アヴェスターにはこう書いている?
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マイケル・サンデル 『民主政の不満 公共哲学を求めるアメリカ 下 公民性の政治経済』

 もしアメリカ政治が自由の公民的要素を再び活性化しようとするならば、“いかなる経済的仕組みが自己統治に親和的か。いかにして多元的社会の公共的生活が、公民的な関与が要請するような豊潤な自己理解を市民のあいだに涵養し得るか”ということを問う方法を見つけなければならない。……(中略)……。
 19世紀末と20世紀はじめの数十年間、アメリカ人はこれらの問いに、明晰かつ力強く取り組んだ。というのは、自由に選択する個々の自己が、突如として、国家規模で現出した新しい組織の時代に初めて対峙したのが、この時期だったからである。……(中略)……。
 政治家と時評家は、人々の自己理解が、もはや自分たちが生活している社会的世界にそぐわなくなってしまった時代の不安を描き出した。……(中略)……。今や大部分の人は、自分自身のためあるいは他者と共同で働くというのではなく、大企業の被用者として働いている。そうした条件下では、諸個人は巨大組織に「飲み込まれて」しまい、構造の前で「なす術もない」。(p.102-103)


まさにこの時期にマックス・ウェーバーは近代社会を「鉄の檻」と形容したことを想起させられた。時代の背景として「国家規模で現出した新しい組織」、従来よりも巨大で強力な官僚制的な組織の出現があり、経済的にも構造が巨大化していた。この時代は多くの著述家がこうしたことを書いていた時代であり、ウェーバーの時代診断もそうしたものの中の一つであった。



 そうしているうちに、普通選挙権が、市民たちがあたかも「個人の意思を基礎として社会的諸関係を形成する」力を保持しているかのように見せることによって、主意主義的自己イメージをさらに強化した。(p.103)


普通選挙権の普及と主意主義的自己イメージとの関連を示唆している。興味深い指摘。



不安の中核には、自分たちのいる世界が理解できないということがあった。(p.105)


私自身も社会や世界を知りたいと思う動機の某かは、これと近いものに動かされている面があるように思われる。例えば、世界を理解することによって、自分が正しい選択ができるという確信を得たいということや、世界を正しい方向に変えるための活動を――積極的にしたりはできないとしても――少なくとも邪魔はしないという方向での確信を得たいといったようなことがある。



疑いもなく競争は無駄を含んでいる。だが人間の行為がそうでないことなどあろうか?民主政の無駄は、最も明白な無駄のなかの一つであろう。しかし、その無駄を償って余りある代償が民主政にはあり、またそれが民主政を絶対主義よりも効率的なものにしている。競争についても同じことが言える。(p.144)


競争の無駄を指摘することで独占への擁護をしようとする者に対するブランダイスの反論。

「効率性」によって回答しているが、目的論的に回答する方がより適切に回答できそうに思われる。



 ケインズ主義者が総需要のレベルに焦点を置くことによって、消費者の欲求と願望の内容に関して政府は中立であることが可能になる。……(中略)……。消費者需要の理論は消費者の欲求を「所与のデータ」として扱う。経済学者の仕事は「ただ欲求の充足を追求する」、すなわち欲求を満たす財を最大化するだけである。……(中略)……。ケインズ主義の需要管理における断固たる判断拒否という特徴は、手続き的共和国のリベラリズムを暗示する新しい経済学の最初の主題である。(p.181)


ケインズ主義とリベラリズムの関係についてのサンデルの指摘は非常に啓発的である。私自身、経済学的にはケインズ経済学に共感してきたこともあるため、なおさら考えさせられる。

本書を読んで得た大きな収穫の一つは、消費者主義の運動が正が善に優先するリベラリズムと親和的であることを学んだことである。これを念頭において身の回りに流通している言説を見ると、消費者主義の言説が多々見られることに気付かされるからである。また、サンデルの指摘は、あらゆるものが商品化している時代において、その不適切さもまた見えやすくしてくれるように思われ、参考になる。



 自ら選択をしたわけではない道徳的絆に負荷をかけられていないため、ダイアー博士の理想とする自己は連帯を知らない。「そのような自己の価値は地域に限られたものではありません。彼らは家族、近隣、コミュニティ、町、州、国家などとの一体感を持ちません。彼らは自分を人類に帰属すると見なします。失業中のオーストラリア人も、失業中のカリフォルニア市民も違いがないとみなします。特定の境界に対して愛郷心を持ちません。なぜなら、彼らは人類全体の一部と見るわけですから」
 健康や幸福以外にも、ダイアー博士の教えに従って生きる人々は、自分の人生に対する「全体的支配力の感覚」を手に入れる。しかし、その支配力とは、自己統治を実践する共和主義的自由とはかけ離れている。というのも、ここでの支配力とはほとんどが個人的関係か消費行動――無愛想なデパートの店員に対応すること、不躾なウェイトレスに威圧されずにステーキを返すことなど――に関係しているからである。ここに、1970年代までに展開された主意主義的企ての持つ悲哀が現れている。(p.213-214)


負荷なき自己と連帯の欠如についてはサンデルは随所で指摘しているが、その自由感(支配力の感覚)は個人的関係か消費行動と深くかかわるものにすぎない点の指摘は興味深い。いずれも個人レベルの行為に過ぎないということ。



 福祉は貧困を緩和するかもしれない。しかし、十全な公民性を共有することに必要な道徳的・市民的能力を人々に備えはしない。福祉はおそらく「私たちが国内でおかした最大の失敗」だったとケネディは論じた。なぜなら「何百万人もの国民を、同朋市民が自分たちのために小切手を切ってくれることを待ち望む依存と貧困とに隷属」させたからである。……(中略)……。貧困の解消に必要なのは、政府による所得保証ではなく、「尊厳ある仕事によってまっとうな所得を得ること、すなわち、仕事を得ることによって共同体や家族、国、そして何よりも重要なのは自分自身に『私はこの国を作る手助けをした。私は偉大なる公共的事業の参加者である』と言えること」である。最低限所得保証は、それがどれほど良いものであったとしても、「民主政のもとにある市民にとって本質的な、自己充足、共同体生活への参画の感覚をもたらすものではない」。(p.226-227)


最低生活保障に対する適切な批判。確かに福祉は必要なものではあるが、それは社会が悪くなることを防ぐにはある程度の力は持つかもしれないが、よりよい社会を形成していくための力にはほとんどならない。

日本の生活保護制度の場合、最低生活費が高すぎるという問題があり、それが引用文で指摘されているような問題につながっている。また、行政の運用が悪いということにされている「水際作戦」なども、結局は一般社会の常識的な生活感覚と福祉受給者の感覚の間のギャップがその要因の一つと考えられるし、制度的にはそれは高すぎる最低生活費ということに起因している面が大きいのではないかと考えている。



税の優遇措置が外部の企業にとってゲットーに投資する誘因になったとしても、それは住民が自分たちの共同体を統御することにはほとんどつながらない。(p.227)


税に関する議論においても、コミュニタリアン的な観点からの批判はそれなりに有効なものを含んでいるように思われる。リバタリアンに対して平等主義的リベラリズムのように共通の土台から批判するよりも、異なった側面から批判できるコミュニタリアニズムは有効な批判理論になりうるのではないか



国家的な関与によってアメリカの労働者の教育と職業訓練により多く投資するためには、すでに失われた国家単位での相互責任の感覚がその前提として必要となる。だが、富者と貧者の格差が拡大するにつれて、“両者が運命を共有している”という感覚も縮小し、”富者が高い税金を払って同朋市民の技能に対して投資しよう”とする意欲も減少してしまうのである。(p.262)


現代日本でも増税に関する話題がニュースに毎日のように上っているが、これについての合意ができないということも、ある意味ではこうした共通感覚が失われているということが背景にあるように思われる。しかし、そのことを明確に指摘することがされていないために、その漠然として不安感、不満感が政府や官僚といったものへの不満に転化されている側面もあるように思われる。そして、政府や官僚を叩き、足を引っ張ることを続けることによって、有効な政策がますます打ち出しにくくなっているという負のスパイラルに入っているという面がある。その意味では不満や不安の正体をより明確に指摘する言語が必要であると思われ、こみゅにアリアニズムはその参考になるのではないかと考えられる。


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