなしていたのだ。(p.237)


書物の出版は商売であると同時に文化的な活動でもある。また、読者の社会層は当時は身分や階級によってかなりの程度固定されていただろうことをも反映しているのかもしれない。



 こうして16世紀も終盤にさしかかると、行商本を除けば木版画の使用はほぼ完全に廃れてしまう。しかも木版画は絵入り本ばかりか、あらゆる分野から消えていくのだ。そして以後200年以上もの間、銅版画の時代が続くことになるわけだけれど、その発端は単なる技術的変革とだけ言ってすませられるものではなかった。銅板技法が勝利を収めたのは、これによって絵画・記念建造物・装飾模様などを、実に細かい所まで忠実に再現でき、それをどこの誰にも行き渡らせることができたからであり、わけても現実のリアルな姿を再現し、その記憶を定着することができたからにほかならない。版画が図像の普及に果たす役割は、その後ますます増大していくが、これは百有余年にわたり、活字本がテクストの普及のうえで果たしてきた役割とも相通じるのだ。こうして、16世紀末から17世紀初頭にかけて銅版画が採用され、版画の国際的売買が発展したことにより、当時の人びとの視野は広がったのである。(p.268)


銅版画は絵画や写真などと比べて現在はあまり関心がもたれない技術だが、その歴史的な意味は大きなものがあったことがわかる。大変興味深い指摘。

個人的には、ちょうどこれから北海道立近代美術館でこの時代(以後)の版画の展示が見られそうなので行ってみたい。



要するに版画家とは、今日における写真家の役割を果たすのである。(p.269)


なるほど。



 それと同時に版画は、芸術作品の流布にも大きな役割を果たしている。17世紀以後、人びとは銅版画のおかげで、ヨーロッパ中に散在している傑作に接することになる。各国の版画家たちは、こぞってイタリアの絵画・建築物・廃墟の模刻に努めたのだ。また版画家が、自国の当代の巨匠が描いた絵画の複製にあたることもよくあった。……(中略)……。ルーベンスに至っては、自分の絵を広く江湖に知らしむるには、版画の影響力を借りるのが得策だと見抜いていたから、近くにわざわざ版画工房を設けて、自作の複製を作らせたほどだ。かくしてパリのマリエットなど大版画商の店には、イタリア・フランドル・フランス・ドイツの巨匠の絵画の複製版画が並べられた。人びとはそれらをじっくりと眺めては、品定めするのだった〔図版1(下巻)〕。さらに、装飾様式を教え普及させるのも、以来版画家の仕事となる。

 要するに版画は17世紀以降、様々な分野で重要な情報手段となったのである。……(中略)……。銅版技術のおかげで、正確かつ綿密な図版を本文に添えることが可能になったからこそ、『百科全書』の計画が浮かんだに相違ない。キャプテン・クックやラ=ペルーズの時代を迎え、次第にふえてくる旅行記にしても同様だ。それら旅行記類には、探検の途中で描かれたスケッチが、そのまま挿絵として収められていたのである。(p.270-273)


知識の普及にとって版画の持っていた役割は想像以上に大きなものがありそうだ。もちろん、そうした知識を求める需要側の問題も同時に視野に入れる必要があるとは思うが。



 ところで、出版の財政問題を研究する場合、公権力が出資者として重要な役割を果たしていたことを忘れないようにしよう。司教や教会参事会員が典礼書の出版に融資しているし、国家や都市が、とりわけ行政上必要な文書に対して同様の出資を行なっている。非常に大勢の印刷工が、このような仕事で生活の糧を得ていた。特に小都市ではそうであった。最後に言及しておくべきことは、国家が、何人かの書籍商に対して特定の書物の特認や出版独占権を授与するシステムが、そうしたグループの活動や、全国的もしくは地方的な事業の活動を大いに促した、といことであって、この方法で、国家は出版の資金運用にしばしば介入するのだった。国家h企画を組織的に後援することによって、印刷業者と押れ合い、彼らを悪書が出版するとすぐ密告してくるような従順な手先にしようと努めるのだった。こうして再び、書物市場における大書籍商・出版業者の重要性は強化されることになる。(p.324)


書物出版における資本と政府および教会の役割やその変遷というのも興味深いテーマ。



職人は自分たちだけの兄弟団を別個に作ることを好み、これは前述のように、しばしば主人に対する抵抗の拠点となった。16世紀後半から17世紀にかけて、書籍商と印刷業者の組合(コルポラシオン)があちこちに結成されたのは、その多くがこうした職人の団体に抵抗するためだったのである。(p.351)


労働組合のようなものがこの時代にもあったということか。


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