アヴェスターにはこう書いている?
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峰崎山 『台湾旅行プロ・ガイドも気がつかなかった観光・ビジネス裏事情』
これはタイトルと内容に相違がある本だと思う。残念ながら本書を読んでも台湾のことはあまりわからないと思う。

 したがって、狭い国土に引きこもることなくどんどん海外へ飛び出す結果がこの数字になっているのである。
 その一例が台湾総督第四代就任の児玉源太郎(日露戦争時の陸軍大将、同時代には山形有朋、大山巌、乃木希輔)が招聘した後藤新平がいる。後藤は、東京都の今の道幅を作った人であるが、当時では、道路幅が広すぎると大反対があったとのことである。それが、今では、道路幅が狭すぎる状況である。
 この後藤新平が台北の今の都市計画、下水道を日本国内よりも早く作った。
この様に島国根性とは、如何に多くの国外からの知識を吸収することができるか、出来ないかが大きな違いとなってくる。
 その面から言えば、先に述べた様に2007年において、日本は漸く1億2700万人口の14%の1730万人が海外に出かけたのに比べて、台湾人は年間900万人近い人数、人口の約37%が毎年商務、観光、その他の事情を含めて海外に出かけている。その分、自国との違いを肌で感じてくる。
 大企業においては従業員の5分の1近くが博士号を持っている。国会議員においては、大部分が博士号を持っているといわれているほどの高学歴の国民である。(p.16)


後藤新平による台北と東京の都市計画には興味がある。

国外に出ることで、自国との違いを肌で感じられるというのはその通りで、それによって自らの住む地域の特性などに気付くことは多い。



 台湾人から見ると、日本は台湾の領有権を放棄したのであって、返還したのではないということが、今の台湾住民の国際法上の法律根拠として独立主張の一つとなっている。その背景には、台湾の主権問題として、400年前から福建省沿岸地区を中心として、台湾に移住して来た人びとにとって、自分達を支配していた政権は、明朝政府、清朝政府からも具体的に実効支配された事はない。(p.18)


本書の記述の水準からして、記述の内容の信憑性はあまりないが、前段の部分の真偽は知りたいところ。台湾が大陸の王朝から実効支配されたことがなかったというのは妥当だろう。



 護国神社は日本の台湾統治時代には、台湾の各都市に建設された。そして、中華民国政府は(昭和16年12月8日に日本は太平洋戦争に突入最後は昭和20年8月15日のポツダム宣言無条件受諾となる)戦後、護国神社のあるところは、国民党軍が自国の英霊を祭る忠烈祠を護国神社の神殿の上に覆いかぶさる様に祭った。端的に日本の神社の面影を残している場所としては、台北近郊の淡水ゴルフ場脇と桃園国際空港から50キロほど南に下った新竹の忠烈祠がある。
 ……(中略)……。特に台北郊外北側にある淡水ゴルフ場近くの忠烈祠は、いまでも、往時の日本神社そのものが一目で分かる跡を色濃く残している。(p.63-64)


護国神社と忠烈祠のこうした関係は旅行ガイドブックを見ているだけでも見えてくるものである。

私が見てきたかぎりでは、台湾の人びとには神社も忠烈祠も、いずれも浸透していない。

淡水の忠烈祠は見てみたい。



 更に、車の様な超大型ごみになると、日本の陸運局に当たる機関に連絡をすれば回収業者を派遣してくれる。その回収には、日本と逆で大体2000ccクラスだと日本円で1万5000円前後の廃車奨励金が戻ってくる。更に、回収費用も無料というより逆に廃車代金をくれる。その考え方は、環境破壊につながる古い車を良くぞ廃車してくれたという意味である。(p.94)


参考になる考え方。



 初めて私が台湾の地を踏んだ時直面した光景は、住居の窓という窓すべてに精神病院の鉄格子以上に丈夫な、まるで、警察の拘置所の様な鉄格子がはまっているのを目にした。……(中略)……。
 ……(中略)……。この鉄格子の習慣は、1896年から1945年までの日本統治時代には見られなかったもので、その後、蒋介石総統率いる国民党とその軍隊、共産党から逃れてきた外省人達、約200万人の人たちが台湾にどっと押し寄せてきてから途端に治安が悪くなった。特に、昭和22年2月28日に発生した、いわゆる、228事件から30数年続いた戒厳令の生活下では、泥棒も刑法ではなくて、軍事法で裁かれるので、即刻死刑が多かった。そうなると、泥棒も、侵入先の住民に発覚され捕まると死刑になる危険があるので、勢い、押し込み強盗殺人となるケースが多発した。その様な凶暴な事件が発生した事をきっかけに、住居に鉄格子を入れる習慣が始った。(p.132)


鉄格子と政治変動に伴う治安の変化。



 参考……台湾の商店の間口は一軒間口が多い。その理由は、不動産の取得価格である。道路に面して横に間口が広いとその分、商売が出来るチャンスが多いが逆に土地代金も高い。故に間口を狭くして、奥行きを深くとっている。道路面より奥に行くほど土地も安くなるとの道理からである。
 逆に似た様な町として、京都が上げられる。京都は間口によって当時の租税率が違ってきたからと伝えられている。(p.162)


土地代金と租税率という違いはあるが、やはり同じような理由だったという事がわかり参考になった。私自身が予想していた範囲内の理由であった。

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